1978年の最長片道切符の旅  第15日 代々木→高尾 2004/08/01

前書き

今日も日帰りで行程を進める。青春18きっぷを利用する。

志木から池袋で東上線まで行き、池袋から代々木まで山手線に乗る。山手線の時刻まで公開されているご時世で、それを頼りにしてしまうのだが、どうも山手線が遅れ気味だ。山手線が定時どおりに運転されていることを気にすることもあまりないが、ある列車に狙いを定めているので、遅れるのは少し困る。

本編

代々木(6:46)→神田(7:01) 514T

結局、なんとかこの列車に間に合った。各駅停車の東京行き。代々木から神田、東京まで直通するというのがミソである。御茶ノ水で乗り換える必要がない。早朝、深夜においてこういう列車が運行されている。空席が少しある程度で、その席に座る。

途中からはあまり乗ってこない。千駄ヶ谷、信濃町、と各駅に停まっていくが、御茶ノ水では普段は快速が停まる東京方面への4番線に停車する。次の神田で下車。

神田(7:04)→秋葉原(7:05) 630B

京浜東北線の大宮行きに乗る。乗ったと思ったら、次の秋葉原で下車。忙しい。

秋葉原(7:12)→錦糸町(7:18) 618B

総武線のホーム上がったら、ちょうど7時6分発の千葉行きが来るところだった。忙しすぎるのでこの列車は見送り、次の12分発の千葉行きに乗る。それほど混んでいない。休日の朝だからこんなものだろうか。すっかり相撲の街になった両国に停車。その手前で隅田川を渡ることによって武蔵国から下総国に入ることになる。もっとも、またすぐに武蔵国に戻ることになるのだが。

錦糸町(7:20)→東京(7:28) 670F

東京行きに乗る。どうせ東京までしか行かないのだからそれでいい。錦糸町で降りる人が多い。先ほど来た道を戻る形で両国の手前まで行き、そこから地下に潜る。馬喰町、新日本橋と経て、東京に到着。地下深いホームからエレベーターで地上に上がる。東京駅の改札内で朝食をとる。

東京(7:56)→小田原(8:32) 405A 新幹線[こだま405号]

東京からは新幹線で小田原まで行く。東京駅から新幹線に乗ることに慣れていないので、間違えて上越・東北新幹線の改札を通ろうとしてしまった。会社が違う。禁煙自由席の14号車に乗る。乗客はそこそこいた。品川は1872年に開業した駅だが、新幹線が停まるようになったのは2003年のことである。当時は品川には新幹線の駅がなかったのでこの最長片道切符のルートが成立していた。この旅では品川を二度通ることになる。もっとも、在来線の駅と新幹線の駅ではほとんど別物だ。今となっては会社も違う。品川を出てすぐに車内改札が行われた。

多摩川を渡って神奈川県に入る。やがて、新横浜に停車。新横浜で既に降りる人がいる。なんとなく品の良さそうな人だった。新横浜を過ぎると速度が速くなる。風景が目まぐるしく変わり、小田原に到着。小田原で降りる人もそこそこいた。

小田原(8:38)→沼津(9:27) 329M

小田原からは在来線に乗り換える。普通列車の沼津行き。11両編成だがけっこう混んでいる。最後尾の車両に座席を見つけ、座る。このあたりの相模湾の眺めは国鉄随一というが、海側の窓の大方はブラインドが太陽の光を遮ると同時に、視界も遮っているのであった。私はロングシート部に座ったので、体を少しねじってそちらを見るが、確かに景色はいい。ただ、早川を出たあたりでの西湘バイパスは少し興ざめであった。また、トンネルが多いので、油断をしていると景色を見る前にトンネルに入ってしまう。湯河原、熱海で人が降り、車内もだいぶ余裕がでてくる。熱海から出ている伊豆急下田行きは編成が長いわりには人がけっこう乗っていた。

