本当はこの前日に横手に行って、そこからこの旅を再開するつもりだったのだが、寝過ごしてしまい計画変更を余儀なくされた。結局前日はまるまる一日を移動日に充て横手に泊。そして、今日は朝からこの旅を行うことになった。切符は三連休パスを使った。JR東日本全線、JR北海道の一部、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道、伊豆急行、北越急行の特急、急行列車の自由席が乗り放題で28000円。指定席は4回という回数制限の範囲内で使える。昨日から使っているので、今日、明日と引き続いてこの切符のお世話になるということになる。
院内から来た列車。横手で新庄行きの列車と交換するのだが、新庄行きは院内以南が大雨の為運転を見合わせているという。この列車も若干発車が遅れたが、これは駆け込んできた高校生を待っていたからのようだ。田んぼの中を走ること17分、大曲に到着。
大曲では駅の近くの店が朝8時には開いていたので、そこでカレーを食べた。
あらかじめこの列車の指定席券を持っていて、いざそこに行ってみると女性が座っている。特定特急券で乗っているのかと思ったら、なんと同じ席が重複して発行されていた。車掌が来たら話すということで後ろの席に座ったのだが、落ち着いて乗りたいが為に指定席券をとっておいたのにこのままではどうにも落ち着かない。こちらから車掌室に行ってこの件を話すことにする。確認するということで、一時席に戻ることにするが、列車は角館に到着。ここで私が座っていた席にも人がやってきた。とりあえず隣の席に移って座っていると、車掌が来た。結局、盛岡まで空いている席を言われて、そのうちの好きな席に座るように言われる。例の女性にはだいぶウケていたようだ。ネタとしては面白いが、こちらとしてはわざわざ指定席を確保した意味が半減したようで、笑えない。
田沢湖を出てしばらくすると県境を越えるべく仙岩トンネルに入る。トンネルを抜けると窓ガラスに水滴がついていた。どうやら雨が降っているようだ。山を抜けて里に入って駅が見えた。赤渕駅で、ここから少しの間国道46号線と並んで走る。車と新幹線が並んで走るのは変な感じだ。里に入ったら晴れていて窓ガラスの水滴もいつの間にか乾いていた。大釜で列車交換待ち。単線だから仕方がないのだが、これも新幹線っぽくない。ここを出るやいなや盛岡到着を告げる車内放送が流れた。その中間、盛岡インターチェンジのあたりには、イオン盛岡ショッピングセンターなどの店舗が集まっている。ここに駅を作らないのは路線バスの既得権を守るためなのかもしれないが、ここに駅がなく列車が素通りするのはもったいないような気がした。
この盛岡10時48分発快速[リアス]は、盛岡から宮古に行く一番列車である。盛岡−宮古間はバスが主力となっている。盛岡市の中心部を経由し、運行本数は鉄道とは比べものにならない。そういう状況なのだが、車内は混んでいた。子供が「キハ52」と騒いでいる。それくらいは私にもわかる。だって書いてあるから。書いてなければ子供の声でこの列車の形式を知っていたであろう。
盛岡を出ると盛岡の中心部の北側を東に進む。その中心部を遠くに眺める。上米内までは各駅に停まる。上盛岡、山岸と数人が乗降した。次の上米内では盛岡行きと交換する。あっちもけっこう人が乗っていた。カメラを持ったマニアらしき人が二人ホームに立っていた。
上米内を過ぎると快速らしく何駅か通過していく。そして、上米内を過ぎると林間鉄道になった。通過していく駅も、これは快速が通過するのもやむを得ないというような駅が続く。中にはここに駅があるのも不思議な箇所もあったが、おそらくは利用客がどこかにいるのだろう。区界では停車。何人か降りていった模様。あたりにペンションがあった。それなりの集落を形成している川内はなぜか通過。ここまで何もないところを通ってくると、川内くらいの規模でも停まるべきだというように思えてくる。ただ、猿を乗せるまでもなく車内は混んでいる。ほとんどが盛岡から宮古まで乗り通す客なのだ。川内を通過したときにちょうど正午を知らせる音が鳴っていた。陸中川井は川井村の中心地ということで、ここには停まる。数人が乗ってきた。
