1978年の最長片道切符の旅  第24日 尼崎→伯耆大山 2004/09/05

前書き

9月4日は土曜日だったが仕事をして、それが終わってすぐに職場から品川駅へと行く。品川駅で新幹線を待っていると激しい夕立が降ってきた。品川18時58分発の[のぞみ33号]で西へと行く。新幹線は雨にも臆せず進むが、名古屋で接続する特急列車が遅れた影響を受け、8分遅れで新大阪に到着した。新大阪から各駅停車で2駅、塚本でこの日は泊まる。明けて5日、塚本から1駅の尼崎から旅を再開する。青春18きっぷを使用する。

本編

尼崎(6:10)→谷川(7:34) 2525M

尼崎から福知山線の普通列車福知山行きに乗る。ホームでその列車を待つ人は多い。来た列車に乗っている人も多い。とりあえず空いている席に座る。

少しづつ乗客が減っていき、川西池田で外が見えやすい席に移った。左手には山が見えるが、頂に近い部分まで住宅が建っている。宝塚では急行[だいせん]とすれ違う。10月に廃止されることが決まっていた。わずかな客を乗せて2両編成で走っている姿を見ると、痛々しささえ感じた。

宝塚を過ぎると緑が増えてくる。トンネルと森の連続だ。三田を経て、相野を過ぎると沿線に人家が少なくなってきた。篠山口を過ぎるとドアが自動で開かなくなる。車内温度を保つためで、ドアを手でこじあけることになる。

谷川に到着。ここで乗り換えとなる。やはり数人がここで乗り換えた。

谷川(7:37)→西脇市(8:07) 2322D

普通列車西脇市行きに乗る。1両編成だが、それで充分なほどの乗客数だ。

いかにも日本の典型的な田舎、という感じの場所を走る。地味な区間であるが、その中でも日本へそ公園という駅名は浮いている。「日本のへそ」下車駅とあった。ここで三人が下車した。

新西脇を過ぎると加古川の向こうに西脇の街が見える。加古川を渡って、沿線にも家が建て込んでくると西脇市に到着。当時は野村という駅名で鍛冶屋線が分岐していた。結局、最後まで乗客は少ないままだった。

西脇市(8:21)→加古川(9:15) 1330D

西脇市からは普通列車の加古川行きに乗る。西脇市の時点で乗客はけっこういた。

加古川に近づくにつれ、旅客は増えていく。12月からの電化を控え、工事中の駅が多かった。三木鉄道と神戸電鉄が乗り入れる粟生では、それなりに人が降りていく。厄神ではちょうど三木鉄道の列車が入線するところだった。

神野くらいから顕著に混雑してくるが、加古川まではすぐということもあって、空いている座席には座らず立ったままの人が多かった。

加古川(9:19)→姫路(9:29) 3207M

加古川の駅も工事中である。混雑した列車からどっと人が移動するわけだから、当然スムーズには移動できない。それでも、4分接続の新快速姫路行きになんとか乗れた。座席は空いていたので座る。乗ってしまえばこっちのもので、加古川から姫路までノンストップ、10分で到着する。

姫路では駅の地下で、私の恒例となっているたこ焼きを食べる。

姫路(10:05)→佐用(11:19) 829D

普通列車の佐用行きに乗る。姫路着の列車が折り返して佐用行きになる。この時間に姫路に着く列車だからたいへん混んでいた。それは理解できるが、この佐用行きも姫路の時点でけっこう混んでいる。

本竜野に到着。山に囲まれた街だ。播磨新宮では、駅前に手延べ素麺揖保の糸の倉庫があった。

千本で列車から降りて駅名標と自分の姿をあわせて写真で撮影してまた列車に乗り込む、ということをする人がいた。他の駅ではしていなかったから千本という名字の人なのかと思ったのだが、三日月でもその行為をしていた。数字がついた駅名を選んでいるのだろうか。このあたりの川の水はきれいだった。

結局、それほど空かないままに佐用に到着。

佐用(11:34)→東津山(12:28) 2827D

佐用からは普通列車津山行きに乗り換える。智頭急行に乗り換える人もいたが、ほとんどが私と同じ行動をとるようだ。やれやれと思いつつ列車を待っていると、やってきたのは1両編成のかわいい列車。ほぼ満席になる。立っている人もいた。

兵庫県最後の駅、上月で数人が降りていく。小さなトンネルをくぐって岡山県に入る。湯郷温泉の最寄り駅、林野で十人くらいが降りていった。それでも途中から乗る人も何人かいて、東津山に至るまで座席が埋まった状態で進んでいった。

