1978年の最長片道切符の旅  第6日 札幌→函館 2004/05/29

前書き

前日に仕事を終えた後飛行機に乗って札幌に着いた。その日はカプセルホテルに泊まる。翌日、札幌駅からこの旅を再開する。みどりの窓口で一日散歩きっぷを購入。2040円。長万部まではこの切符で旅をすることになる。

本編

札幌(6:53)→小樽(7:39) 120M

岩見沢から来た小樽行きの列車に乗る。岩見沢方面から乗ってきた客のほぼ全員が札幌で降りていった。札幌で9分の停車。停車している間にけっこう席が埋まっていく。7割方座席が埋まったくらいで札幌駅を発車した。これからどんどん降りていくのかと思っていたのだが、降りる人はそれほど多くなく、乗ってくる人が思ったよりも多い。札幌市外を出る頃には空くだろう、という見込みは外れて、札幌市最後の駅ほしみへと着いた。ほしみまで来るとまだ住宅は少ない。ここまでは札幌が大都市であることを実感する沿線風景だった。

次の駅は銭函だが、この駅の駅名標には「はりうす」と書かれていた。その次の駅、張碓は臨時駅でかつては海水浴のシーズンは停車する列車もあったのだが、今では廃駅同然の状態となっている。その張碓駅をちらりと見ることができた。ちなみに、次の朝里でも「はりうす」の文字が駅名標に残っていた。いっそ正式に廃止にすればいいと思うのだが、何らかの事情があるのか。

マイカル小樽の最寄り駅である小樽築港を過ぎて、次の南小樽で降りる人が多かった。やがて終点小樽に到着。

小樽(8:07)→倶知安(9:19) 2932D

長万部行きの普通列車は1両編成だった。私はホームで入線を待っていたので座ることができたが、ちょうどバレーの試合があるらしく、そういう格好をした高校生らしき団体が多数乗り込んできた。ぎりぎりで接続する列車に乗っていたら着席もおぼつかなかったかもしれない。バレーの試合がなければちょうどいいくらいの乗車率だっただろうが、なんのための大量輸送ができる鉄道なのかとも思ってしまう。観光客らしき人も乗っていたが、こういう状態が続けば辟易するだろう。

この区間の普通列車は全部1両編成なのかと思ったが、蘭島ですれ違った普通列車は2両編成だった。山がちな場所を走っていて、海はたまにみえるくらいだ。

余市でバレーの団体が下車し、ようやく車内が落ち着いた。余市から仁木にかけては果樹園が多い。仁木でも高校生が降りる。ここまで雨っぽい天気ではあったが、仁木の時点でかなり雨が激しくなってきた。驟雨の中、上り坂にさしかかっていく。然別ですれ違った小樽行きも2両編成だった。銀山を過ぎてトンネルを抜けると今度は坂を下っていく。このあたりは山の中だから駅間距離が長い。かつて岩内線が分岐していた小沢に着。本屋側に岩内線のホームがあったようだ。ここで数人が乗ってくる。そして倶知安に着。雨はまだ降っていた。

倶知安駅前(10:51)→伊達駅前(13:15) 道南バス(胆振線代替)

倶知安では時間がある。そもそも列車とバスの接続がすごぶる悪い。倶知安から伊達紋別に行くバスは一日3本しかない。そのうち18時55分の便だと暗夜行路になってしまう。7時10分の便に乗るには倶知安で泊まる必要がある。そうなると10時51分の便に乗ることになる。ところが、そのバスに間に合おうと思えば、倶知安着9時19分着の列車に乗らなければならない。倶知安で1時半以上待つことになる。次の列車は倶知安着10時54分着。たった3分前にバスが行ってしまう。実際には駅とバス乗り場は少し離れているので同時間に発着されても困るのだが、それにしても列車にバスが接続するようにはできないのだろうか。そういうわけで時間があるので、雨の倶知安をぶらぶらして、そばを食べた。もしかしたら便宜的に10時54分の列車を待って発車するのかとも思ったが、そういうことはなかった。倶知安駅前では乗客は三人だったが、町中で客を拾って七人になった。

バスは羊蹄山の山裾を通る国道276号線を走っていく。晴れていれば羊蹄山がきれいに見えるのだろうが、今日は上のほうが雲に覆われている。京極町に入って、京極農協前というバス停に着く。京極といえば名水が有名で、その名水がわき出るふきだし公園の最寄りバス停ということで「ご利用の方はここで降りられると便利です」というアナウンスが流れる。しかし、降りる人はいなかった。

