昨日までの四日間、信越をぐるぐるとしていたが、今日はようやく東海へと脱出、そして一気に和歌山県の新宮まで行く。
松本始発の中津川行き普通列車に乗る。3両編成であるが、座席はそこそこ埋まっている。しかも、見た感じ長距離を乗りそうな出で立ちの人が多い。
途中の駅ではぽつぽつと乗ってくる。塩尻で進行方向が変わるのは今は昔で、そのまま直進して木曽路へと進む。その中心地、木曽福島で多数の人が降りていく。上松でも降りる人は多い。ここで特急を先に通すために7分間停車する、特急列車は僅かな停車時間で上松を去っていった。
上松を過ぎるとすぐに寝覚発電所がある。その下にあるのが景勝地寝覚の床である。車内から見た感じでは普通の川に石がごろごろしてのが見えるに過ぎず、あれを見ても目は覚めそうにない。
大桑で列車行き違いのために4分間停車する。中央本線も一部が単線区間である。南木曾で途中から乗っていた高校生がこぞって降りていった。
坂下まで来ると、名古屋方面に行くと思われる人が乗ってくる。ここはもう岐阜県だ。車内も今までにないくらいに混んできた。落合ダムの近くにある落合川のあたりで木曽川とは離れ、こちらは終着地の中津川へと向かう。中津川に着くと、地下道を渡って次の列車に乗り換える。そのまま改札口へと向かう人もそこそこいた。
中津川から乗るのは、名古屋行きの快速列車である。6両編成で、駅の改札口から遠い最前車両がだいぶ空いていたのでそちらに乗った。
中津川を出ると最初の停車駅は恵那である。さすがに多くの人が乗ってくる。恵那を出るとすぐにトンネルに入る。このあたり、山がちな場所を走る。北側には旧中山道が通っていたわけだが、ここから見えるのはやはり山だ。土岐市までこのような感じだったが、ここから小さいトンネルを抜けると急に街が広がる。多治見の街だ。久しぶりに街を見た気分になる。多治見では、降りる人もいるが乗る人もかなりいる。3分後に多治見始発の普通列車が出発するのだが、やはり立ってでも、早いこの列車を選ぶのだろう。多治見を出るとまだ山に囲まれた場所を走る。高蔵寺に近づくともう濃尾平野で、名古屋は近い。この後は神領と新守山以外の各駅に停車していく。快速らしさがあまりないが、どの駅もそこそこ主要であるということだろう。総合駅の金山を経て、名古屋に到着。
名古屋では乗り換え時間が短く、その上乗り換えのホーム案内をしなかったため少し焦ったが、なんとか乗り換えに成功することができた。亀山行きの普通列車は、短い2両編成ではあるが、乗客も多く、乗っていてうらぶれた気分にはならない。
この日の予想最高気温37度の名古屋から素早く去る。木曽川、長良川、揖斐川と渡って三重県に入る。木曽川とは数時間ぶりの再会となるわけだが、予備知識がなかったためどれが木曽川かそのときはわからなかった。最初に渡ったのが木曽川である。
四日市を過ぎた頃には、乗客も少なくなり、それに比例するかのようにまわりの風景も田舎っぽくなってくる。そんな中、河曲を対向列車が遅れているということで5分遅れで出発。次の加佐登で井田川駅付近で沿線火災があったということを知らされる。次の列車の乗り換えには余裕があるから少しの遅れは問題ないが、心配ではある。加佐登を出発したのは11時20分頃だった。次の駅、井田川を出てすぐのところに仕事を終えたと思われる消防車が停まっていた。結局、亀山には約20分遅れの11時40分頃に到着した。
亀山始発の普通列車鳥羽行きは1両編成で、私が乗った頃にはだいぶ座席が埋まっていた。
亀山を出ると列車は草木の中に突入していった。線路が夏草に覆われていたのである。最初の停車駅、下庄も草木があたりに生い茂っていた。森を抜けて、次の停車駅一身田にはまわりにそこそこの集落があった。ここで対向列車と交換した。
当初、私はこの列車に松阪まで乗るつもりでいたのだが、この列車は快速列車を先に通すために津で長時間停車をするという。計画を立てたときは気づかなかったが、そういうことになっていた。松阪にはなるべく早く着いていたいので、津で乗り換えることにした。およそ三分の二の人が津で降りた。
津から乗るのは快速[みえ5号]。座ろうと思えば座れたが、乗車時間が短いので立って乗る。車内の混雑度からすれば近鉄にひけをとらないかもしれないが、いかんせん輸送量が違う。
気動車快速に揺られること16分、松阪に到着。松阪で降りる人は多かった。
松阪ではまず最初に牛肉弁当を買う。松阪といえば牛肉で、牛肉が特産の場所はいくつかあるが、やはり知名度からすると松阪が一二を争う。1260円とやや値がはるが、松阪の牛肉弁当ゆえにこれくらいの値段がついていてもいいように思えてくる。
