だいぶ普及してきた感があるCCCD。私がCCCDがいけないと思う理由、それは「むかつくから」。子どもじゃあるまいし、なんだその理由は。でもこれはロフトプラスワンの集会で萩原健太氏、津田大介氏の両氏がおっしゃっていました。私も同感でした。
結局は私の場合は感情的な理由に他ならない。だって、CDショップにあのマークがついた盤が多く売られているのを見て、鬱な気分になるし。CDショップから足が遠ざかる一因になっているのは確か。もし裁判だったら「精神的な苦痛を受けた」と陳述するであろう。
とどのつまり、ファイル交換ソフトを使って片っ端からmp3ファイルを収集するあさましさ、それに対抗するべくコピーをできなくする狭量ぶり。そして売れなくなった理由を責任転嫁。そんなことをやっていては市場は廃れていく一方だと思うのだが。
「音楽配信メモ」で私が書いた文章が紹介された記念で、CCCDについて改めて考えてみる。
私はCCCDを買ったことがない。CDも最近買っていないけど。結局、CDって生活必需品ではない。別に買わなくてもいい。それでも買うのはやはり「買いたい」「欲しい」という気持ちがあるからだと思うんですよね。CCCDは見事にその気持ちを消してくれる。CCCDである時点で「あ、別にいいや」と思ってしまうんですよね。私の場合は。
CCCD反対の人たちが多くいるのは知っている。また、CCCD容認の人もいるのもわかっている。だけど、消費者の立場でCCCD賛成の人はほとんどいないと思う。CCCD最高、という意見は聞いたことがない。そういう製品を、音楽が好き嫌い関係なしに許してしまっていいのだろうか、とも思う。
何せ、完全にコピーができないと言われればそうでもない。コピーもリッピングもやる気になればすることができる。それでいて、様々な弊害が指摘されている。譬えていうならば、副作用が多くて効き目は薄い薬みたいなものか。他の薬がないから使っているようなものか。
と今まで書いてきたが、CCCDも含めCDもいずれは廃れていくメディアだと思う。そのうち優れたメディアが台頭していき、CCCDも過去の遺物になるのではないかと思う。だからこそ、今CCCDを導入した製作側の精神を問いたい。