矢板駅前(栃木県矢板市) ↓藤田合同バス(850円・約45分) 新高徳駅(栃木県日光市) ↓日光交通(490円・約20分) 小倉町(栃木県日光市) ↓日光市営バス(600円・約30分) 小来川森崎(栃木県日光市) ↓鹿沼市民バス(300円・約40分) 天神町(栃木県鹿沼市) ↓関東自動車(630円・約45分) 東武駅前/東武西口(栃木県宇都宮市) ↓関東自動車(710円・約45分) 石橋駅(栃木県下野市) ↓関東自動車(630円・約30分) 台町/真岡駅前(栃木県真岡市) ↓東野交通(630円・約30分) 鐺山東/鐺山(栃木県宇都宮市) ↓ジェイアールバス関東(1110円・約50分) 茂木(栃木県茂木町)
前回の続きをすべく矢板まで行く。自宅から普通列車を乗り継いで3時間弱。大子ほどではないが、遠い。
▼新高徳駅行き
矢板から乗るのは、新高徳駅行きのバスである。もともとは東武矢板線という鉄道路線が両区間を結んでいたが、1959年に廃止となっている。その代替バス路線ということになる。矢板高校を経由するということで、高校生がたくさん乗っていた。矢板高校は駅からバスで10分くらいのところにある。着くと高校生がぞろぞろ降りていき、残ったのは私ともう1人だけだった。そのもう1人も塩谷町の中心地である玉生で降り、その後は私の貸し切りとなった。日光鬼怒川という観光地が近いということで、そのおこぼれを狙うような観光施設の案内をいくつか見かけた。あと、途中で「XX入口」というバス停を「XXはいりぐち」と読んでいるのが珍しいと思った。
▼下今市駅行き
日光江戸村行きのバスはハイデッカーのかっこいいバスで観光客が数人乗っていった、私が乗る下今市駅行きは普通の路線バスで、私と地元の人らしき女性が乗った。乗る前に運転士さんに下今市行きであることを確認される。多くの区間を国道121号線の旧道を走るが、一部杉並木のようになっている箇所があった。乗客は延べ5、6人程度であった。今市の市街地に入って、小倉町バス停で降りるつもりだったのだが、その一つ手前の住吉町バス停には、住吉町と小倉町のバスポールが立っていた。日光交通のバス停名は住吉町なのだが、関東自動車のバス停名は小倉町なのだ。日光交通の小倉町バス停は関東自動車では下今市というバス停名になっている。なんともわかりづらい。そういうわけで、日光交通の小倉町バス停で降りて、次のバスは一停分戻って関東自動車の小倉町バス停から乗ることにした。
▼小来川森崎行き(今市車庫〜小来川森崎線)
次に乗るのは日光市営バスだが、関東自動車に委託されていて、バス停も関東自動車のものと同一、バスは関東自動車の古いバスだった。栃木県の共通バスカードを使うことができる。5分ほど遅れてきた。このバスはまずJR今市駅に立ち寄るのだが、今市駅につながる道で六斎市というイベントが行われており、細い道を遠回りして今市駅に着いた。もっとも、今市駅から乗った人はいなかった。その後1人乗ってきた。今市市街を出てしばらくすると人家もほとんどない道を走る。峠を越えると小来川の圏内に入る。小来川はもともと小来川村だったが、その後日光市に編入されている。すなわち、今市市等と合併する前から日光市だった場所である。小来川温泉という温泉がありバス停もあるが乗降はなかった。私以外の乗客は小来川の集落で降りていった。私は終点で下車。定刻よりも早く着いた。
▼平和タクシー本社行き(小来川森崎線)
小来川で1時間ほど時間があったので、そのあたりを散策する。小中学校や市役所支所が残っているが、特に旧日光市だった頃は、他の地区から離れていた、という要因から残されているのかもしれない。私としては公衆トイレがあるのがありがたかった。
小来川には鹿沼市営バスが乗り入れている。次はそれに乗る。リーバスという愛称がついている。このバスは途中の下連部、菊沢西小学校が界になっていて、界を1回もまたがなければ100円、1回またげは200円、2回またげば300円というルールになっている。そういう単純なルールなので、車内に運賃表示器はなく、整理券もない。
小来川から乗ったのは私一人だけだった。少し進むと、工事中で片側通行になっている箇所があって、ここで5分くらい待たされた。待っている間、向こう側から車は一切来ない。それほど交通量の多い道ではないが、開通待ちの車の行列ができた。ようやく通り抜けられると、向こう側でも車が待っていた。何故、こういうことになったかは不明。かなり遅れがでたということで、バスはけっこう飛ばして進んだ。途中から2人が乗ってくる。鹿沼市街地である天神町で下車。着いたときはほぼ定刻だった。
▼JR宇都宮駅行き
鹿沼から宇都宮に至るバスに乗る。このバスは20分に1本という高頻度で運行している。東武新鹿沼駅から発していて、途中鹿沼駅前というバス停を通るが、JR鹿沼駅の敷地には入らず、最寄りの場所のバス停を通るだけである。鹿沼市内での乗客はさほど多くなかったが、宇都宮市内に入ると乗客が増えてくる。東武宇都宮駅の近くである東武駅前バス停で下車。ここで降りる人はさすがに多かった。
