1978年の最長片道切符の旅  第11日 一ノ関→水戸 2004/07/19

前書き

ホテルを6時前に出て駅へと向かった。

本編

一ノ関(6:02)→気仙沼(7:27) 325D

1両編成の「さかり」行きに乗る。駅の正式名称は盛なのだが、駅にある時刻表などには平仮名で表記されている。「もり」と読んでしまうからか、盛岡と混合してしまうからか。一ノ関の時点での乗客は5人。朝早い列車の割には乗っているな、と思った。

陸中門崎、陸中松川と乗客があって、観光地として有名な猊鼻渓に到着。観光地の最寄り地というよりは、東山町の中心地という感じの駅前だった。当然、朝早くなので観光客もいない。

駅前に高層の住宅もあった柴宿で数人乗ってきたが、次の摺沢でどっと人が降りる。どっとと言っても十人強だが。摺沢は駅が立派で、それなりに利用客が多いのだろう。ナベヅル路線と揶揄される大船渡線ではあるが、需要がある猊鼻渓や摺沢を経由するルートは悪くないと思う。乗っている方も太陽の位置がなんとなく変わったかという程度しか遠回りをしている感覚がない。

摺沢から千厩までは9.2Kmの距離があるのだが、途中に一つも駅がない。確かに閑散とした場所ではあったが、このあたりは遠回りしていることへの埋め合わせだろうか。千厩は駅前を見るとくたびれた街という印象だが、町の中心部と駅は少し離れているようだ。千厩を発車した時点の乗客は、おばさんと明らかな旅行者と私の三人。

矢越、折壁、新月と人が乗ってくる。ここはまだ岩手県だが、大きな街に出るのであれば、一ノ関よりは気仙沼のほうが近い。次の気仙沼は宮城県。二人くらいを除いて全員がここで降りた。

気仙沼(8:35)→前谷地(9:27) 3920D 快速[南三陸2号]

快速[南三陸2号]は4両編成だった。4号車は指定席である。1号車と3号車は普通のボックスシートだったが、2号車はリクライニングシートで、座席のグレードが違う。そういうわけで2号車に乗る。気仙沼の時点で乗る人が多いが、座席が全て埋まるほどではなかった。前の列車に乗っていて気仙沼で降りなかった明らかな旅行者が、気仙沼の駅にいてびっくりした。おそらく、途中で降りて気仙沼まで引き返してきたのだろう。

気仙沼を出ると南気仙沼に停まる。港へは南気仙沼のほうが近い。駅前も気仙沼の南の玄関口と言っても差し支えないがないという印象を受けた。それなりに乗ってくる人はいた。南気仙沼を過ぎると大島が見える。海の向こうに山が見えるな、と思ったら、後ろの方に座っていた子供が「あ、大島だ」と言っているのを聞いて、大島であることを知った。山は亀山というようだ。

大谷海岸を通過。海の近くの駅で、泳いでいる人が見えた。本吉ではワンマンの気仙沼行きと交換する。乗る人いたが、降りる人もいる。

本吉からは気仙沼線の中では新しくできた区間だけあって、トンネルが多い。歌津は無人駅のようだが、乗る人は多かった。仙台に乗り換え無しで行けるのだから、やはり便利であろう。高台にある駅で、向こうの方に海が見えた。次に停まるのは志津川で、大きな街だったが、歌津よりは乗る人は少なかった。むしろ見えた範囲では降りる人のほうが多いくらいか。

陸前戸倉のあたりで三陸の海に別れを告げ、平野部に入っていく。柳津、陸前豊里と仙台へと向かうであろう人を乗せて、前谷地に到着。この列車は先に進むが、私はここで降りる。

前谷地(9:52)→石巻(10:13) 1633D

前谷地始発の石巻行きという列車に乗る。3両編成。仙台から来た快速[南三陸1号]から乗り継いで来る人もいて、席はだいぶ埋まった。途中の駅からも乗ってくる人は多い。鹿景山では、日差しを避けるように屋根がある日陰の部分に人が集まって列車を待っていた。石巻の直前で、仙石線のあおば通行きとすれ違う。このあたりの乗り継ぎは考慮されていないらしい。