熱海からは静岡県に入っている。函南で東京に向かう寝台特急[富士]が通過していった。台風10号の影響で遅れているようである。定刻だと熱海駅8時34分着なので遅れは50分くらいか。こちらは定刻に三島に到着。降りる人が多く、小田原での混雑はどこへやらと言った感じである。三島を過ぎたあたりでは[サンライズ出雲][サンライズ瀬戸]が通過していった。こちらは熱海着定刻5時45分である。大幅な遅れだ。

沼津(9:49)→御殿場(10:22) 2540G

沼津からは御殿場線に乗る。ホームで列車を待っていると、御殿場方面から4両編成の列車がやってきた。これが折り返すらしい。まず、2両を引き離し、前の2両が回送になって発車。その後、後ろの2両が前の列車がいたところに移動。これが御殿場行きになる。この動きに待っている人はだいぶ翻弄されていた。座席がだいたい埋まるくらいの混雑度だ。ちょうど遅れていた寝台特急[はやぶさ]と同時くらいに出発した。

列車の本数が多い証左か、下土狩、裾野、富士岡で対向列車と交換した。

御殿場(10:27)→国府津(11:16) 2542M

御殿場駅では階段の昇降して次の列車に乗り換える。国府津行きは3両編成で余裕がある。富士山は上のほうが雲をかぶっていてはっきりとは見えない。箱根のほうの山ははっきりと見える。駿河小山を出ると、静岡県から神奈川県に戻ることになる。谷峨に残る橋桁は複線だった頃の名残か。やがて山北に到着。確かにD52 70は駅の近くにあったが、まわりには誰もいなかった。下り列車と交換のため、2分ほど停車。沼津行きは2両編成で立っている人もけっこういた。

東山北で乗ってくる人は多かったが、次の松田で多くの人が降りていく。小田急に乗り換えるのだろう。松田以東の三駅では乗る人が多く、一度空いた席が埋まることとなった。御殿場から国府津まで乗り通す人もそれなりにいた様子。朝に乗った新幹線とクロスすると減速を始め、東海道本線と寄り添って終点国府津に到着。

国府津(12:08)→茅ヶ崎(11:42) 3754M 快速[アクティー]

快速[アクティー]に乗る。4分遅れてで国府津駅に到着した。寝台列車の遅れが影響しているのかと思ったら、国府津駅でポイント故障があったらしい。遅れを取り戻すためにか、心なしかいつもより速く走っているように感じる。次の停車駅である平塚までに若干の遅れを取り戻す。先行していた普通列車が待っていた。向こうの列車はだいぶ空いていたが、こちらから乗り換える人が多く座席は埋まりつつあった。私はもう一駅乗ればいいだけなのでこのまま快速に乗り続ける。相模川を渡って茅ヶ崎に到着。ホームにはこの列車を待っている人が大勢いた。

茅ヶ崎では駅ビルで昼飯を食べて一息つく。

茅ヶ崎(12:27)→橋本(13:24) 1261F

出発の5分前にホームに行ったらかなり空いていた。発車間際になってぞくぞくと人が乗ってきて、そこそこ座席が埋まった。ボタンを押して開け閉めさせるドアなので、客の乗り降りがないとドアが開かない。駅に着いてもいずれのドアも開かないと、少し不気味な感じもする。寒川、厚木、海老名では乗り降りが多かった。

ご飯を食べたあとに、こういう変化に乏しい路線に乗ると、眠くなってくる。入谷から上溝まではほとんど眠っていた。原当麻に停まった記憶はある。終始、それほど混まなかった。

橋本(13:34)→八王子(13:43) 1221K

橋本からは横浜線に乗る。やってきた列車は混んでいたが、橋本で降りる人が多く、座ることができた。相原を過ぎるとトンネルで山を越える。八王子みなみ野は7年前にできた駅で、できた当初は駅のまわりは寂しいものだったが、今となってはだいぶ街になっていた。

八王子(13:45)→高尾(13:53) 1221H

八王子から中央線に乗って高尾まで行く。高尾に着く前に踏切の直前横断があったということで一旦停止したが、すぐに運転再開した。降りたらちょうど天狗の石像の前だった。

後書き

今日は高尾で旅を終える。この後は中央線、武蔵野線、東上線というルートで家に帰った。


初出 : 2004/11/15
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