1978年の最長片道切符の旅  第17日 飯田→小出 2004/08/08

前書き

昨日の混乱から一夜が明け、いつもと変わらないであろう朝の飯田を発つ。

本編

飯田(6:00)→岡谷(7:54) 1303M 快速[みすず]

飯田始発の長野行き快速[みすず]に乗る。3両編成。乗る人はあまりいない。雨は朝には止んでいて、東の空には雲の切れ間から太陽が見えていた。

平らなところを走っていくのかと勝手に思っていたら、意外と山がちなところを走る。上りにさしかかると速度が落ちる。西のほうには高い山が見える。雲が被っていて全貌は見えないが、山頂だけ顔を出していると、まるで白い衣をまとっているかのようだ。

それほど乗客が増えないままで駒ヶ根に到着。この時間は駅員がいないようで、車掌が切符を回収していた。降りる人が多いからたいへんだ。ここまでは通過する駅もあったが、駒ヶ根から辰野までは各駅に停車する。各駅に停車している証左か、駒ヶ根以降、じわじわと乗客が増えてくる。

伊那市はその名の通り伊那市の中心駅で、この駅には駅員がいた。次の伊那北も駅前はそれなりに賑やかだ。降りる人の多さから考えるに、この列車に乗って飯田から松本、長野まで行く人はあまりいないのだろう。高速バスを使うのが主なのだろうか。

中央本線との交点である辰野に到着する。側線がいっぱいあった。辰野から二駅目の岡谷で下車。半分くらいがこの駅で降りた。

岡谷(8:04)→小淵沢(8:50) 432M

普通列車の甲府行きに乗る。3両編成。岡谷を出てすぐ、遠くに諏訪湖が見える。下諏訪を過ぎると諏訪湖が近づいてくる。湖面が緑っぽい。

岡谷、下諏訪、上諏訪と降りる人もいたが、乗る人も多い。茅野でだいぶ降りていった。次の富士見でも降りる人は多い。県境を越える前にはやはり人が減る。富士見で特急の通過待ちのために少し停車する。

信濃境を経て山梨県に入り、小淵沢に到着。小淵沢では小海線に乗り換えるが、連絡階段の口で中間改札をしていた。不意だったので、少し慌てて青春18きっぷを取り出し、見せた。

小淵沢(9:17)→中込(10:46) 9251D 快速[やっピー八ケ岳]

臨時列車の快速[やっピー八ヶ岳号]という名前の列車に乗る。やっピーとは小海線のイメージキャラクターらしい。ただ、車内放送では快速という種別だけで名前は告げられなかった。私が乗ったときは席は充分に空いていたが、中央本線下りの列車が小淵沢に到着すると、そこから乗り継いでくる人で車内は埋まっていった。

小淵沢から信濃川上までは各駅に停車する。私が思う小海線の象徴である、小淵沢駅すぐの大カーブで北西に向いていた線路が東に向かう。

このあたりは別荘が多い。夏休みを高原の別荘で過ごしている人も多いのだろう。列車に乗り詰めよりはよっぽどまともな夏休みの過ごし方に違いない。最初の停車駅である甲斐小泉では、リュックサックを持った人など数人が降りていったが、次の甲斐大泉では乗ってくる人が多い。ここまで車内はかなり混んでいる状態だが、次の清里でこぞって降りる。ツアー客が乗ってはきたが、総じて車内はだいぶ空いた。車内から見る清里はたいへん賑やかそうだった。

清里から野辺山の間の県境にほど近い場所にJRの最高標高地点がある。それをアナウンスする放送が流れたが、思ったよりもあっという間に通り過ぎた。当然のことだが、最高標高地点を過ぎると下り勾配になる。JRで最も標高が高い駅である野辺山で、ここでツアーの客が降りていく。駅には多くの観光客がいてカメラを持ってこちらを映している人もいた。