石巻(10:42)→仙台(12:02) 1024S

そういうわけで、次の仙石線までは少し時間がある。既に列車は入線していたので乗ってしまうことにする。4両編成なのだが、後ろの1両だけがセミクロスシートで、前の3両はロングシートである。乗ったときには後ろの席が充分空いていたので、そこに座ることにする。後ろの車両は改札口に近いということもあってか、発車間際にはだいぶ席が埋まった。

石巻を出た後も市街地が続き、家がとぎれることがない。蛇田を過ぎたあたりであたりに家がなくなったが、新駅開設を促す看板が立っていた。

途中、小さな駅で簡易suicaリーダーを見かける。首都圏では当たり前の風景だが、それを仙台圏で見ると意外に感じてしまう。陸前小野から野蒜の間で鳴瀬川を渡る。この箇所の線路は2000年に付け替えたもので、見ただけで新しいものだとわかる。このとき少しの間海が見えた。東名から陸前富山までは紛れもなく海沿いを走る。何かの養殖をしていた。

高城町を過ぎた地点で、前から列車がやってきた。このあたりはまだ単線ではなかったか?と思ってよく見たら、東北本線の列車だった。確かにこのあたりは東北本線と仙石線が接近して走っている。次の松島海岸では観光地の最寄り駅らしく多くの人が乗ってきた。駅の周辺には人がいっぱい。近くの駐車場も車がいっぱいで、確かに三連休の最終日で賑わっているのはわかるが、人が集まりすぎのような気もする。

東塩釜では、左手が港湾、右手が住宅という風景になる。都市に入ってきたなと思う。本塩釜、多賀城とそれほど人は乗らなかったが、東塩釜からは列車の本数が多くなるので、客が分散しているのだろう。小鶴新田は最近できた駅だが、駅前は作りかけのマンションが多数あり、これからの駅という感じだった。陸前原ノ町からは地下に潜る。終点の一つ前の仙台で下車。だいたいの人が降りていった模様。

仙台(12:24)→福島(13:24) 8572M 快速[仙台シティラビット72号]

駅のコンコースで軽く食事を済ませ、福島行きの[仙台シティラビット72号]に乗る。土曜、日曜、休日しか運転されない臨時列車である。途中は岩沼と白石しか停まらないという、福島まで行く客にとってはありがたい列車である。そういうありがたい列車なのだが、やばいくらいに空いている。むしろホームで次の各駅停車を待っている人のほうが多いくらいだ。しつこいくらいに途中は岩沼と白石にしか停まらないというアナウンスを繰り返していた。

私が乗っている車両は5、6人くらいしか乗っていないという状態で仙台を発つ。次の停車駅である岩沼で仙台空港から来たと思われる親子連れが乗ってきた。それでも降りる人もいたから、それほど乗客は増えていない。

船岡のあたりで車内改札が行われる。三連休パスを出したら「ありがとうございます、お気をつけて」と返された。ここまで丁寧な乗務員も珍しい。大河原を過ぎて、白石川に沿って走るあたりで雨が降ってきた。路面がだいぶ濡れているから、前から降っていたようだ。

白石でもそれほどの乗降はなく、このまま終点福島に着いた。青春18きっぷが使える時期であれば混んでいるのだろうが、時間が中途半端だったこともあってか本当に客がいなかった。時期によっては停車駅を増やすということをしたほうがいいようにも思う。

福島(13:41)→郡山(14:28) 1136M

快適な快速列車から一転、普通の普通列車に乗る。3両編成のロングシート。高校生がけっこう乗っていて、そこそこ座席は埋まった。

南福島までは市街地が続くが、そこを過ぎると森の中に入る。福島から乗ってきた人が降りる一方、今度は郡山へ行く人が乗ってくる。二本松あたりから乗ってくる人のほうが多くなってきた。私自身、だいぶ疲れてきていて、このあたりはだいぶ朦朧としていた。