京極町内で数人が降り、喜茂別までで倶知安から乗ってきた人は全員降りていった。一日3本しかない伊達紋別まで行くバスではあるが、利用客が少ない故のこの本数であるということを実感する。喜茂別から若者二人が乗ってきて、三人で後志から胆振へと進むことになった。喜茂別は思ったよりも小さな街だった。アスパラガス罐詰工場は見あたらなかった。

鈴川跨線橋という橋を渡る。下を見ると確かに胆振線の跡らしき線が確認できた。それを目で追いかけるとすぐにビニールハウスにぶつかった。双葉という集落を過ぎると人家がなくなる。そのあたりでちょうど倶知安行きのバスとすれ違う。客は全くいなかったか、もしくは一人乗っていたか。とにかく利用者は少ないようだ。清原というバス停を通るが、御薗に通じる道路が合流するだけの場所だった。国道276号線はこのまま真っ直ぐ支笏湖方面につながっているが、そちらに行くわけにはいかないので、右折することになる。ここからは国道453号線になる。

三階滝入口バス停から大滝村域に入ってくる。それより前に町村境はあったが、とにかく山の中なので境を意識することはなかった。大滝バス停で時間調整のため3分停車。大滝よりも周囲が賑やかだった優徳を経て、北大セミナー前というバス停で、喜茂別から乗ってきた二人が下車した。おそらく彼らは北大生だったのだろう。札幌から喜茂別を通るバスに乗ってきて、このバスに乗り継いだのだろうか。

北湯沢はテレビコマーシャルで有名な大きなホテルがある。といっても、北海道以外では放送していないかもしれない。何も知らずに胆振線に乗ってこのホテルを見たらびっくりするだろう。車もけっこう停まっているようだった。蟠渓温泉の次は盤渓駅前というバス停になる。駅前、というのは他でもない胆振線の蟠渓駅で、バス停の近くには今でもホームが残っていた。おそらく胆振線が健在のときからこの名前がつけられていたのであろう。

蟠渓を過ぎると壮瞥町に入る。壮瞥は果物が特産らしく、「そうべつくだもの村」という看板があった。そこには顔と手足がついた大きなりんごが小さなりんごを持っているという、シュールな絵が描かれていた。壮瞥はアイヌ語で「滝のある川」という意味だそうだが、川を意味するアイヌ語を「別」という漢字に置き換えた地名が多い中で、ここだけ「瞥」という難しい漢字を使ったのは何故だろう。

壮瞥駅前というバス停がある。ここも胆振線があった頃からのバス停名のだろうか、どこに駅があったかはまったくわからなかった。少しすると北の湖記念館前というバス停がある。往年の横綱、北の湖は壮瞥町出身だそうだ。若い女性が一人乗ってきたが、おそらく北の湖記念館を訪れたわけではなくて、地元の人だと思う。この記念館の近くに馬がいた。この旅で馬を見たのは初めてである。日高本線に乗ればたくさん見られるのだが、そういえば、ここまで馬とは縁がなかった、と思い返す。壮瞥町内から乗ってくる人は多い。はるばる倶知安から来たこのバスだが、需要は頭と後ろに集中していた。

伊達紋別に近づいていることを、道央自動車道を見て識る。ここまでの風景を対比させると、なんか近未来の造形物だ。そして、長和で国道37号線と合流。ここまで来ると室蘭本線も見える。そして伊達の中心街の手前で渡ったのがその名も胆振線跨線橋。下を見れば細い道が通っていた。伊達の中心部は駅から少し離れた市役所の近くで、このあたり降りていく人が多く、駅まで行く人は少なかった。

伊達紋別(14:19)→長万部(15:22) 438D

伊達紋別は小雨だった。軽く駅前を散歩して、東室蘭から来た長万部行きの普通列車に乗る。今まで普通列車は札幌に乗り入れる列車以外は1両編成だったのだが、この列車は2両編成だった。もっとも、伊達紋別ですれ違った東室蘭行きは1両編成だったが。このあたりは道南随一の穀倉地帯だけあって田んぼが多い。長和を経て有珠に着。有珠山が見えるとはずなのだが、曇っていて何も見えない。次の洞爺は洞爺湖観光の玄関口だが、虻田町に属している。地元の人が多く降りていった。洞爺を過ぎると海が見えた。白っぽい海と白っぽい空でその境界が曖昧になっている。このあたりは海とトンネルが交互に繰り返される。豊浦、大岸を過ぎると礼文で、宗谷の島に来た感覚になるが、無論違う。次はその筋の人にとっては有名な小幌。私は後ろの車両に乗っていたのだが、すぐ後ろがトンネルという状態だった。まさにトンネルとトンネルの狭間の駅だ。乗降はなかった。ここからいよいよ胆振を出て渡島に入ることになる。小集落の静狩、ほとんどまわりに人家がなかった旭浜を経て、終点長万部に到着。ここまで来た客は五人だった。ホームに出るとちょうど小樽から来た2両編成の普通列車が入線してきた。

