1978年の最長片道切符の旅  第3日 中標津→紋別 2004/05/02

前書き

朝起きて昨日買っておいた食料を食べようと思ったのだが、どうも食欲がない。体調がすぐれない。もうだめだというほどではないが、少しの違和感を抱えての出発となった。

本編

中標津バスターミナル(7:30)→標茶駅前(8:54) 阿寒バス(標津線代替)

標津から来た標茶行きのバスに乗る。バスターミナルの窓口が既に開いていたので事前に切符を買っておく。中標津ターミナルの時点で高校生が数人、一般客が数人乗っていた。

中標津市街を抜けると、広い道の左右に緑という北海道らしい風景になる。右手の向こうには山も見える。駅もあった当幌はそれなりに人家があって、飲料の自動販売機もあった。中標津から二十分余で計根別に到着。中標津町に属するがそこそこ大きな集落で高校もある。実際、農業高校前バス停で乗っていた高校生が降りていった。計根別から養老牛温泉に行く町有バスは日曜祝祭日は運休である。

計根別を過ぎると別海町に入る。やがて今まで走ってきた道道13号線に別れを告げ左に曲がり、あまり広くない道を往く。これが旧標茶線に忠実なルートであるかはわからないが、それほど人家もない道を行って、途中曲がったりして、西春別に到着。ここはかつて駅があった場所が鉄道記念公園になっていた。ここから一人乗ってきた。西春別はけっこう大きな集落なのだが、西春別バス停の次が交差点という一般名詞を用いたバス停なのは何とかならなかったのか。

西春別からもあまり広くない道を往く。そしてカーブや坂道が多くなる。体調がよくない上に道もよくないので少し参ってくる。牛横断注意という道路標識があった。警戒標識の黄色地に黒と白の牛が一頭。泉川、弥栄と標津線の駅と同じ名前の場所を通り過ぎていく。利用客はいなかった。道道13号線に合流すると、また道が広くなりほっとする。

人家もないところで「次は標茶駅前」のアナウンスがある。もう標茶か、しかし標茶は何もないところなのかと思ってしまったが、少し進むとそれなりの街並みが見えてきた。駅の隣にあるバスターミナルの敷地でバスが停まった。

標茶(9:57)→網走(12:06) 3728D 快速[しれとこ]

バスは釧路行きの列車には好接続だが、網走行きの列車は約1時間待つことになる。釧路川の河川敷に行って気分転換がてらに佇む。

釧路から来た快速[しれとこ]は一両編成でやってきた。標茶から乗ったのは私も含め四人。降りたのは高校生を中心に多くいた。ロングシートが空いていたので、そこに座った。かつては急行も走っていた釧網本線であるが、現在、唯一愛称がついている定期列車がこの[しれとこ]である。次の磯分内は言うなれば「快速停車駅」だが、誰も乗降はない。人家はそこそこあった。次の南弟子屈は「快速通過駅」である。その次の摩周はかつては弟子屈という駅名だったが、名前を変えた。弟子屈町の中心駅で、降りる人はままいた。

摩周の次に停まるのが川湯温泉。けっこう降りる人がいた。駅から温泉までは少し距離がある。それでもホームには「あし湯」があった。ここでセミクロスシートに席を移す。川湯温泉から緑までは列車の本数が少ない区間で駅間距離も長い。釧北トンネルをくぐると釧路国から北見国へと入る。このあたりは雪が残っていた。

緑のあたりから斜里岳が見えてくる。確かに立派な山だ。海を見たいがために右側に座ったのだが、山もいいと思う。このあたりから乗ってくる人が多くなる。さすがに地元の人ばかりだ。ただ、清里町では降りる人もいた。釧路の方からこの町に来るという需要もあるということか。

知床斜里で数分間停車する。降りる人は予想通りに多かったが、乗る人も多かった。座れない人がだいぶいた。私の隣にも人が座る。どうやら大手旅行会社が主催したツアーの客のようだ。車内が暑くなってきたからと、運転士が天井の扉を少し開けた。涼しい空気が入ってくる。ここで緑行きと交換する。当たり前と言えば当たり前だが、あちらは空いていた。

知床斜里を出るとオホーツク海が見える。波は穏やかだ。止別を過ぎて、浜小清水は道の駅と直結していることもあって車で訪れる客が多い。列車をバックに写真撮影をしている人がいた。列車の利用客はいない。次の原生花園は昨日から営業している臨時駅であり、こちらも「見学客」が多い。原生花園では列車の利用客もいたようだが、何せ入出口のほうに人が固まって立っているので、様子がうかがい知れない。ここで旅行会社の人が次で降りると声をかけていた。次の北浜で私の隣の人を含め多くの人が下車。駅前では観光バスが待っていた。おそらくはローカル列車に乗るという趣向のプランなのだろうが、こんなキャパシティ不足の単行にこぞって乗って楽しいのだろうかと疑問が残る。どうせ乗るならば利用客が多いであろう釧路から直通列車を避ければいいのにとも思うが、スケジュールの都合というものもあるのだろう。ともあれ、北浜で多数の下車客がいたのでだいぶ落ち着いた。藻琴を過ぎると鱒浦、桂台を飛ばして、終点網走に着く。桂台は網走の中心部に行くのは便利だと思うのだが、快速は通過する。網走では普通遠軽行きとの接続がよいが、乗り換える人は少なかった。

網走駅前(13:45)→中湧別(16:00) 網走バス(湧網線代替)

