1978年の最長片道切符の旅  第16日 高尾→飯田 2004/08/07

前書き

この日の前日、家を23時頃に出て夜な夜な高尾まで移動。武蔵野線は混んでいた。西国分寺の時点で日付が変わって、青春18きっぷに8月7日の印を捺してもらう。高尾駅にほど近い健康ランドで一夜を明かす。思った以上に利用客が多く、中年の女性もいたりしてびっくりした。

本編

高尾(5:16)→大月(5:51) 1303M

5時でも既に明るくなっている。高尾から大月方面に行く初電はオレンジの車体の10両編成。当然、持て余し気味だが、逆方向に折り返す頃にはその容量が必要になるのだろう。高校生やら登山客風やらが乗っていた。高尾駅を出発後、後ろのほうに下の方が雲に覆われた太陽が見えた。

高尾を出て少しすると、街から離れ林の中に入る。しばらくして見えるのが、中央道と圏央道を結ぶ工事中の八王子ジャンクションである。圏央道建設の是非はここでは論じないが、このようなことを繰り返すことへの報いとして、自然災害に見舞われているようにも思える。

相模の北のほうをかすめ、列車は甲斐、山梨県に入る。この区間は学生の頃はよく乗っていた区間であるが、それにしてもトンネルが多い。このような山の中から毎日東京方面へ通勤している人もいるのだから、ご苦労さまなことである。

大月(5:55)→甲府(6:41) 323M

3両編成。この時間帯にこの列車に乗る人はそれほどいないと思っていたのだが、思った以上に人は乗っている。前に乗った列車から乗り換えてきた人が多いようだ。おそらく青春18きっぷ利用者だと思われる。

初狩、笹子とかつてはスイッチバックをしていた駅を経て、笹子トンネルに入る。トンネルを抜けて最初にある駅が甲斐大和。次が勝沼ぶどう郷。確かにあたりにはぶどう畑がある。甲府盆地はだいぶ雲が立ちこめている。塩山は山深いところを通ってきた身としては、だいぶ街だ。ここからは住宅が途切れずに続いていく。甲府方面に向かう人もぼちぼちと乗ってくる。降りる人はほとんどいない。終点甲府に到着すると、大きな荷物を持った人が松本方面へと行く次の列車に乗り換えるべく階段を駆け上がっていった。

甲府(6:49)→富士(9:13) 3624G

私は身延線に乗り換える。階段を昇降する必要はない。6時44分に特急[ふじかわ2号]が発車し、その数分後この列車が発車する。2両編成で乗客はそこそこいた。善光寺の手前までは中央本線とほぼ並行する。甲斐住吉で高校生が降りていく。それにしても、本当に駅間距離が短い。

南に下って鰍沢口を出ると甲府盆地を抜けて山の中に入っていく。トンネルも登場する。甲府から1時間15分、身延に到着。ここで降りる人が多い。さすがは路線名に冠している駅と言うべきか。駅構内にはそば屋もあった。

列車は富士川に沿って進む。かつては舟運で栄えた富士川だが、現在はその水量は少ない。小駅でも何人かの利用客がいる。静岡県最初の駅、稲子では駅前の商店で葬儀を行っていた。屋外に行われる葬儀というのは初めて見る。参列者らしき人が降りていった。

芝川は芝川町の中心部で乗ってくる人が多い。ずっと山沿いを走ってきたが、やがて富士宮の街が見えてくる。西富士宮に到着。降りる人はそれほど多くなく、乗ってくる人が多い。次の富士宮も同様である。車内が混雑してきた。西富士宮からは列車の本数が多くなるので、この列車にはそれほど乗ってこないと思っていたが、そんなことはなかった。富士山の方角を見てみるが、だいぶ雲がかかっていた。沿線の住宅地は途切れることなく続く。左手に製紙工場の煙突が見えてきて、終点富士に到着。

富士(9:28)→静岡(10:00) 431M

富士からは普通列車島田行きに乗る。6両編成。かなり混んでいる。空いている座席を見つけて座る。が、この車両は静岡で切り離されるという。この次に乗る列車は静岡始発なので、静岡で降りるか島田まで乗り通すか決めかねていたのだが、どちらにせよ静岡で一度降りなければならなくなった。

先ほど併走していた富士川を渡ると、富士川駅に到着。富士川町に属する。蒲原を過ぎると海沿いを走るのだが、海の前に国道1号線と東名自動車道が立ちはだかっている。海はたまに見える程度。やがて東名自動車道が山側に行くのだが、私の目の前に立っている人がいて、どちらにせよ見づらいのであった。

