1978年の最長片道切符の旅  第18日 小出→小千谷 2004/08/09

前書き

起床時間が早いので起きられるか少し心配だったが、さすがに起きられた。

本編

小出(5:30)→会津若松(10:36) 426D

5時半という早い時刻だが、私の他に2人の乗客がいた。2両編成で、2人が前の車両に乗っていたので、私は後ろの車両に乗る。

列車は田園地帯を走っていく。柿の木で一人乗ってきた以外は誰も乗らないまま、大白川に到着。破間川を望む駅だ。ここが新潟県側最後の駅である。対向列車を待ち合わせるために28分間停車する。只見線を小出から会津若松まで直通する列車は1日に3本あるが、小出を13時17分に発つ便は約4時間しかで走破するのに対し、この列車は約5時間もかかっている。列車によって走る速度が違うわけではない。途中駅の停車時間の違いなのだ。

しばらくすると小出行きの列車がやってきた。大白川で一人が乗っていた。それを見届けてもまだ時間があるので、改札を抜けて駅前に言ってみる。佇んでいると、車が駅前に飛び込んできた。何事かと思ったら、女子高校生が車から降りてくる。小出行きの列車に乗るつもりだったのだろうが、列車は既に発車している。車は小出方面へと向かっていった。

それでもまだ時間がある。やはり28分は長い。車内の冷房は扇風機だけのようで、外のほうが涼しい。窓を開けて川を眺める。やがて、発車する。県境を越えるべく六十里越トンネルをくぐって防雪柵の駅、田子倉に到着。この駅は冬の間は列車が停まらない。田子倉を発つとまたトンネルに入る。

トンネルを抜けて人家が見えてくると只見に到着する。十人くらいが乗ってきた。ここでは8分停車する。薄曇りだが、それを突き破って太陽の光が差し込んでくる。

会津蒲生から本名まではホームが短いため後ろの車両のドアは開かないとのこと。そんな小さな駅たちだが、年寄りの集団が乗ってくる。朝方唯一の便だけによく利用されているようだ。路面がぬれているので雨が降っていたのであろう。今は晴れている。

只見から会津坂本までは只見川にそって列車は進む。確かに水は薄緑色に淀んでいる。川幅は広い。

会津川口では25分の停車。ここで降りる人もそこそこいた。もちろん乗る人もいる。小出行きの列車と交換する。

会津宮下でも19分の停車。会津川口から会津宮下まで26分で、進んだと思ったらまた停まる、という感覚だ。改札の外に出てみたら、駅前で「朝市」が催され、野菜などを売っていた。ここで会津川口行きの列車と交換する。

ここまで乗客は増えていく傾向にあったが、会津坂下で半分くらいの人が降りてしまう。皆、会津若松まで行くと思っていたので意外だった。代わりに若者を中心に人が乗ってくる。パッと周囲の風景を見た限りでは、それほど人が乗り降りするような駅には思えないのだが、会津坂下町は人口が18000人超いるわけで、そこそこ大きな街ではる。

ここからは会津若松に向かう人で、徐々に人が乗ってくる。会津本郷を過ぎて阿賀川を渡ると、いよいよ会津若松の市街に入ってきたかという風景になる。西若松はもう会津若松の中心地になるので、だいぶ人が降りる。七日町でも降りる人は多かった。ようやく終点会津若松に到着。

会津若松(11:17)→新津(13:14) 3221D 快速[あがの1号]

次に乗るのは快速[あがの1号]新潟行き。郡山から来る[あいづライナー]に接続するが、[あいづライナー]到着前にけっこう席が埋まっていた。[あいづライナー]から乗り継いでくる客は予想通りに多かった。

会津若松を発車すると磐梯山が見える。その麓には巨大な観音像があった。最初の停車駅である塩川では数人が降りて、少しは身軽になった。

次の喜多方では降りる人が多いが、思ったより乗る人も多い。ホームでは多くの人が列車を待っていた。なんかの山の道具を持っていた少年らが多く乗ってきた。

このあたりが最長片道切符の旅の中間点ということになる。もう半分かと感じるのは、会津の山の中という地理的に東に偏している場所であるからだろうか。

しばらくすると阿賀川が見えてきた。ボートを漕いでいる人がいる。上野尻を通過した先に、銚子の口と呼ばれる景勝地がある。木が覆いふさがっていたり、トンネルがあったりしたが、車窓から垣間見ることができた。

新潟県に入って最初の停車駅が鹿瀬である。一人くらいが乗った。次に停まるのが津川で、ここでは十数人くらい乗ってくる。今日は新潟で祭りがあるらしく、それに向かう人かもしれない。相変わらず阿賀川に沿って走る。阿賀川の左岸を通るは鉄道、右岸を通るは国道49号線、川にお構いなしは磐越自動車道。

五泉では多くの人がこの列車の到着を待っていた。その数に少し驚く。高崎のときと同じく、浴衣を着た女の子が乗ってきた。ただ、新津で降りた人も多かった。みんながみんな、祭りに行くわけではない。

