今日は南稚内から一気に沼ノ端まで南下する。直線距離にして約300Km。そこから札幌まで行き、五日間続いた旅をひとまず終える予定である。稚内は今日も雨だった。傘を差して南稚内駅までの道を歩く。駅にはNHKの番組、「列島縦断 鉄道12000kmの旅〜最長片道切符でゆく42日〜」のポスターが貼ってあった。
早起きして1本早い普通列車に乗ってもよかったのだが、楽をして特急[スーパー宗谷2号]に乗ることにした。6両編成で、禁煙自由席の5号車に乗る。昨日名寄で見た列車だ。南稚内から乗る人は指定席券を用意している人が多く、自由席は空いていた。それでもこの後だんだん混み出してくるのだろう。
南稚内を出てしばらくすると利尻富士が見える場所がある。列車もこの区間は徐行したのだが、曇っていて何も見えない。利尻富士が遠くにあることを示す木の標だけが近くに見えた。
南稚内から11.7Km過ぎて抜海の駅を通過する。ここまで人家とは無縁な場所を走っていた。駅間距離が長いのは確かだが、利用客がいないのであれば作る必要もないだろう。兜沼には駅前に沼があった。兜沼そのものである。カッパを着てカメラを構えている人がいた。そこからサロベツ原野と国道40号線に挟まれて下沼までを往く。その間の豊富に停車。思ったよりも小さな街で、乗る人もわずかだった。豊富から14分で幌延に到着。南稚内から幌延まで、豊富以外の通過した駅はまわりにある数軒のためような駅だった。幌延で乗ったのは十数人いたが、幌延で降りたのは私だけだった。
雨が降っていたので、駅に留まって次に乗るバスを待つ。駅で待っている人が他にもいたので、私と同じバスに乗るのだと思っていたのだが、それより前に来た違う車に乗っていってしまった。豊富から来た留萌行きのバスには誰も乗っていなかった。私ともう一人を乗せて幌延駅を発った。
幌延の街を出てしばらくすると天塩大橋を渡る。気味のわるい名前と評された振老を過ぎると、確かに牧草地とまばらな家の風景となった。北川口、川口、南川口、というのは天塩川の口だからだろうか、それらの川口を経て、天塩高校でもう一人の客が降りていった。寂しくなったと思ったら、待合所がついている天塩で一人乗車。
干拓したとは思えない干拓という場所を過ぎると、更岸跨線橋を渡る。かつては羽幌線を跨いでいたのだろう。下を見ると確かに羽幌線が走っていたように見える。それにしても、雨降りだし、代わり映えのしない風景は続くし、いささか退屈だ。
遠別でも一人降りたと思ったら、また一人乗ってきた。街から外れた遠別営業所で運転士が交替。遠別営業所を過ぎるとすぐに富士見の道の駅がある。利尻富士が見えることから富士見という地名がついたのだろう。今日はどんなに背伸びをしても利尻富士は見えないだろうが。ここの道の駅は私が高校生の頃からあって、道の駅としては古くからあるほうだと思う。単調な道が延々と続き、休憩するような場所も少ないこの街道ゆえに、こういった施設を早くから作ったのかもしれない。
海沿いを走っているようでこれまでほとんど海は見えなかったが、旭温泉入口のあたりで、ひじょうに見にくいが海が見えた。しかし、歌越からバスは国道を離れ山のほうに走っていく。内陸の集落を通ってすぐに国道のほうに出た。ここからは海が見えたり見なかったりで、初山別にたどり着く。ここでは誰も乗り降りしなかった。初山別バス停はかつて駅があった場所だそうだ。築別までは意識はあったが、そこからはさすがにうとうとして、気づいたら羽幌に着いていた。羽幌は大きな街だった。本社ターミナルの次が羽幌ターミナル。本社ターミナルは沿岸バスの本社があり、それは古い建物だった。羽幌ターミナルは広い敷地にバスがたくさん停まっていた。羽幌線が廃線になった年に駅があった場所にバスターミナルを作ったとのことである。ここでまた運転士が交替。二度も替わるというのは珍しい。
羽幌を過ぎるとすぐに苫前に入る。苫前は特にターミナルがなく、国道沿いの苫前上町が中心バス停のようだ。羽幌線は苫前を過ぎると、上平、古丹別と通っていったが、このバスは内陸部にある古丹別は通らない。古丹別へは羽幌からバスが三往復するだけである。そういう需要があるかはわからないが、上平バス停は小平方面から乗り換える人のために待合所が完備されていた。
バスは国道232号線を南下して、力昼、鬼鹿とインパクトのある地名を過ぎていく。鬼鹿あたりからぽつぽつと人が乗ってきた。小平を過ぎると留萌はもうすぐである。国道を離れてより海側の集落で乗客を拾い、留萌本線の踏切を越えて左に曲がると留萌駅前に到着。ここで半分くらいの人が降りた。バスは留萌十字街が終点である。駅前は土産物屋や海産物店が多かった。雨はほとんど降っていなかった。
