この日から4日間、自宅からの日帰りで旅を進めていく。本当は3日で済むはずだったのだが、前回の寝過ごしのツケが回って、4日間を必要としてしまった。夏休みまでに休みをとれる日が4日しかないというぎりぎりの状況だが致し方ない。
自宅最寄り駅の志木から前回の帰路を逆戻りする形で水戸へと行った。今日は青春18きっぷを利用するので、特急には乗らず普通列車を使って水戸まで行く。
水戸の駅は驚いたことにやたらと人がいる。今日は水戸で何かあるのだろうか。水戸には何度と無く来ていて、確かに賑わいはあるのだが、こんなに人が多いことは初めてだ。昼食用のパンを買って、水郡線のホームへと行く。
4両編成だったが、後ろ2両が常陸大子止まり、前2両が郡山まで行くということで、先頭車両に乗る。まだ9時6分発の常陸太田行きが発車していなかったのだが、既に多くの人が乗っていた。
水戸を出発すると、すぐに複線の常磐線と別れる。単線の水郡線は線路のあたりに夏草が繁っていた。次の常陸青柳でいきなり水戸行きの列車と交換する。立って乗る人もいるくらい混んでいた。下菅谷で交換した水戸行きも混んでいた。今日は特別なのか、いつもこうなのかは不明である。上菅谷では先に行った常陸太田行きの列車が待っていた。この列車に乗って常陸太田方面に行く人にとってはありがたいが、向こうにとってみれば、先に行ったにもかかわらず次が来るまで待たされることになり不愉快かもしれない。
常陸大宮は今では大宮町の中心地だけど、今年の10月には常陸大宮市の中心地となる。確かに駅のまわりの風景は「市」っぽい。降りる人が多くいた。しばらくすると久慈川が見えてくる。何度か久慈川の上を橋で渡る。それにしても水がきれいな川だ。水はどこでもきれいというが、それも今は昔という気がする。川には釣り人が多い。鮎でも釣っているのだろう。水につかって釣っている人が主だ。温泉と滝で有名な袋田は観光地の玄関口らしく降りる人がけっこういた。袋田の次が常陸大子で、奥久慈の中心らしく降りる人が多い。しかし、ここで4両が2両になるわけで、混雑度という意味ではさほどむしろ上がったようだ。
短くなったこの列車は、いよいよ茨城県から福島県に入っていく。水田の薄い緑と森の濃い緑のコントラストが美しい。矢祭山から福島県に入る。ちょっとした観光地で、鮎や団子を焼いて売っていた。次の東館は矢祭町の中心の駅で、多くの人が下車していった。矢祭町といえば特色のある町政で有名だが、見た目ではそういったことはわからない。南石井のあたりで水戸で買ってパンを食べ始め、磐城塙に着く頃に食べ終えた。
磐城浅川は水郡線の中でいちばん高いところにある駅らしい。海抜306メートルとのこと。浅川町は花火の町らしい。それはいいのだが、花火の里ニュータウンという名前はいかがなものだろうか。住宅地の名前に花火は相応しくないように思う。磐城石川は駅前はさほど賑わっていないが、駅から少し離れたところに中心地があって、けっこう人の往来があった。バスに乗ったのでそのことを知った。列車で通り過ぎるだけでは分からないこともあるということである。
列車は北に進んでいく。あぶくま高原道路の下をくぐると泉郷に到着。福島空港から車で5分とのことである。あたりを見回すと、水戸から乗り通している人はたいてい眠っていた。磐城守山では、ジェラルミンケースのようなものを列車から男に渡していた。「磐城石川←→磐城守山」と書かれていたので、磐城石川から載っていたのであろう。東北新幹線が見えてきて、それをくぐる。ここまで来るともう安積永盛に到着。
4両のロングシートだが、だいぶ席が埋まっていた。安積永盛から乗ったのは近くに通っていると思われる高校生が主だったが、青春18きっぷで東京まで行くと思われるような人もだいぶいた。黒磯での乗り換えを考えていちばん前の車両に乗る。