▼石橋駅行き
東武宇都宮百貨店の前にある東武西口バス停から、石橋駅行きのバスに乗る。時間帯がまだ早いからか、前回乗ったときと比べて乗客は多くなかった。ただ、道路のほうは混んでいて流れが悪い。このバスは定刻だと15時10分に石橋駅に着くはずなのだが、結局着いたのは20分を少し過ぎていた。そのため、予定していた石橋発15時20分発のバスに乗れなかった。石橋待合所で降りて急いで乗り換えれば乗れたかもしれない。ほとんどの客が宇都宮市内で降りていき、石橋駅まで行ったのは私1人だけだった。
▼真岡車庫行き
石橋で時間が余ったので何か食べようかと思ったが、時間帯も悪いせいか、駅の近くに開いている店が一つもなかった。一応、下野市の中心ということになっているはずなのだが。この後夕食をとれるスケジュールではないので、スーパーでパンを買っておいた。
この企画は路線バスで関東一周するというものである。石橋から小山まで行って、西を目指して栃木、足利、太田、くらいで群馬県に進めればいいのだが、両毛線沿線は路線バス不毛の地で、そこを路線バス乗り継ぎで進むことはできない。実際は、鹿沼から栃木までは行けるのだが、そこから西に行くことができない。そういうわけで、群馬県に行くのに、茨城、千葉、埼玉と大回りして行かなければならないのだ。こうなると、関東一周という視点が破綻しているような気もするが、道はつながっているので考えずに進むことにする。
そういうわけで、東に進むべく真岡車庫行きのバスに乗る。5人程度が乗った。途中、上三川町の中心部を通る。上三川には宇都宮からもバスが通っているが、東京方面と行き来するのであれば、石橋からのバスを使ったほうが便利だろう。上三川町内では何人か降りていった。真岡市内に入って中心部に近づくとロードサイドの店が見えてくる。この景色、全国共通だなと思いつつ、中心部に差し掛かって台町で下車。真岡駅ご利用の方はお乗り換えです、というアナウンスが流れた。
▼宇都宮東武行き
台町からは宇都宮行きのバスに乗り換える。反射的に車道を挟んで向こう側のバス停に行ってしまったのだが、このバスには宇都宮行きのバスの時刻は書いてあるのだが、私が乗る予定のバスは書いていない。宇都宮行きのバスは大きく分けて2つの経由地が異なる路線があり、一方はあるのだが、もう一方がないのだ。近くを探してみても他のバス停はなさそうである。乗り換え時間は短い。仕方がないのでここは一旦出直すかと思い、真岡駅に向かう。真岡駅の駅前にバス停があり、時刻表を見てみると私が乗るつもりだったバスの時刻が書いてあった。しかし、現在時刻を既に過ぎている。もう行ってしまったか、と思っていたら、ちょうどバスがやってきた。こうなるともう乗るしかない。真岡駅前の次は台町だというのでどこを経由するのかと思っていたら、なんと私が先ほど降りたバス停を通った。単に降りたバス停で待っていればよかっただけのことだった。
真岡営業所から橋場経由の宇都宮東武行きのバスである。石法寺経由に比べると本数が少ない。途中、真岡鐵道北真岡駅を通った。真岡市、芳賀町と通っていくが、客が誰も乗ってこない。宇都宮市内に入ってようやく乗ってきた。
鐺山東バス停で下車する。次の鐺山十字路バス停が、次に乗るジェイアールバス関東の鐺山バス停に近いが、どうせ名前が違うということと、鐺山東バス停の近くにあったファミリーマートに行きたかったということで、鐺山東バス停で降りることにした。このあたりは店はそれほど多くはない。
▼茂木行き(水都西線)
茂木行きのバスに乗る。夕方の宇都宮市内は渋滞しているから遅れてくるかと思ったが、定刻にやってきた。ただ、51分発の益子行きはまだ来なかった。さすがに乗客の数は多い。この路線は経由地の設定がいくつかあって複雑なのだが、このバスは鐺山から道場宿、刈沼を経て茂木まで行く。刈沼にはLRT建設を促す看板が立っている。LRTができたらこのバスにも影響がでるだろうが、当分できなさそうだし、実際にできるのかもわからない。乗客は減る一方で途中から乗ってくる客はいなかった。芳賀町の中心部である祖母井までで私以外の客が全員降りてしまった。祖母井を少し越えた赤坂で宇都宮行きのバスとすれちがったが、向こうは客が乗っていなかった。市塙のあたりで再度真岡鐵道の線路が見える。今度は、茂木まで並走することになる。だいぶ暗くなってきて、真岡鐵道の終点でもある茂木に到着。
この日は4時起きで5時出発、ということで、後半はかなりつかれてちょっとぐだぐだになってしまった。それでも予定どおり茂木までたどり着けたのはよかった。帰りは真岡鐵道に乗って帰ったが、茂木から乗ったのは私だけ、途中から何人か乗るも、乗客が3人を超えることはなかった。