1978年の最長片道切符の旅  第21日 新宮→長浜 2004/08/12

前書き

今日も早起きして、夜明け間近の街を駅まで歩く。

本編

新宮(5:40)→和歌山(8:44) 54M 特急[スーパーくろしお4号]

紀伊半島の南下は普通列車に乗って時間をかけて行ったが、さらなる南下とその後の北上は特急列車に乗って一気に行う。乗るのは[スーパーくろしお4号]京都行き。こんな朝早い時間の出発であるが、そこそこ乗る人はいた。

新宮を出るとすぐに太平洋が間近に見える。海のすぐ上の空に浮かぶ太陽を見ると気持ちが晴れ晴れとしてくる。海では波乗りしている人がいた。まだ6時前だというのに、こんな朝早くからするものなのか。

紀伊勝浦に到着。観光客は寝ている時間だけに、乗ってきたのは地元っぽい人一人だけだった。車内から駅前の雰囲気を見ただけでも観光地らしさが伝わってくる。山の上に巨船のような建物があった。海外に気軽に旅行できる現在においては、勝浦の予約がとれるか否かで日程が決まる、というのは今は昔かもしれないが、そういう話に違わぬ場所ではある。

それにしても特急列車は速い。今まで鈍行の旅が続いていたからそう強く感じるのかもしれないが、実際かなりのスピードで走っているだろう。振り子列車がカーブすると海に落っこちそうな気になってくる。そんなことはあり得ないけど、少し怖い。また、今まで列車に木にぶつかりながら走ることはあったが、ここまで高速では走ることはなかった。ぶつかる衝撃は相当なはずで、大丈夫なのかと思う。

もっともそのおかげで、本州最南端の駅、串本には約45分で到着。ここからは紀伊半島を北上していく。周参見を経て、アドベンチャーワールドの観覧車が見えてくると白浜に着く。白浜では前3両に指定席車を連結した。白浜、紀伊田辺と乗ってくる人が多い。ここまで乗客は増える一方で降りる人はいない。御坊でも数人が乗ってくる。もっとも、この後に来る普通列車を待っている人のほうが多かった。ここから紀州鉄道が分岐している。紀州といえばミカンだが、実をつけていないとどれがミカンの木だかがわからない。北国育ちなものでミカンに慣れ親しんでいないのだ。

箕島で初めて降りていく人を確認できた。海南でも数人が乗り降りして、和歌山に到着。さすがに県都らしく、降りる人が多かった。乗る人もいた。

和歌山(9:05)→五条(10:28) 164D

和歌山からは普通列車の五条行きに乗る。和歌山を出発する頃には座席がだいたい埋まっていた。

一般的な日本の風景のような場所を淡々と進んでいく。ワンマン列車だったが、途中で車掌が乗ってきた。当然、見覚えがない車掌だ。ずいぶん高齢だという印象を受けた。高野口のあたりで車内改札が行われる。どうやら車掌が二人乗っていたようだ。一両一人で担当を分けて車内改札をしている。

途中で乗ったり降りたりで、和歌山よりは少し空いている状態で橋本に到着。ここで人がこぞって降り、乗客が激減する。ちょうど南海の極楽橋行きの急行が停まっていた。向こうは立つ人がいるほどに混雑していた。ここから県境を越え、五条に着。

五条(10:29)→奈良(11:52) 438T〜542T

五条で向かいのホームに停まっていた奈良行きの普通列車に乗り換える。乗り換え時間は1分。せわしい。既に客がそこそこ乗っていて、私と同じような乗り換え客も何人かいた。

五条の次の北宇智はスイッチバックの駅だ。駅を通り過ぎて少しバックする。吉野口で客が人が多く降りていく。近鉄のあべの橋行き急行が見えた。

高田ではほとんどの人が降りていったが、それを埋め合わせるように人が乗ってきた。ここで進行方向が変わる。最後部に座っていたのが、最前部になる。

高田から桜井線になる。その桜井で多く人を乗せ、以降は奈良に向かう人で乗客は増すばかりだった。独特な建物が見えたら天理である。「ようこそおかえり」の文字が見える。高田線の中間駅は桜井と天理以外は無人駅のようだが、その全てで左側の扉が出口だった。

