1978年の最長片道切符の旅 「原典」解析 中部・近畿部分
第16日(11月24日) 八王子→小出
- 八王子(6:--)→高尾(6:--)
- 高尾(6:45)→甲府(8:20) 525M
- 甲府(8:26)→静岡(11:11) 4712M 急行[富士川2号]
- 静岡(11:25)→掛川(12:10) 445M
- 掛川(12:20)→豊橋(14:45) 635D
- 豊橋(15:09)→飯田(18:18) 605M 急行[伊那5号]
- 最長片道切符の旅の再開は八王子からだが、高尾からの乗車の記述しかない。吉祥寺から中央線で高尾まで出たのかもしれない。
- [伊那5号]は約三十分遅れで飯田に到着した。
第17日(11月25日) 飯田→小出
- 飯田(5:48)→小淵沢(8:46) 4404M〜1404M 急行[こまがね2号]
- 小淵沢(9:34)→小諸(12:11) 233D
- 小諸(12:22)→高崎(13:36) 5028M 特急[あさま8号]
- 高崎(14:14)→小出(16:54) 727M
- 当時は北陸新幹線はもちろん上越新幹線も開通していなかった。
- 飯田から小出までこのルートで三度の乗り換えで行けるのは、長い区間を走る列車が多かったことの証左であろう。
第18日(11月26日) 小出→十日町
- 小出(5:36)→会津若松(10:05) 426D
- 会津若松(10:46)→新津(12:52) 912D 急行[あがの2号]
- 新津(13:12)→新発田(13:46) 627D
- 新発田(14:02)→新潟(14:44) 932D
- 新潟(15:09)→柏崎(17:31) 146D
- 柏崎(17:44)→宮内(18:26) 1341M
- 宮内(19:04)→越後川口(19:34) 734M
- 越後川口(19:54)→十日町(20:31) 162D
- 宮内、越後川口ともに特急列車が停まらず、列車待ちなどで時間がかかっている。
第19日(11月27日) 十日町→津
- 十日町(6:21)→豊野(8:47) 126D
- 豊野(9:24)→直江津(11:17) 337D
- 直江津(11:21)→糸魚川(11:49) 4006M 特急[雷鳥16号]
- 糸魚川(12:04)→松本(14:35) 4051D 急行[白馬]
- 松本(15:07)→名古屋(18:08) 4040M 特急[しなの10号]
- 名古屋(18:00)→津(20:21) 923
- 塩尻駅で方向転換という記述があるが、現在のような松本から名古屋方面に行くのに塩尻での方向転換を必要としなくなったのは1982年のことである。
- 実はこの18時発が亀山経由津行きの最終列車で、伊勢線経由にしても、名古屋19時15分発の亀山行きに乗って、四日市で乗り換えというものが最終列車だった。今では伊勢鉄道経由の快速[みえ]が名古屋と津の間を約1時間で結んでいる。
第20日(11月28日) 津→京橋
- 津(8:20)→多気(8:59) 329D
- 多気(9:10)→新宮(11:37) 1301D 急行[はまゆう1号]
- 新宮(13:18)→和歌山(16:27) 11M 特急[くろしお11号]
- 和歌山(17:16)→奈良(19:20) 512D 急行[しらはま3号]
- 奈良(19:21)→天王寺(19:54) 381K
- 天王寺(19:--)→京橋(20:--)
- 多気から乗った[はまゆう1号]は鳥羽始発の列車である。
第21日(11月29日) 京橋→高山
- 片町(6:41)→四条畷(7:--)
- 四条畷(7:--)→長尾(7:--)
- 長尾(7:40)→木津(8:14) 926D
- 木津(8:15)→柘植(9:30) 230D
- 柘植(9:40)→京都(10:43) 771D 急行[平安]
- 京都(10:52)→敦賀(11:59) 4001M 特急[白鳥]
- 敦賀(12:35)→米原(13:11) 36M 特急[加越6号]
- 米原(13:30)→岐阜(14:24) 550M
- 岐阜(14:38)→高山(18:05) 713D〜731D 急行[のりくら5号]
- 前日は片町駅に近いビジネスホテルに宿泊していたため、片町からの出発になる。
- 最長片道切符のルートでは、柘植−山科−近江塩津−米原、となるが、山科、近江塩津ともに特急列車が停まらないので、はみ出し乗車をしている。
第22日(11月30日) 高山→敦賀
- 高山(6:05)→富山(8:11) 821D
- 富山(8:14)→米原(11:11) 34M 特急[加越4号]
- 敦賀には10時34分に到着。そのまま米原まで乗って、新幹線で帰京。