長万部(15:27)→森(16:07) 5014D 特急[北斗14号]

長万部からは[北斗14号]に乗る。長万部からは一日散歩きっぷは使えないので函館までの乗車券を伊達紋別駅で買っておいた。この特急は函館行きだからそのまま終点まで乗っていればいいようなものだが、現在全ての特急列車は森から大沼公園を経て函館へ向かっている。これだと最長片道切符の旅にならない。森からは渡島砂原を回らなければ行けないのである。しかし、切符は長万部から大沼公園経由の距離の運賃で買うことになる。そういう決まりになっている。

[北斗14号]の7号車に乗る。だいぶ空いていた。有珠山、羊蹄山、駒ヶ岳の三山が見えると「原典」には書かれているが、いずれの山の見ることができない。黒岩を過ぎたあたりで晴れてきて、海の向こうに駒ヶ岳の一部を見ることができた。水たまりが少しある程度だったのでこのあたりではそれほど雨が降っていなかったのだろうか。八雲の手前に新八雲駅の看板がある。ここに北海道新幹線の駅ができるらしい。この後、道南では北海道新幹線という文字列を多く見かけた。八雲での乗り降りは見た範囲では数名だった。

晴れていたのに、森に近づくとまた曇ってくる。わけがわからない天気だ。森では出口に通じる跨線橋がホームの後ろ側にあった。私は後ろ側の自由席に座っていたので楽だったが、前側の指定席に座っていた人は延々と歩くことになる。

森(16:20)→函館(17:49) 5884D

ホームの向かい側に停まっていた普通列車に乗る。これが砂原回りの函館行きである。先客は誰もいなかった。発車5分くらい前に地元の若者風が乗ってきた。結局、私を含め二人しか乗客はいなかった。向こうのホームでは函館方面から2両編成の列車がやってきた。森で切り離して前側が長万部行きに、後ろ側が大沼公園経由の大沼行きとなる。

東森、尾白内、と誰も乗らず、掛澗でようやく一人乗ってきた。閑散としている。町名を名乗っている渡島砂原の駅前は今までとそれほど変わらず、乗客もない。鹿部も町の中心部からはかなり離れていて、駅舎はそこそこ立派だがまわりは寂しい。ここで森から乗っていた人が降りていった。形がいいと評される駒ヶ岳だが、おぼろげに見える程度だった。

流山温泉はわりと新しい駅で、右に目をやると林の隙間から大沼が見える。左に目をやるとなぜか新幹線があった。池田園を過ぎて、大沼の手前で大沼公園方面からの線路と合流するのだが、その線路から1両編成の列車がやってきた。森で見た大沼行の普通列車である。それを追いかけるようにこちらも大沼駅に向かって走る。あちらに少し遅れて駅に到着。大沼止まりの列車からこちらの函館行きの列車に乗り換えるには跨線橋を渡る必要があり、その点は不便だ。十人弱の人が乗り換えてきた。

小沼の湖岸を通り、ゴルフ練習場前と名乗ってもよさそうな仁山を過ぎると、渡島大野に到着。ここは北海道新幹線新函館駅の予定地で、ご多分に漏れず北海道新幹線の看板が立っていた。次の七飯に着く前に遠くから見るとモノレールに見える建造物があったので何かと思ったら、通称藤城線と呼ばれる函館本線の別線だった。下りの優等列車がこの線を通過する。北海道新幹線ができたら優等列車も新函館駅に停車すると思われ、現在の渡島大野を通らない藤城線は用無しになってしまうのだろうか。七飯では多くの乗降があり、次の大中山、桔梗でも乗ってくる人が多かった。客層からして、函館でなにかの会合があるようだ。最初は寂しい車内だったが、最後は賑やかになって函館に到着。

後書き

函館は雨が降っていなかった。北海道最後の夜だが、面倒くさくなって、駅の二階で飯を食った。


初出 : 2004/07/11
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