清水では降りる人よりも乗る人のほうが多かった。東静岡で少し客を減らし、静岡に到着。ここで後ろ3両が切り離される。私は4両目に乗っていたので降りなければならない。前の車両は席がだいたい埋まっていたので、ホームで次の列車を待つことにする。

静岡(10:15)→掛川(11:00) 745M

前の列車が行ってすぐに今度乗る列車が入線してきた。3両編成の浜松行き。やはり混んでいる。向かい側のホームに興津始発の浜松行きが入線してきた。あまり人は乗っていない。こちらは立っている人もいるくらいだが、あちらに乗り換えようという動きはなかった。

静岡を出て安倍川を渡ると、安倍川駅に到着。こちらはまだ静岡市である。焼津、藤枝といった大きな駅で降りる人もいるが、乗る人もいて、乗客はなかなか減らない。次の島田では思った通り、前の列車から乗り継いできたであろう人が多数待っていた。ただ、降りる人もかなりいた。

越すに越されぬ大井川をあっという間に渡る。次の金谷は大井川鐵道の乗換駅で、そこそこ降りる人が多かった。このあたりには沿線に茶畑が目立ってくる。「落合式乗用茶摘機」という看板もあった。業務用の機械を一般の人訴えられても困るのだが、茶摘業界では、やはり茶摘機といえば落合式なのだろうか。。菊川を経て、掛川に到着。ここで降りる。

掛川(11:42)→新所原(13:38) 127 天竜浜名湖鉄道(二俣線代替)

掛川からは天竜浜名湖鉄道に乗る。戦時下に東海道本線のバックアップとして作られた二俣線が第三セクターに転換したものが天竜浜名湖鉄道である。その前に駅前のハンバーガーショップで軽く昼食をとった。

駅の窓口でみちくさきっぷを購入。1200円で掛川から新所原までの途中下車ができる片道切符である。今回は途中でみちくさせずに新所原まで行くが、掛川から新所原まで普通に切符を買うと1280円なので、若干お得である。

今度乗る新所原行きは1両編成であるが、それで充分な、のどかな乗客数だった。遠くに見えた東海道本線の豊橋行きは殺伐とした乗客数だった。今日は鹿島花火大会があって午後のダイヤが変更されるとのことだが、この列車は影響を受けないようだ。

遠州森は遠州の小京都らしい。ちょうどここで強い雨が降ってきた。列車を降りていった人は不意の雨を避けるように駅舎のほうへ走っていった。この雨は遠州一宮を過ぎた頃にはやんだ。

天竜二俣は天竜浜名湖鉄道の本社がある。次の二俣本町を過ぎるとトンネルをくぐり、そして見えるのが天竜川である。川べりでは花火大会の準備をしていた。次の西鹿島は遠州鉄道との乗換駅だが、数人が乗り降りするだけだった。

宮口には日本二大庚申の庚申寺がある。駅舎のほうに、不見猿(みざる)、不云猿(いわざる)、不聞猿(きかざる)に加え、何故かくるみを持った猿があったのだが、後で調べてみると、くるみを持った猿は宝珠猿(ほうじゅさる)という猿らしい。

気賀で人が降りたことによって、乗客は4人となった。おそらく混雑しているであろう東海道本線を想うと、実にのどかだ。天竜浜名湖鉄道としては困ったことであろうが。西気賀の手前で浜名湖が見えてきた。駅にいた子供が手を振っていたので、手を振り返す。寸座ではジェットスキーを楽しんでいる人も見えた。

東都筑以降から乗客も増えだしてくる。知波田で浜名湖に別れを告げ、南西に向かう。アスモ前はアスモという会社の前に駅があるのだが、そこで何かの祭りの準備をしていた。

新所原(13:51)→豊橋(14:02) 943M

普通列車の豊橋行きに乗る。3両編成のオールロングシートだった。混んではいるが、空席があったのでそこに座った。立っている人もいた。愛知県に入って、二川に停まって、豊橋に到着。

豊橋の駅構内できしめんを食べた。愛知県まで来たことを感じる一杯。

豊橋(14:43)→飯田(19:02) 531M〜1429M

早めにホームに行ってみると、私が乗る飯田行きの2本前の新城行きを待っている人が並んでいた。折り返す列車が遅れているようだ。発車時刻までに2両編成の列車がホームに入ってきた。この列車が新城行きになるのかと思ったら、客を降ろすと回送となって車庫に引っ込んだ。代わりに1両編成の列車が車庫からやってきて、これが新城行きになった。乗客としてはやりきれないだろう。一度引っ込んだ列車が私が乗る飯田行きとなる。それほど混まずに発車した。