奈良(12:00)→大阪(12:46) 3381K 大和路快速

大和路快速大阪行きに乗る。階段から遠い、待つ人が少ないホームの大阪寄りで列車を待ち、乗って座る。郡山、大和小泉、法隆寺、王寺と客が増えていき、だいたい座席が埋まる。王寺を過ぎて三郷を通過すると山越えに入る。トンネルをいくつかくぐって、奈良県から大阪府に入る。JRの駅が二番目に少ない都道府県なのが奈良県だが、この旅でもわずかな滞在であった。

久宝寺ではJR難波行きの列車に接続をする。そちらに乗り換えていく人もいるが、やはり乗ってくる人が多い。やっぱり大阪は都会だなぁ、と久しぶりの都会に接して素直に感嘆する。快速なので大阪環状線の全ての駅には停車せず大阪まで快速に進む。奈良駅では大阪行きとアナウンスされていたはずだが、実際はこの列車は大阪環状線を一周して天王寺まで行くようだ。どうせ京橋まで行く必要があるので、これは好都合だ。ただ、大阪でほとんどの人が降りていった。

大阪(12:48)→京橋(12:54) 3381

その替わりにたくさんの人が乗ってきて、空いた座席はすぐに埋まった。それにしても大阪環状線を転換クロスシートの列車が走っているとは。東京の山手線にこういう列車が走るのは想像できない。大阪からは各駅停車で京橋に到着。半分くらいの人が降りた。ホームにあるうどん屋でうどんと稲荷ずしを食べる。

京橋(13:22)→木津(14:13) 5448M 快速

京橋から快速木津行きに乗る。前4両は木津まで行くが、後ろの3両は京田辺で切り離される。そういうわけで4号車に乗る。座れた。木津行きなので遠くまで行く人が多いのかと思ったのだが、近場でどんどん人が降りていく。四条畷で先行していた普通列車に追いつく。向こうはかなり空いていた。京橋から26分、松井山手に到着。ここはもう京都府だ。大阪のベッドタウンとなっている。ここまでが複線で以降は単線である。電化は全線でなされている。

京田辺で後ろ3両を切り離す。後ろのほうから移ってきた人で乗客の数が増えた。ここから近鉄京都線が並行する。ちょうど京都市交のグリーンの列車が走っているのが見えた。祝園では「近鉄線はお乗り換えです」というアナウンスが流れた。確かに乗り換えるのにはいちばん近く、向こうは急行停車駅でもある。近鉄木津川台駅を過ぎたあたりで、近鉄の線路をくぐって東に折れる。西木津を経て、終点木津に到着。

木津(14:18)→加茂(14:24) 3384K 大和路快速

大和路快速加茂行きに乗る。木津の次が終点の加茂なので、当然乗っている人は少なかった。木津で降りた人も少なかった。1駅6分で到着。

加茂(15:08)→柘植(16:02) 244D

普通列車の亀山行きに乗る。駅の構内に2両編成の列車が停まっていたので、あれが使われるのかと思ったら、亀山から来た1両編成が折り返しで亀山行きになるようだった。乗る人は多く、いったん座席を確保したのだが、立つ人があまりにも多かったので、座席を譲って立つことにした。これほど混むのであれば、寝かせている2両編成を使うべきだと思うのだが、これは旅客と事業者の思惑が乖離している結果である解釈すべきなのだろうか。

笠置で降りていく人がいたが、まだ混んでいる。近くを流れるは木津川で、水遊びをしている人もいた。島ヶ原では「複線電化でつなごう」と書かれていたが、現状はそれ以前の問題だ。伊賀上野でやっと座席が空いた。