野辺山からずっと下って、信濃川上に着いた。列車交換待ちのため5分停車する。向こうから来た小淵沢行きの乗客は多い。北のほうから野辺山、清里へ向かう人たちだろうか。

ここからは快速なので、小駅は飛ばしていく。最初に停まるのが佐久海ノ口。南牧村の中心だと思うのだが、まわりは寂しかった。乗降客もいない。次に停まるのが小海で、町もそれなりに大きく、駅も大きい。ここでは2人が降りたが、乗る人はいなかった。八千穂、羽黒下も乗降客がいない。次の臼田では誰か乗るだろう、と予想していたが、その通り2人が乗ってきた。

結局、長野県に入ってあまり利用客がいないまま、終点中込に到着。中込では「小海線わいわいフェア」という鉄道イベントを催していて、子供らが「ミニ新幹線」に跨って乗っていた。

中込(11:22)→小諸(11:51) 135D

定期列車の小諸行きに乗る。2両編成のワンマンカー。「わいわいフェア」帰りだと思われる、風船を持った親子連れが乗ってくる。

北中込では、普段は列車に乗らないのか、降車に戸惑っている人がいた。ワンマンカーなのでいちばん前のドアでしか降りられない。

前方の浅間山は雲をかぶっているが、右手の山々ははっきりと見える。このあたりは昔から佐久平と呼ばれている。それが新幹線の駅名となった佐久平駅周辺は、新幹線開業当初は何もないような場所だったが、最近になって大発展した。100万人都市郊外の商業集積地のような風景となっている。その佐久平では十人ほどが乗ってきた。

乙女からは、かつての信越本線で今のしなの鉄道と並行して走る。東小諸を経て、終点小諸に到着。

小諸では駅弁を買おうと思っていて、改札口の近くで駅弁を売っていたのだが、「峠の釜めし」はまだしも、「ますのすし」というのはどうにもいただけない。結局、ホームの駅そば屋に「栗おこわ弁当」が売っていたので、それを買った。

小諸(12:20)→軽井沢(12:40) 2640M しなの鉄道(信越本線代替)

ここからは長野新幹線開業時に第三セクターに移管されたしなの鉄道に乗る。当然青春18きっぷは使えない。切符は小諸駅の自動改札機で買った。駅弁を買ったので座席を確保しておきたいところだが、なんとか座ることができた。座るやいなやおもむろに駅弁を取り出して食す。

しなの鉄道には年に数回乗るが、いつのまにか車内にテレビがついていた。広報、広告に使っているようだ。山手線などに設置されているのは薄型モニターだが、こちらはわりと厚い。

御代田、信濃追分、中軽井沢と、軽井沢に向かう人がけっこう乗ってくる。夏休みだからだろう。途中の駅の近くに車を停めて電車で軽井沢に行く人かもしれない。並行している国道18号線の車の流れはわりとスムーズだった。

軽井沢(13:00)→横川(13:34) 14 JRバス関東(信越本線代替)

軽井沢から横川へはもはや鉄道がないので、代替のバスに乗る。以前は料金後払いだったはずだが、いつのまにか前払いになっていた。ほとんど座席が埋まるという混雑ぶりだった。最初のうちは環境に配慮してのことか冷房が切られていたが、あまりに車内が暑かったので発車5分前くらいに冷房が入れられた。避暑地とはいえ暑いものは暑い。

バスは碓氷峠を上っていく。峠のてっぺんが県境で、長野県から群馬県に入る。あとは一気に下っていく。貯めていた貯金を一気に使うかのような感覚になる。この高低差が、信越本線が廃止直前まで機関車を必要としていた所以か。

横川で駅弁を買おうと思ったのだが、「峠の釜めし」は売っていたのだが、お望みの駅弁は売り切れていた。釜めしは荷物が重くなるのでここでは避け、とりあえず何も買わないことにする。