東津山はかつては急行[砂丘]が停まったように、あたりはそこそこの市街地となっている。駅舎の中に急行[砂丘]の発車時刻が書いてあったが、今はどんなに待っても[砂丘]は来ない。

東津山(16:33)→智頭(17:48) 686D

駅の周辺で昼食をとって、13時58分発の因美線智頭行きの普通列車に乗る。そのつもりだったのだが、間違って13時53分発の姫新線美作江見行きの普通列車に乗ってしまった。確かに列車が駅に着いた時間は早かったが、対向列車待ちで停車時間が長いということはありえる。一切確認せずに来た列車に乗ってしまったのが悪かった。間違えてしまったものは仕方がない。空いている車内で事後策を検討する。とりあえず美作江見まで行って、折り返しの列車で津山まで戻った。そして、津山を16時24分に発車する智頭行きに乗る。東津山は16時27分に到着し、33分に発車する。本来であれば東津山からやり直すべきだろうが、あえてそうする気にはなれなかった。因美線は運転本数が極めて少ないが、2時間半遅れになっても乗る列車があったのは不幸中の幸いだった。

津山の時点で十数人が乗っていて、東津山でも十人くらいが乗ってきた。高野を過ぎると、おそろしく速度が下がる。景色を見るには速度が遅いほうが好都合だが、それにしてものんびりだ。

美作加茂で多くの半分くらいの人が降りていった。ここで津山行きの列車と交換したが、向こうはけっこう混んでいた。美作河井は兵庫県最後の駅である。ここでも人が降りていった。ここから山のほうに入っていくと阿波村へと至る。降りていったのは村に住んでいる人だろうか。残ったのは六人だけだった。

木の中を抜けて走る。小さな車体に木の枝があたってすごい音がする。物見トンネルを抜けると鳥取県に入る。窓ガラスが曇った。土師川に沿って進み、智頭急行が右から合流してくると終点智頭に到着。今や、岡山から鳥取までは智頭急行経由の特急[スーパーいなば]が走っている。

智頭(18:01)→鳥取(18:44) 640D

鳥取行きの普通列車に乗る。2両編成で客はまばらだった。智頭急行の車両のようだ。

走っているうちに太陽の位置もだんだんと下がってくる。山の奥の向こうのほうに太陽が落ちて、そこから漏れた光が雲と空を照らしている。鳥取に近づく頃にはだんだんと暗くなってきた。本来であれば明るい時間にここを通り過ぎるはずだったのだが、仕方がない。西の空にある一部の赤だけが目立っている。

ぼつぼつと乗る人はいたが、それほど乗客は増えないまま高架駅である鳥取に到着した。空腹だったので駅弁を買う。だいぶ売り切れていて、残数が少なかった。

鳥取(19:09)→伯耆大山(20:23) 3433D 快速[とっとりライナー]

乗るのは快速[とっとりライナー]である。2両編成。早めにホームに行って並んで座ることができたが、これからどんどん乗ってくることは明白だ。駅弁を急いでかきこむ。実際、私の向かいにも人が乗ってきた。19時5分くらいに突然車内が揺れた。いきなり揺れたので故障したのかとも思ったが、すぐに揺れは収まった。後で知ったのだが、これは地震だったらしい。その影響からか、対向列車が遅れたということで5分遅れで鳥取を出発した。出発した頃には立つ人もいた。

鳥取はさすがに県庁所在地であるから灯りもあるが、一歩離れるともう真っ暗闇である。まさに暗夜行路だ。都会の夜に慣れると恐ろしさすら感じるが、本来夜とはこういうものなのだろう。鳥取市内は各駅停車で、駅ごとに人が降りていく。

遅れを取り戻すかと思ったのだが、この列車自体あまりダイヤに余裕を持っていないのか、単線ということもあるだろうが、倉吉の時点で8分遅れになった。ここでの乗り降りはさすがに多かった。結局、伯耆大山には20時31分頃に到着。ここで降りる。

後書き

伯耆大山で撮影をして、20時28分発の伯備線の新見から来た普通列車に乗り込む。定時どおりであれば、5分の接続時間があったのだが、[とっとりライナー]が遅れて到着したのでどうなることかと思った。しかし、伯備線普通列車も遅れて入線して順番は守られたので、なんとか成功した。まあ、普通に米子に行くのであればそのまま乗っていればいいのだが、伯耆大山で降りたという証はほしかった。快速が停まらない、東山公園に行くためにこの乗り継ぐということは考えられるだろう。この日は米子駅に近いホテルに泊まった。


初出 : 2005/02/05
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