約4時間半という長い時間を走る列車ではあるが、豊橋を出て、船町、下地と通過し、最初に停車する牛久保で下車する人がけっこういる。豊川でも降りる人は多いが、高校生を中心に乗ってくる人のほうが多かった。豊川までは複線で運転本数も多い。豊川で降りる人が寝過ごしてしまい、飯田のほうまで行ったらたいへんだなとは思った。

一宮町にある東上は、毎日東武東上線に乗っている者としては、反応せずにはいられない。利用者が少なさそうな駅だった。駅名が路線名に冠せられることはなさそうだ。その東上を過ぎると、雨が少し降ってきた。

野田城を過ぎたあたり、この雨の中で黄色い傘をさして鉄道の写真撮影をしている猛者がいた。その傘の傾き具合で外の荒天ぶりがわかる。列車は新城に到着。降りる人が多い。この時点では雨は止んでいた。しかし、茶臼山のあたりでまた雨が降り出す。どうもはっきりしない天気だ。

湯谷温泉はそれなりの温泉街で特急列車も停まるが、さらに山へと向かっていくこの列車に乗ってくる人はいなかった。だいぶ山深くなってきている。東栄で最後の高校生が降りてくる。豊川から乗ったか、新城から乗ったか、もしくは他の駅から乗ったかはわからないが、かなりの長距離通学だと思う。さらに東栄町の中心は駅から離れているので、そちらのほうに住んでいるのであればさらにたいへんだ。

出馬から静岡県に入る。浦川は主要駅なのか、数人が乗り降りした。駅の近くに木材は積んであった。今は車を使うであろうが、かつては川を使って木を運んでいたのであろう。地図を見ると、川の交点にあたる場所であった。

中部天竜に到着。ここでは10分停車するが、対向の特急列車が遅れているということで、更に10分くらい待った。佐久間発電所を左に見て佐久間を過ぎるとトンネルに入る。トンネルの中はもちろん暗いが、外もだいぶ暗くなってきた。

水窪に近づくと、家がたくさん見えてくる。こんな山奥にこれほどの規模の街があることに驚いてしまう。それにしても雨の降りがだいぶ強い。山に入ってきたのと、夕刻になってきたのと、両方の要因があるのだろうが、これは豪雨と呼ぶべき雨である。

水窪を出ると長いトンネルをくぐり、大嵐に到着する。人口が百数十人の富山村の玄関口で、そういう看板があった。橋を渡って天竜川の向こうが富山村である。このあたりはトンネルが続く。

小和田は皇太子様ご成婚のときにブームとなった駅で、「花嫁号」と書かれたヘッドマークは確認できた。ただ、外のガラス窓が曇っていて、よく見えない。雨は続いて降っている。その小和田が静岡県最後の駅で、長野県に入ることになる。

天龍村の中心である平岡でついに雨のために運転を見合わせるという事態になった。PHSはもちろん、vodafoneの携帯電話も圏外で、こんなところで止まってもらっても困るのであるが、仕方がない。長期戦を想定し、まずは食料の確保を考える。幸い、駅の構内に売店があった。ここでパンを買う。雨が降り止まないので、今日はここから動けないのかとも思い、時刻表を見ながらいろいろとシミュレートしてみたりしたが、19時20分頃、運転が再開された。定時からおよそ1時間半遅れ。それでも今日中に飯田には着けそうだ。

もう真っ暗なので、外は見えない。都市部であれば街灯などもあるのだが、それもない。鉄橋を渡ったときだけ、渡っているぞということがわかる。

温田で高校生が乗ってきた。ずっと駅舎で待っていたのであろうか。門島で豊橋行きの列車と交換。長く停車する。携帯電話が圏内になったので、今夜泊まるホテルに電話で遅れる旨を伝えた。豊橋行きも1時間半くらい遅れていると思われる。

天竜峡から車掌が降りてワンマン列車になる。そして、20時45分頃、豊橋から数えて約6時間で飯田に到着した。

今日、飯田では祭りがあったようで、駅前は若者でごった返していた。祭りがある上にダイヤが乱れていて、だいぶ混乱している様子だった。駅員さんが拡声器を使ってアナウンスをしている。私が乗っていた列車が、そのまま辰野方面行きの列車になったようだ。彼が休めるのはもう少し先のことになりそうだ。

後書き

前夜は満足に寝ていない上に、到着が予定より大幅に遅れ、かなり疲れた。それでも、予定通りに飯田に着けたことはよかった。運行再開に向けて動いてくださった方々には、感謝、感謝である。


初出 : 2004/11/15
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