福島県を南に下る。「ほんとの空」も今日は白っぽい。白河の関を越えて新白河まで来ても乗客は減らない。奥州三関といえば、鼠ヶ関、勿来、白河だが、この三関いずれも北から南へと越えたことになる。北から南へと進んでいるのだから当然だと思うかもしれないが、三回も南へ進んでいるということは、二回は北へ進んでいるということになる。新白河で10分停車する。新幹線との接続のためだろうか。黒磯での接続時間の短さを考えると、さっさと行ってほしいところなのだが。白坂を過ぎると栃木県に入る。
黒田原は栃木県なのだが、郡山へ買い物に行ったと思われる人が降りていった。直通する列車があるということで、黒磯以北は郡山の商圏なのか。高久を発車したあたりで、もう次の黒磯で乗り換えるために席を立って前の方に陣取っている人がいる。気が早い。
黒磯では3分接続だが、乗り換えは問題なくできた。黒磯始発の宇都宮行きは5両編成だった。前の列車に乗っていた客の多くが乗り換えたと思われるが、見渡してみると乗客は多くなかった。那須塩原では新幹線が停車し、那須観光の拠点となっているからか乗る人が多かった。
宇都宮に近づくにつれ客は増えていく。宇都宮に到着する頃にはだいたい席が埋まっていた。
普通列車上野行きに乗る。10両編成でかなりの余裕がある。前の方の車両は特に空いていた。 宇都宮を出ると雀宮だが、この間の距離がかなり長く7.7Kmもある。途中に駅を作れという要望はないのだろうか。
自治医科大学にある建物が奇抜で目を引いた。前のグラウンドでなんかのスポーツの練習をしていた。自治医大の駅前に医療書を扱う書店があるのはさすがである。
小金井の手前で東北新幹線に抜かされる。その小金井で4分の停車。次の小山で下車をする。小山に着いてもそれほど乗客は乗ってこなかった。この時間の栃木県で10両編成は持て余し気味なのかもしれない。
水戸行きの普通列車に乗る。4両編成で、乗車率は50%くらいか。小山を出るとすぐに今は廃止された東北本線と水戸線の短絡線と合流する。次の小田林は一部の列車は通過する。次の結城は結城の中心駅だから当然停車する。その次の東結城も通過する列車がある駅。一人が乗った。玉戸は下館の郊外で、病院があったり大型店があったりしていた。その次が下館である。大部分の人が下車する。ちょうど真岡鐵道のSLがホームに停車していて、煙を吐いていた。
次の新治では対向列車の交換待ちで6分ほど停車した。扉が開けっ放しで、トンボが車内に出たり入ったりしている。大和を出た辺りで山が線路へと近づいてくる。岩瀬では団体貸切列車「せせらぎ」と交換。昼間からおっさんがビールを飲んでカラオケをしていた。
笠間では中学生の団体などが乗ってきて、静かだった車内が騒がしくなった。
17時ちょうどに[フレッシュひたち44号]が友部駅を発車した。乗る人がかなり多かったので座れるのかと思ったが、ここまで乗る人はそれほど多くなかったようだった。それにしても、友部からあんなに特急に乗る人がいるとは思わなかった。
私が今度乗る土浦行きは時刻表に「2階建普通車連結」と書かれていた。しかし、見たところ普通の列車だ。とりあえず乗り込む。8両編成だったが、それほど混んでいなかったのでこれで充分だろう。降りる人と乗る人が均衡している様子だった。レンコン畑が見えてきて、終点土浦に到着。
土浦で確認したら、いちばん後ろの車両1両だけが2階建てだった。
土浦から接続している上野行きに乗る。15両編成の長いやつ。14号車に乗った。
だいぶ太陽が落ちてきていて、赤が視線へと入っていく。荒川沖を経てひたち野うしくで特急の通過待ちを行う。このあたりは私は6年前に何度か来ているが、そのときと比べると随分と街ができている。
取手を過ぎて利根川を渡ると千葉県に入る。我孫子で下車した。14号車は空いていたのだが、少し前に行って11号車のあたりだと立つ人もいた。祭りがあるようで浴衣を着ている人もいた。
我孫子から一旦家に帰る。明日もまたここに来ることになる。