列車が発車する5分前に駅に着いたのだが、まだ改札が始まっていなかった。列に並んで少し経って改札が始まる。留萌始発の深川行きは1両編成だったが、それで充分だった。そんな乗客数。留萌側の最後の駅である峠下の手前で併走していた国道233号線と分かれるが、向こうには「←恵比島駅」という標識が立っていた。峠を越えてNHKのドラマの舞台となった恵比島駅に着く。ドラマの舞台になったということで訪れる人が多くいたのだろうが、この日は待合室に人形が座っているだけで、人間の姿はなかった。
石狩沼田で三人が乗車。留萌からここまで誰も乗ってこなかった。石狩沼田を過ぎると雨竜川を渡るのだが、水量が多かった。秩父別でも一人乗車。途中で降りる人は誰もいないで、終点深川に到着。深川駅で昼食としてそばを食べる。
深川から特急[ライラック12号]に乗る。禁煙自由席の2号車に乗る。空いていた。深川を過ぎてすぐに道警の警察官が歩いていた。腰には拳銃をぶらさげている。こういう世情とはいえ、なんともものものしい。滝川でもそれほど座席は埋まらず、砂川から乗る人はほとんどいなかった。砂川駅には古い連絡橋が残っていた。上砂川支線ホームへと渡る橋だと思われる。この列車に岩見沢まで乗るつもりだったのだが、気が変わって急遽美唄で降りることにした。美唄で降りたのは私のみで、乗る人が数人いた。
滝川始発の普通列車に乗る。先ほど乗った特急が奈井江で抜かした列車である。私としては慣れた1両編成だが、美唄で乗った女の子が「1両初めて」と言っていた。岩見沢から降りたときも近くに座っていた女性に「1両の列車なんてあるんですね」と声をかけられたので、この区間で1両編成の列車が走るのはたいへん珍しいようである。ディーゼルカーだから、本来は根室本線あたりを走っているのだろうか。ただ、1両編成で充分な乗客数だった。美唄で十人くらいが乗ったが、途中で乗り降りした人はわずかで、終点岩見沢に到着。
岩見沢からは室蘭本線の苫小牧行に乗る。またもや1両編成。2人がけの席に座る。発車するときにはちょうどよく席が埋まった。岩見沢から針路を南にすると、手前は田んぼだが、向こうには家が密集して見る。さらに向こうに三井グリーンランドの観覧車が見える。かつて万字線が分岐していた志文を経て栗沢に着、栗沢町の中心駅だが、一人が下車しただけだった。ここから栗丘、栗山と続く。栗山で半分くらいの人が下車。去年に栗山に来たときはほぼ満員の乗客を乗せて走る札幌行きの高速バスを見た。由仁でも五人が降りていく。乗る人はわずかで、どんどん軽くなっていく。追分で四人が乗車。ここは石勝線への乗換駅である。駅を出たあたりで貨物列車とすれ違った。しばらくは石勝線と寄り添って走る。向こうは単線だが、こちらは複線だ。列車の本数は向こうのほうが多いのだが。追分あたりからは乗客が増えていく傾向にあった。終点の一つ手前の沼ノ端で下車。
沼ノ端からは普通列車の手稲行に乗る。時間があったのでしばしば駅前を散策する。駅員もいない小さな駅なのに、タクシーがやたらと駅前に停まっていた。駅の時刻表を見ると今度乗る列車は植苗、美々、サッポロビール庭園の三駅に停まらない唯一の列車のようだ。だからどうだということはないのだが。ホームで列車を待っていると、晴れてはいるが風の強さを感じる。
苫小牧始発ではあるが、けっこう混んでいた。植苗、美々と人家がまわりにほとんどない駅を通過して、南千歳に到着。ここでそこそこの人が下車。次の千歳でも降りる人がいたが、乗る人もけっこういた。本来であれば一週間前にここで泊まる予定だったので、複雑な気持ちで街を見る。長都を過ぎると、いつの間にか快速が停まるようになった恵庭に到着。やはり地元が請願したのだろうか。快速が停まるようになったせいかこの普通列車にはあまり人は乗らない。むしろ、次の快速を待っている人のほうが多かったか。次の恵み野はまわりに家が多いうえ、快速も停まらないので乗る人が多い。島松を過ぎて北広島に到着。ここで快速エアポートに抜かされる。向こうも空席があったので乗り換えてもよかったけど、急ぐわけではないのでこのまま乗ることにする。北広島駅を発して少しすると、私の母校が見える。それを見るためにわざわざ進行方向左側に座った。西の里信号場では止まらずに、上野幌駅に到着。このあたりは私が子供の頃に比べるとかなり変わった。このあたりのかなり変わった場所を挙げていくときりがないけど。逆に新札幌から先は昔から建物が密集していたので、変わっていたとしてもよくわからない。
白石で4分停車。いしかりライナーと特急の通過待ちをする。4分で2本の列車を待つとは、タイトなダイヤだ。豊平川を渡ると札幌はもうすぐ。苗穂を経て、札幌に到着。この列車は手稲行だが、ほとんどの人が札幌で降りた。
ここで一旦この旅を中断する。この後は急行[はまなす]で北海道を脱出。翌日になって在来線と新幹線を乗り継いで、昼頃には長野県にいた。朝に青森を発って、昼には長野にいるというのは、不思議な感覚だ。