柘植でこの列車を降りる。草津線の列車からこの列車に乗り換えてくる人も多かった。

柘植(16:06)→草津(16:45) 5371M

柘植からは草津線に乗る。亀山方面から来た列車から乗り換えてきた人が多い。関西方面から伊勢方面へ遊びに来た人たちだろうか。一般的には近鉄特急を使うと思うのだが、この時季はJRの普通列車のみを使う人も多そうだ。

森を抜けて伊賀から甲賀に入り、油日に着。全然人が乗ってこなかった。次の甲賀では人が乗ってくる。今風な若者が声をかけて私の隣の座席に座った。そういえば、今まで私の隣に座って人はだいたい黙って座ってきたような気がする。

草津に近づくにつれ乗客が増えていく。終着駅草津では、この列車が到着したホームが人であふれた。

草津(16:54)→山科(17:19) 803T 快速

草津で快速と新快速が緩急接続をするようで、先に次発の快速が入線してきた。ここは急ぐ必要がないので、空いている快速に乗ることにする。少しして新快速が入ってきた。立っている人もいた。

南草津、瀬田と新快速通過駅で人を乗せていく。瀬田川を一瞬で渡る。小舟が泊まっていた。右は琵琶湖である。やがて比叡山が見えてきた。煙のような雲が山の上にあった。

大津を過ぎると逢坂の関をトンネルでくぐる。すぐにもう一度越えることになるのだが、線路の敷き方がそうなっているのでしょうがない。

山科(17:36)→近江今津(18:37) 1832M

京への滞在の一瞬で、また滋賀県に引き返す。普通列車近江今津行きに乗る。山科から乗る人は多い。来た列車も混んでいた。この時間帯だから仕方がないだろう。

西大津でも乗ってくる人が多かったが、以降はどんどん降りていく。琵琶湖が見えて、その向こうに対岸の街があり、さらにその奥には山が見える。

小野ではだいぶ琵琶湖に接近する。ここでだいぶ席が空いてきたので座る。和邇のあたりまで来ると左側にだいぶ山が迫ってくる。琵琶湖と山の間を駆け抜けていく。山に沈もうとしていく太陽が見えるが、朝に新宮の海で見たものとは同じものとは思えない、不思議な感じがする。当然、太陽は一つしかないのであるが。

しばしの間、琵琶湖と離れるが、再び接近して近江今津に到着。

近江今津(18:46)→近江塩津(19:06) 4853M

3両編成の普通列車敦賀行きに乗る。客は少ない。車掌が、青春18きっぷの印が捺されていない方はお申し出ください、といったようなことをアナウンスしていたが、もう18時台だというのに、そんな人はいるのだろうか。

マキノを過ぎると琵琶湖と距離をおき、山の方へと向かっていく。永原はトンネルの間にある山間の駅だった。日暮れ近い小さな町が見える。永原を過ぎてトンネルを越えたら、いきなり停電になった。それは直流から交流への切り替えでデッドセクションを通過して一時的に照明が消えただけだ。近江塩津で降りたのは私一人だった。

近江塩津(19:11)→長浜(19:35) 150M

普通列車の長浜行きに乗る。ここから乗る人はいた。先ほどと同じ3両編成だったが、こちらは乗客が多かった。もうあたりは真っ暗だ。あまりに暗くて、外を見ても、山影、灯、そしてほんの近くしか見えない。降りる人は少なく、むしろ乗ってくる人が多い。虎姫から長浜の間でまたもや停電、もといデッドセクションを通過する。車内が暗いほうが街の灯がよく見える。平成18年秋には直流化されるらしいので、この停電もやがて今は昔になるだろう。

終点の長浜に到着。多くの乗客がこぞってこの先へと行く快速列車に乗り換えていく。そして、この列車は折り返しの敦賀行きになる。待っていた人が乗り込んでくる。私は駅の改札口へと向かった。

後書き

この日は長浜駅の近くにあるホテルに泊まる。夜の長浜はさほど賑やかではなかった。


初出 : 2005/01/23
自由活動領域 >  1978年の最長片道切符の旅 >  第21日