陸中川井を過ぎると、次は茂市に停まる。岩泉線は乗り換えで乗り換え列車の案内をしていたが、その列車の出発時間は約3時間後である。次の列車に乗っても間に合う。盛岡で駅弁を買っておいたのだが、盛岡からずっと向かいに中年の夫婦が座っているので食べづらい。次の列車に持ち越すことにする。茂市を過ぎると、次は終点の宮古。
3番線に着いて、跨線橋を渡って1番線の列車に乗り換える。既に車内はだいぶ混んでいた。なんとか空席を見つけてそこに座る。買い物帰りの客が多いようだ。津軽石でだいぶ人が降りていったので、ここで盛岡で買っておいた駅弁を食べることにする。いちばん前のロングシートに座っていたので、期せずして前方の景色を見ながらの昼食となった。津軽石の手前までは海が見えていたが、ここから林の中に入っていく。やがて陸中山田に到着。山田線の名前はここからきている。そこそこの乗降があった。
浪板海岸は海岸というだけあって、手前に海岸が見えた。珍しい名前で有名な吉里吉里を経て、大槌に入る。駅員もいるようだ。
鵜住居では若者がこぞって乗ってきた。近くに高校があるので、そこの生徒だろうか。両石は当時は通過する普通列車もあるというのも肯けるまわりの風景だった。
向かい側のホームに停まっていた快速[はまゆり6号]に乗る。乗り継ぎの客が多かった。かなり座席が埋まった状態で釜石を出発する。次の小佐野はまだ釜石市街が連続していて、その証左として快速も停まる。十人くらいが乗ってきた。小佐野を過ぎると車内改札があった。陸中大橋は釜石鉱山に近い駅で、今は鉱泉水が主力商品らしいが、この快速列車は停まらない。ここから上有住までは北に進んだ後、南に旋回した後に、西に進むという、進む方向を激しく変えて進んでいくのだが、乗っている身としてはどちらの方向に進んでいるのかよくわからなかった。トンネルに入るので余計にそうだろう。とにかく次の上有住を通過する。
岩手上郷の次に停車するのが、沿線随一の観光都市、遠野である。確かに車内から見る遠野は普通の街だったが、ホームで列車を待っている人の数を見て仰天した。百人以上はいただろう。その人がこの列車に乗り込んできて、車内はだいぶ混みあってきた。やはり、遠野から乗ってきて座りたいと思うのであれば、指定席を確保しておいたほうがよさそうだ。
道と川と橋くらいしか見当たらない鱒沢に停車し、次の宮守は宮守村の中心地ではあるが、駅前は寂しかった。利用客もそれほどいなかったと思われる。次に停まる土沢もそれほど利用客はいなかった。
次に停まるのは新花巻で、東北新幹線の乗り換え駅である。駅の手前は田んぼばかりで、本当に新幹線と釜石線の接点というだけで作ったような駅だ。さすがに降りる人は多く、車内がだいぶ空いた。ほとんどの人が新幹線に乗り換えるのであろう。私は次の花巻で下車。ここで降りる人も多く、席にも空きができた。この列車はここから方向を変え、盛岡に向かう。
小腹が減っていたので花巻でそばを食べる。花巻は2ヶ月前に夜行バスに乗るために訪れており、あのときは夜だったこともあり人も少なく寂しい限りだったが、今日は駅前に人が集まっていて賑やかである。この差を感じつつ、次に乗る列車を待つ。
一ノ関行きの普通列車は4両編成のロングシート。花巻から乗る人も多かったが、既に乗っている人も多く、なんとか座席を確保することができた。
花巻から北上までは10分ちょっとで近い。一日前に来たばかりだ。ここでは下車せず通り過ぎる。一ノ関に向けてそれなりに人は降りていくが、思ったよりも一ノ関まで乗り通す人は多い。
一ノ関で駅弁を買って、ホテルで食べて夕食とした。大通りで宮交栗原バスを見かけたが、客が一人しかいなかった。一人でもいただけいいのか?