1978年の最長片道切符の旅  第1日 広尾→北見 2004/04/30

前書き

4月28日の夜、羽田空港は混乱に包まれた。空港の滑走路に男が乗った自動車が乗り入れるという前代未聞の事件が発生。この事件により一部の便が欠航した。この日、私は夜のうちに北海道に着き千歳で泊。翌日は日高本線で様似に向かいそこからバスで襟裳岬を経て、この旅の出発点である広尾に向かう予定であった。まさに、本筋の広尾線には一指も触れぬ計画を立てていたのだが、この事件によってその計画は崩れてしまった。翌日に早朝の便で千歳 空港へ飛べることができれば問題はなかったのだが、ゴールデンウィーク初日の羽田から千歳へ向かう午前の便は全便満席だった。29日の夜までに広尾に着けなければこの旅の実施自体が危ぶまれたが、幸いなことにとかち帯広空港に飛ぶ便には空席があった。結果的には広尾の最寄り空港まで飛ぶことになった。これでまた何かあれば今度こそ危なかったが、多少遅れただけで飛行機は無事にとかち帯広空港に到着。空港からは幸福までタクシーに乗り、そこからバスに乗って広尾まで行った。

そういうわけで、いきなり出鼻をくじかれてしまった旅立ちとなったが、これ以上悪いことは起きないと思いつつ、願いつつ、旅を始めことにする。

今日から5日間は10日間用の北海道ゾーンの周遊きっぷを使う。使用開始日は4月28日なのだが、今日からやっと使い始める。

本編

広尾(7:08)→帯広駅西口(9:16) 十勝バス(広尾線代替)

少し早めに宿を出て広尾バス停まで歩く。広尾バス停はかつては国鉄広尾駅があったところで、今でもその面影はいくらかは残っている。7時という早い時間ではあったが窓口が開いていたので、帯広までの切符を買っておいた。1830円。バスの切符には珍しく硬券だった。何人かが帯広までの切符を買い求めていた。さすがに「愛国から幸福」「新生から大樹」といった類の乗車券は売っていないようだ。

広尾営業所始発の帯広行きのバスに乗る。客は誰も乗っていなかったが、ここで私も含めた5人が乗る。時間帯から高校生が多いかと思ったが、皆一般の用務客だった。高校生が乗ってきたのは豊似のあたりからだ。広尾からは豊似までは20分。その後、高校生が何人か乗ってきたか、高校生が交わしていた会話によると今日は休みの高校もあるようだ。

左側を見ると、遠くには雪をかぶった日高山脈の白、近くには新緑の緑に土色、このコントラストは北海道の春らしい、いい風景だ。大樹町に入り、歴舟川の上には数十の鯉のぼりが泳いでいた。そういえば、ここまで一般家庭の鯉のぼりはまだ見ていない。

大樹町を離れると忠類村に入る。ここはナウマン象の里らしく、ナウマン温泉ホテルというホテルがあった。忠類バス停はトイレもついている待合所が完備されている。ここで広尾行きのバスとすれ違う。ここから乗ってくる人も多かった。更に少し行くと更別町に入る。上更別で隣席におじいさんが乗ってきた。高校生は立っている。もっとも空席がなかったわけではなかったか。今までずっと国道236号線を走ってきたが、更別で少し国道から離れる。大樹、忠類と町の中心部が国道沿いに形成されていたのだが、更別は国道から少し離れた場所に中心部が形成されていた。更別では降りる人もいたが、乗る人もいて、車内が混雑した状態は続いた。

バスは中札内村に入る。中札内は村だが、帯広の衛星都市といった雰囲気がある。少ししゃれた美容室もあったりして、今まで通ってきた町村とは少し違った感じがする。中札内で高校生がいなくなったが、その代わりに乗ってくる人は多い。中札内を出るとすぐに昨日訪れた幸福駅が見える。ここまでは昨日通った道である。そういえば、昨日は「xx跨線橋」というのをいくつか見かけた。かつては広尾線を跨いでわけだが、広尾線が無くなって跨線橋だけが残っているのである。今日は一切気づかなかった。車内が混んでいるということもあるのだろう。