網走では1時間半以上の時間がある。この時間は昼食をとる時間にあてるつもりだったのだが、食欲がなかったので近くのコンビニエンスストアでヨーグルトを買ってきて、駅の待合室でそれを食べつつ過ごす。

中湧別行きのバス停は駅から少し離れた場所にある。10分くらい前に行ったら家族連れがバスを待っていた。私と同じバスに乗るのかと思ったら、それには乗らなかった。高校生を中心に数人が乗車していた。バスは大曲を過ぎると網走湖の北岸を走る。国道238号線と網走湖にあるサイクリングロードが旧湧網線である。網走湖が見えなくなるとバスは坂を上るが、そのあたりで今まで国道の左側を通っていたサイクリングロードが右側を通るようになる。網走方面に向かって自転車をこいでいる人が見えた。今日は天気がよくて絶好の自転車日和だ。やがて能取湖が見えてくる。この風景は「原典」に書かれている通りだ。途中、ミンク場跡地というバス停がある。後で調べてみると、かつてこのあたりではミンククジラを捕獲していたらしい。ミンククジラ漁が盛んだったときにはこの場所でクジラの解体を行っていたのであろう。現在、ミンククジラの商業捕鯨はできないことになっている。今でもその名前を残しているということは、クジラ漁再開を願う気持ちの表れ、というのは考えすぎだろうか。

卯原内には鉄道記念館があった。ここで二人が下車。卯原内を過ぎると、平和。平和な場所だった。札幌にも同じ地名があるが、平和を願う気持ちからつけた地名なのだろう。次の集落は能取で、能取学校跡地というバス停がある。ここはかつて能取小学校があったが、2003年3月を以て閉校したとのことである。昨夏もここを通っていることは記憶していたのだが、そんなに最近閉校したとは思わなかった。常呂の町に近づくとオホーツク海が見えてくる。常呂橋を渡る。サイクリングロードはこのあたりで終点のようだ。

常呂バスターミナルはかつての常呂駅で2階は鉄道記念館になっている。湧網線は常呂から山側を通って浜佐呂間に抜けていたのだが、バスは佐呂間湖岸の栄浦を経由して浜佐呂間に至る。この区間に限って言えば、沿線風景は現在のバスのほうがいい。ワッカネイチャセンター入口というバス停があったが、ほぼ同位置にある町営バスの停留所名は漁業支所入口、だった。町の人はワッカネイチャセンターよりは漁業支所に用事があるのだろう。このあたりは観光地らしく人が集まっていた。

サロマ湖が見えなくなると佐呂間町に入る。浜佐呂間からもサロマ湖は見えず、バスはより内陸へと入っていく。サロマ湖に注ぐ佐呂間別川沿いの道を往くと佐呂間町の中心部に入る。佐呂間バスターミナルで乗客が降りていき、ついに私一人となってしまった。去年、中湧別から網走まで乗ったときは通しで乗った人が他にもいたのだが、今回は私だけだ。ここから終点まで誰も乗ってくることはなかった。

佐呂間バスターミナルを出るとサロマ湖に向かって北上する。交通公園がある計呂地を過ぎると、再びサロマ湖が見えてくる。日本で三番目に大きい湖だけある。ファミリー愛ランドユーという遊園地には車が多く停まっていた。バス停もあるのだが、誰も乗ってこない。少し行くと芭蕉の群生地がある。ここにも少しの人がいた。このあたりが芭露である。国道242号線との交点で左に曲がり少しするとまた左に曲がる。そこにあるのがかつての中湧別駅があった場所で、このバスの終点である。少し早着気味だった。

中湧別文化センタートム(16:04)→紋別ターミナル(17:00) 北海道北見バス(名寄本線代替)

中湧別駅跡で写真を撮っていると定時よりも早い時間にバスがやってきた。一瞬焦るが、よく見たら遠軽行きのバスだった。私が乗る紋別行きのバスは定時に来た。このバスは湧別を経由して紋別に至る。当時中湧別から湧別に行く列車は2便しかなかった。バスがあったかどうかは知るよしもないが、遠軽−紋別間を通るバスの多くが湧別を経由することによって、湧別の人は便利になったと思う。私が乗ったときには四人の乗客がいた。北海道北見バスはICバスカードを装備しているが、私は持っていないので普通に整理券を取る。

湧別に向かって北上する。湧別バス停で一人降りていった。ここからぐるっと南に戻っていく。国道238号線と合流するとあとは紋別を目指して西に走る。小向学校で一人乗車。小向交通公園というものがあった。旧小向駅だろうか。小向を過ぎると国道238号線と別れ脇道に入る。一本松はオホーツク紋別空港裏と言ってもいい場所だ。滑走路に侵入できないように厳重な柵で囲ってあった。紋別市街に入るとさすがに人家が多い。市街では多少の乗降があった。かつて紋別駅があった紋別バスターミナルで下車した。

後書き

紋別で泊まる。イベントがあったせいか、ホテルは満席で混んでいた。体調の悪さを引きずっていたので、ホテルのレストランでかに雑炊と鉄砲汁という、病人っぽい夕食をとる。かに雑炊もよかったが、鉄砲汁はかなりよかった。汗をかいて体調の悪さも改善された気がする。ただ、安い部屋に泊まったのだが部屋が暑すぎて参った。扇風機を持ってきてもらった。


初出 : 2004/07/04
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