郡山(15:07)→いわき(16:38) 736D

郡山からは磐越東線に乗っていわきまで行く。東北本線の福島−郡山間は何だかんだで一年に一回は乗っているが、磐越東線に乗るのは二回目で、次に乗るのもいつのことだかわからないから、しゃきっとしていなければいけない。

接続する列車が遅れているということで3分くらい遅れて出発した。舞木を過ぎると三春に着く。春の花である梅、桃、桜の花が同時に咲くということから三春と名付けられたとのことだが、今は夏である。

次の要田では快速[あぶくま]と交換をする。向こうは運転停車である。快速とは言っても、車両は普通のものと同じだ。乗客はそこそこいた。

次の船引は駅の工事をしていた。「警報がなったらお待ちください」という看板があったが、警報の振り仮名に「カンカン」と振ってあった。もう一度確認しようと思ったのだが、列車が発車した後だったので確認がとれなかった。この駅で降りる人は多かった。

小野新町では大部分の人が降りていくが、乗ってくる人もそこそこいた。前回、磐越東線に乗ったときはお盆の時期で、郡山では大混雑だったのがだんだん降りていき、小野新町に着いた頃にはほとんど乗客がいなかった。どちらにせよ、小野新町止まりの列車のほうが多いくらいなので、そういう需要になっているのだろう。

夏井を過ぎると磐城に入るからか、車内改札があった。このあたりは山深い。小川郷の手前で里に降りてくる。やがて平の街に到着。当時は駅名は平だったが、今ではいわきに名前を変えている。

いわき(17:23)→水戸(18:23) 50M 特急[スーパーひたち50号]

いわきからすぐに接続する普通列車に乗ったほうが若干早く水戸に着くのだが、その普通列車をホームで待つ人の群れを見て、次の特急列車に乗ることにする。ここでは指定席には乗らずに、自由席に乗ることにする。仙台から来る特急だったが、既に乗っている人はそれほどおらず、楽に座席を確保することができた。

いわき市内はいわきから内郷、湯本、泉、植田、勿来と駅があるが、いちいち停まると各駅停車になってしまうので、内郷と植田は通過する。内郷の手前にあった新興住宅街に目を見張った。線路沿いにあれだけ広々としたした住宅地は初めて見た。

湯本で団体が乗ってくる。日本人ではないアジア人のようだった。二十人くらいの団体だ。次の泉でも数人が乗ってくる。駅の手前で福島臨海鉄道が合流してきた。次の植田は通過して、その次の勿来に停車する。駅前の規模としては植田のほうが大きいような感じを受けた。途中、鮫川を渡る。上流にあるのが鮫川村である。1923年まではこのあたりも鮫川村を名乗っていたが、町制施行するときに植田町に名を改めている。

勿来を過ぎると茨城県に入る。茨城県に入って、ここまでの道程をふりかえり、思わず感傷的になってしまった。国道6号線と並行するのだが、さすがは特急、自動車をどんどん抜かしていく。

茨城県では磯原、高萩、勝田と市の中心駅を通過していくのだが、日立には停車する。さすがに日立は無視できないということか。降りる人もいるが、乗る人はもっといて、座席がだいたい埋まった。私は次の水戸で降りた。

後書き

水戸で駅弁やらビールやらつまみを買い込んで、水戸18時50分発[フレッシュひたち52号]の車内で一人祝杯をあげる。ここは飲み食いする予定だったので、指定席をとっておいた。隣席に人がやってこなかったので、気兼ねなく飲み食いできた。石岡のあたりで常陸野の空に浮かぶ夕焼けの赤に染まった雲を見た。柏で降りて、そこから常磐線、武蔵野線、東上線経由で帰宅する。


初出 : 2004/10/03
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