大正で混雑は決定的になる。この時間に帯広に行くバスだが当然といえば当然だが、それにしても利用客が多い。北高・北斗病院前というバス停で数人が下車。近くに帯広北高校があるようだが、どちらかといえば帯広の南のほうにあるのに北高というのは謎だ。

帯広郊外に入るとバスの本数が増えるからか、乗る人はそれほどいなくなった。やがて駅が見えてきて長崎屋前で半分の人が下車。ここから駅まで歩いていけるのだが、やはり「帯広駅」の名がついたバス停で降りたい。一度JRをくぐって市内を少し回って、終点の一つ手前である帯広駅西口バス停で下車。定時より10分弱遅れていた。

帯広(10:05)→新得(10:31) 4004D 特急[スーパーおおぞら4号]

帯広駅の自動改札機に周遊きっぷのゾーン券を通す。小さな穴が開いた。ホームに出るとそこそこ人はいた。意外だったのは、ほとんどの人が指定席車両に乗ったこと。自由席車両は先客も少なくがらがらだった。私としては混んでいると思い立ち乗りも覚悟していたのだが、まったくの拍子抜けだった。

[スーパーおおぞら]は振り子型式の列車で、カーブを曲がるときに車体が傾くのを感じる。これによりスピードアップが図られているという。芽室のあたりでは幼稚園児が手を振っていた。しかし、この特急は無情なまでにあっけなく通り過ぎていく。それゆえに、憧憬の対象となりうるというのもあるだろう。新得駅の直前でも幼稚園児たちがこちらを見ていて、引率の先生は手を振っていたが、園児たちは見慣れているせいか手を振っていなかった。新得駅で降りた人は十人弱いた。

新得(11:32)→富良野(13:03) 2342D

帯広駅から富良野経由滝川行きの普通列車に乗ってもよかったのだが、新得で時間を作るために先行する特急列車に乗った。駅の近くにあるそば屋でそばを食べる。食べ終わって、駅に戻り、待っていた普通列車に乗る。帯広始発のこの列車は新得駅で24分も停車する。停車時間内で駅構内のそば屋でそばを食べるくらいはできるだろう。列車といっても1両編成であるが、乗客は6人しかおらずしかもそのうちの4人は明らかに旅行者であり、1両でも全然問題がないのであった。

新得を出てしばし走ると新狩勝トンネルに入る。このトンネルを抜けるといよいよ十勝ともお別れである。少し感傷的になるが、よく考えれば明日また十勝に来るのであった。このトンネルの中にあるのが上落合信号場で、ここで根室本線と石勝線が分岐している。当時は石勝線が存在しなかったのだが、もし宮脇さんが石勝線が開通した1981年10月以降に最長片道切符の旅をしていたら、ここまでのルートが全く違うものになっていた。ただ、この旅は1978年の最長片道切符の旅なので、石勝線はないものとして進んでいく。

新得を出てトンネルを経て30分余、ようやく人家が見えてきたと思ったら落合の駅に着いた。ここで下り列車と交換する。向こうはだいたい席が埋まっていた。次の幾寅から地元の人が乗るようになってくる。1両編成が富良野に着く頃にはちょうどいいくらいに埋まった。この列車は滝川行きだが、だいたいの人が富良野で降りたようだ。

富良野(13:10)→旭川(14:23) 732D

次に乗るのは旭川行きの普通列車。先ほどの列車から乗り換える人はほとんどいなかった。私だけだったかもしれない。またも1両編成で、乗客は多くはなかったが座席の数が少ないので席はけっこう埋まっていた。観光客らしき人はそれほど多くなかった。中富良野で半分くらいが下車。上富良野を出ると上り勾配を走る。車両は北海道らしく密閉した作りになっているのだが、なんとなく牧場のにおいが漂っていた。