横川(13:54)→高崎(14:25) 148M

高崎行きの列車に乗る。2両編成のオールロングシート。先ほどのバスから乗り継いできた人、碓氷峠鉄道文化むらを訪れた人などで、座席はだいぶ埋まっている。

今日は高崎で祭りがあるらしく、磯部のあたりから浴衣姿の女の子がたくさん乗ってきた。車内はだいぶ混みだすが、皆で混んでいる列車に立って乗るところから祭りは始まっているのかもしれない。私は祭りとは無関係だから、空いているほうがありがたいのだが。

高崎で、今日の夕食用と明日の朝食用の駅弁「鳥めし」、「舞茸弁当」を買う。一食で二つ食べるわけではない。その前に街を少し歩いたが、祭りのためだろう、人出が多かった。

高崎(15:11)→水上(16:13) 741M

水上行きの普通列車に乗る。発車20分前にホームに行ったら既に入線していた。乗っている人はほとんどいない。発車間際になると混みだしてきた。

子供の頃に吾妻線沿線に住んでいて、何度か高崎から普通列車に乗っている。今でも覚えているのは、おそらく群馬総社だったと思うのだが、駅本屋からホームへと駆け込んでくる人がいてその人が列車に乗るのを待って列車が発車したというシーンだ。どうでもいいようなことを覚えているものだ。その吾妻線は渋川で西に分岐する。そちらに行ったのでは最長片道切符の旅が終わってしまうので、このまま北へと進む。

渋川からは利根川に絡んで走っていく。渋川、沼田と大きな駅で人がどっと降りていき、沼田を過ぎると車内は閑散とした。水上の手前には諏訪峡といって、渓谷が景勝地となっている。川で遊んでいる人がいた。流れは速そうだ。

水上では少し時間があるので、温泉街をぶらぶらした。温泉に入らずに情緒がある温泉街を歩くだけだけというのも悪くない。温泉客の数も多く、賑わいがあった。

水上(17:44)→小出(19:14) 1747M

水上からは普通列車長岡行きに乗る。3両編成。水上から県境を越える列車は運転本数が少ない。発車時刻の30分前に列車に乗り込んだときは、客もまばらだった。しかし、17時23分に高崎から来た普通列車が到着するとそこから乗り継いで来る人がこぞって乗ってきた。私が乗った列車は水上まで乗る人は少なかったが、この列車は多くの人が水上まで乗っていた。それを見越して一本前の列車に乗ったわけである。座席はほとんど埋まった。終点の長岡まで行く人も多そうである。

湯檜曽の手前で新清水トンネルに入る。ホームはトンネルの中にある。これは下りだけで、上りは地上にある。土合も同様。土合の下りホームと駅舎の標高差は70メートル以上もある。ここでは若者一人が降りていった。

トンネルを抜けるとそこは新潟県だった。窓ガラスが曇って景色がよく見えない。土樽を出るとまた長いトンネルに入る。また、窓ガラスが曇る。

越後中里あたりからスキー場が沿線に見えてくるが、今は夏真っ盛りなので、当然営業はしていない。かつては日本一長い駅名だった岩原スキー場前を経て、高層建築群が並んでるのが見えると越後湯沢に到着する。リゾートブームのときに「東京都湯沢町」と形容されただけのことはある。ここで四分の一くらいの人が降りた。12分停車する。

魚沼に入ると米どころだけに、沿線に水田が広がる。まさに美田という言葉がふさわしい。新幹線の高架が見えてくると、浦佐が近い。手前で新幹線に抜かされた。もうだいぶ暗くなってきた。八色を経て、小出に到着。水上から乗った客の半分くらいがまだ残っているくらいか。私はここで降りる。

後書き

この日も日没まで旅をしていたが、大きなトラブルもなく無事小出に着けた。小出には駅前にあるビジネスホテルに泊まる。翌日は出発が早いので、宿が駅に近いのは助かる。


初出 : 2004/12/25
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