新津では次の列車まで時間があるがちょうど昼時なので駅前の食堂で昼ご飯を食べた。

新津(14:18)→新発田(14:46) 129D

新津駅は少し前まで駅舎を工事していたが、今はホームを工事しているようだ。工事の真っ最中のホームに停まっていた新発田行き普通列車に乗る。県都新潟と無縁なせいか、だいぶ空いている。その客も水原でほとんどが降りた。代わりに数人が乗ってくる。月岡は月岡温泉の最寄り駅であるが、駅のまわりは田んぼと小さな集落があるだけだった。この区間自体、沿線人口も少なさそうである。寂しいまま新発田に着。

新発田(14:57)→新潟(15:31) 648M

新発田からは新潟経由の新津行きという列車に乗る。新津まで行ったのでは単に戻るだけになってしまうので、新潟で降りることになる。2両編成でオールロングシートだ。半分くらいの座席が埋まったくらいで新発田を出発する。次の西新発田では思いの外、人が乗ってくる。駅前はまさに発展中といった感じだったが、自転車がたくさん停まっている。ここから離れたところに住宅地があって、そこから自転車で通ってくる人がいるのだろう。祭りに行くと思われるいでたちの人が何人かいる。この調子でいくと新潟に着く頃には満員状態になると懸念したが、それ以降はそれほど乗客は増えなかった。阿賀野川を渡って、貨車が鎮座している東新潟を過ぎると、新潟に到着する。ほとんどの人が下車した。

新潟では、駅弁を今日の夕食として買っておく。鮭の押寿司だが、いつ食べるかと聞かれた。押寿司だけにできてから数時間経ったほうが味がなじむので、すぐに食べるのであればできてから少し時間が経ったのを、ということらしい。

新潟(16:00)→吉田(16:48) 150M

新潟からは越後線の吉田行きに乗る。越後線は新潟から柏崎までの区間であるが、柏崎まで直通する列車はほとんどなく、だいたいが吉田で乗換となる。オールロングシートの4両編成。発車する頃にはだいたい席が埋まった。祭りの影響というよりは、この時間帯のこの列車はいつもこれくらいの混雑度なのだろう、と解釈する。信濃川を渡って、新潟市役所に近い白山では乗る人もいたが、あとは乗客は漸減傾向にある。内野からは列車の運転本数が減る。降りる人もけっこういたが、高校生が多数乗ってきた。内野を出て少ししたところに、内野西が丘という駅ができるらしく、それを知らせる看板が立っていた。まわりは宅地造成をしていて、駅ができるころには、このあたりは住宅が建ち並んでいるのだろう。それを過ぎると田園風景が続く。少しして人家が集まっているな、と思ったら列車が駅に到着した。越後赤塚だ。ここから先は降りる人もいるが、乗る人もそこそこいた。

吉田(16:51)→柏崎(17:58) 741M

次の柏崎行きは3分の接続で、橋を渡っての乗り継ぎは忙しい。私と同じように新潟から来た列車から乗り換える人は多かった。

分水で降りる人が多い。この駅は駅員もいた。次の寺泊でもなから降りて、そこそこいた乗客がぐっと減る。そういえば今は皆が家に帰る時間だ、と当たり前なことに気づく。列車から人がいなくなるのも当然なはずだが、この感覚は都会暮らしでは忘れ去られてしまっている。夜になっても街から人は消えない。以降はわずかな客が乗ったり降りたりしていく。西山ですれ違った吉田行きの列車には帰宅する高校生がぽつぽつと乗っていた。東柏崎まで来るともう柏崎市街で、まわりに住宅も多い。降りていく人もわりといた。

柏崎(18:01)→宮内(18:25) 3375M 快速[くびき野5号]

柏崎から乗るのは快速[くびきの5号]新潟行きである。柏崎の次の停車駅が宮内と、私にとっては都合のいい列車である。ホームに行ったら、既に列車を待つ人がだいぶ並んでいた。その列に並ぶ。乗る人も多かったが、降りる人も多くて、なんとか窓際の座席を確保することができた。

越後線でじわじわと西に向かっていたのを、快速で一気に東に戻る格好だ。北条のあたりからは小高い山が迫っているところを走る。かつて魚沼線が分岐していた来迎寺を経て、信濃川を渡った頃にはもう越後平野だ。やがて宮内に到着。私を含め数人が降り、数人が乗った。

宮内では少し時間があった。ホームで待っていてもよかったのだが、駅員さんの勧めもあって駅前を歩いてみる。この規模の集落にしては、駅前に旅館が多かった。全てが営業しているわけではなさそうだが、温泉地や市の中心地ではないのにこれだけ旅館が目立つ駅前というのも珍しい。

宮内(18:58)→小千谷(19:10) 1746M

宮内からは今日のラストランナー、越後湯沢行きの普通列車に乗る。長岡から帰る人でそこそこ混んでいた。19時になりあたりがだいぶ暗くなってくる。昨日、今日と一日の旅の終わりが近づくに頃に暗くなるというのは、ある意味絶妙かもしれない。宮内から2駅で小千谷に到着。今日はここに泊まる。降りる人は多かったが、半分くらいの人は、向かえの車に乗って早々に駅前から去っていった。

後書き

私はここからバスに乗って市の中心地まで行き、そこにあるビジネスホテルで泊まった。小出から小千谷まではまっすぐ行けばたった17.2Kmなのだが、こうして遠回りをすると丸一日かかる。


初出 : 2004/12/25
自由活動領域 >  1978年の最長片道切符の旅 >  第18日