沿線でも大きな街である美瑛で乗る人は多かった。だいたいが地元の人のようだ。千代ヶ岡からは旭川市に入る。途中、なぜか西御料で運転士が西神楽で乗ってきた人に代わった。西御料のあたりから風景が北海道第二の都市らしくなってくる。この頃には立って乗る人もいた。旭川では本屋からだいぶ離れたホームに到着。

次の列車まであまり時間がないが、せっかく旭川に来たので駅の地下にあるラーメン屋でラーメンを食べる。残念ながら、この旭川駅地下ステーションデパートはこの日を以て閉店したとのことである。当日行ったときには、確かに閉店セールという文字はあったのだが、一部の店が閉店なのか全体が閉店なのか判断がつかなった。

旭川(15:05)→北見(18:25) 3583D 特快[きたみ]

次に乗るのは北見行きの特快[きたみ]である。特快という種別が正式なものかは知らないが、気持ちが悪い日本語ではある。遠軽までの停車駅は特急並で、快速よりは特別ではる。ラーメンを食べ終わってホームに行ってみると、既にきたみに乗る客で長い列ができていた。そしてやってきたきたみは予想通り1両編成。「原典」でもこの区間は短い編成で屑物入れの上なぞに座らされている。今日は連休の中日でいつもより乗客が多いのかもしれないが、それにしても1両とは頼りない。

旭川を出ると上川まで停まらない。せめて当麻や愛別に停まってもいいとも思うのだが、各駅停車との棲み分けを考えているのだろうか。なお、5月1日から5日の間は旭山動物園の最寄り駅である東旭川にも臨時停車している。そんな特快列車だが、途中国道を走る路線バスにすら抜かされそうな場面もあり、どこか頼りない。もっともそう思った瞬間、加速して路線バスを追いやったが。

上川では四分の一くらいの客が下車。思ったよりも降りなかった。ここから北見国に入っていく。当時は上川を出ると、天幕、中越、奥白滝と駅があったが、この三駅は2001年に廃止されている。私はかつてその三駅に停まる普通列車に乗ったことがある。もっとも夜間に乗ったので、外が真っ暗で何も見えなかった。乗客は私しかいなかったと思う。列車が長時間停車したので駅に停まっていると思いこみ、外の空気を吸いにいくがてらに下車しようと思ったら実は上越信号場だった、という苦い思い出もある。1975年までは旅客駅だったという、その上越信号場でオホーツク6号とすれ違った。この山間の信号場に着く前に、鹿が線路内に立ち入ったということで列車が一時停止した。私からは鹿の尻だけが見えた。峠はだいぶ雪が残っていて、冬の風景のようである。

ようやく着いた白滝は白滝村の中心駅であるが、乗り降りはなかった。次の丸瀬布では降りる人より乗る人のほうが多い。

かつて名寄本線が分岐していた遠軽に到着。ここで降りる人は多かった。駅前もそれなりににぎやかだ。遠軽からは進行方向が変わる。皆に倣って座席の向きを変えた。遠軽では全ての列車が進行方向を変える。そのため他の駅よりは長めに停車する。きたみは5分間停車した。

駅舎に図書館を併設している生田原を過ぎると、タコ部屋労働者によって作られた常紋トンネルを通る。この過去についてわずかではあるが知っているからか、このトンネルを通るとどうしても身が固くなってしまう。常紋トンネルを抜けると金華で、ここで普通列車との交換のため3分間停車した。

留辺蘂では高校生が多数乗車してきた。座れない高校生はデッキにかたまって立っている。もうすぐ北見という東相内でオホーツク8号との交換のため5分停車。気持ちがはやる。おそらく市街地を通るのを避けるためのトンネルを抜けると北見駅に到着。あたりは既に暗くなりかけていた。

後書き

今日は北見に泊まる。ほんの少し雨が降っていた。夕食に駅弁を買っていくつもりだったが、駅弁売り場は既に閉まっていた。その代わりとして、近くの百貨店で五目ご飯を買って食べた。


初出 : 2004/05/12
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