これを今日の最終走者である普通列車新宮行きの車内で食べた。今日の最終走者であるが、なんせ松阪から新宮に着くまでに5時間弱もかかる。長く乗るだけに、座席は確保しておきたかった。快速で先回りできたこともあって、ばっちり座席を確保できた。走る列車の中で弁当を食べるのも旅情があるが、揺れる中で食べるのはけっこう食べにくいし、まわりに人が少ないうちにたいらげておきたいということもあって、早々に食べることにした。食べている最中に、津まで乗っていた普通列車鳥羽行きが松阪に到着して、出発した。
松阪を出ると最初の停車駅が徳和でここで高校生が数人乗ってきた。次の停車駅は多気で参宮線は乗り換えとなるが、ここで例の鳥羽行きが隣のホームで待っていた。三度目の出会いということになる。一時の混雑が嘘のように三人くらいしか客が乗っていなかった。ここで私が乗っていた2両目の車両が冷房が壊れているという放送が流れた。1両目に移ってくださいとのことだが、冷房が壊れていても我慢できない暑さではない。扇風機もまわっているし、窓を開けてもいいのでこのまま座っていることにする。
相可でも高校生が乗ってきたが、栃原で降りていった。さすがに高校生は何時間も列車に乗るはずがない。見た感じでは、長時間乗っていそうな人が車内に残っている。宮川沿いの集落、三瀬谷に到着。特急停車駅であり、「24時まで営業」の店が近くにあった。その宮川を渡る。水が白緑に濁っていた。この上流にあるのが大杉ダムである。
三瀬谷を過ぎると、今度は大内山川に沿って列車は走る。川の水を見ていると、阿曽を過ぎたあたりで水が澄んできたように見えた。川遊びをしていた人がこちらに向かって手を振っていた。一方で、建設中の道路が見えたりする。「東紀州へ続く道 紀勢線建設中」と、鉄道の紀勢本線に向けて看板が立っている。
大内山駅に停車中に見えた名所案内の看板に犬戻峡が紹介されていた。変わった名前だと思い説明を見たら、なんでも「あまりの険しさに犬も後戻りした」らしい。犬戻峡はここからさらに山奥へと向かう場所にあるのだが、海沿いの街に行くこの道でさえもかなりの険しさがある。梅ヶ谷を出ると荷阪峠を一気にトンネルで抜けていく。ちょうど窓が開いていたので、ものすごい勢いで空気が車内に入っている。それでもこうして座っていれば峠を越えてしまうわけで、昔はこの峠を人の足で越えていたのだから、その苦労はさぞかしのものだっただろう。
紀伊長島に到着。ここで5分停車する。ここぞとばかりに煙草を吸う人が外に出る。紀伊長島を出ると一瞬だけ入り江に沿って走るが、すぐに山のほうに入っていく。平地には田があり、既に稲が黄金色になっていた。数日前に通った新潟のあたりはまだ青々としていた。日本の多様性を感じる。
久しぶりに街が近づいてきたと思ったところで尾鷲に到着。尾鷲では多くの人が降りていった。新宮まで通すで乗る人がそれなりにいると思ったが、それほどいないようだ。ここでは31分間も停車する。上りの特急と交換し、下りの特急を先に通す。まさに長い道中の中休みといった感じだ。ここで壊れていた冷房を直したとのこと。長時間停車のおかげである。やがて名古屋から来た特急が到着した。やはり尾鷲で降りる人は多い。そして、この列車に乗り換えてくる人が多い。空いた車内がかなり混みだした。見た様子からすると、お盆を故郷で過ごす人たちが主のようだ。この特急が行ってしばらくすると、今度は名古屋行きの特急がやってきた。これでこちらも出発できる。火力発電所の塔を仰ぎつつ尾鷲の街を離れた。
重くなったこの列車。まず、九鬼で多くの人が降りていった。駅のまわりに人家はほとんどなかったが、駅前にバスが停まっていた。次の三木里でもけっこう降りる。ここにも駅前でバスが待っていた。次の賀田でも降りる人が多い。確かに湾口が見えない。このあたりでだいぶ車内が落ち着いてきた。新鹿では中年の女性が十人ほど降りていった。駅前には海水浴場があったが、人がごった返していなくて、ゆったり海水浴ができそうだ。やがて熊野市に到着する。多くの人が降りていき、それを埋めるかのように人は乗ってきたが、車内はだいぶ閑散としてきた。
熊野市から新宮はほんの一部を除いて沿線に住宅が途切れずに続いている。今までと沿線の印象がだいぶ異なる。日本一小さい村、鵜殿村にある鵜殿を過ぎると、熊野川を渡って、ここまで延々と続いていた三重県を渡って和歌山県に入る。新宮に到着し、約5時間の長距離走を終えた。
この後、浮島森に行ってみたのだが、見学できるのが17時までで既に閉まっていた。なお見学に見学料100円がかかる。