1978年の最長片道切符の旅  第25日 伯耆大山→備中神代 2004/09/06

前書き

米子発6時5分発の列車に乗るために、5時頃起床する。前日は19時頃の地震に加え深夜にも地震があったので、JRの運行に何らかの支障をきたしているかもしれない。そう思って、JR西日本のホームページで運行状況を確認してみた。すると、地震の影響ではなく、伯耆大山駅で貨物列車が脱線したために、山陰本線と伯備線が不通であるというではないか。まさに今から行く方面である。これは大変だと思い、米子駅に行って駅員に確認したのだが、どうも要領を得ない。まるで他人事みたいに話す。まあ、貨物列車が脱線したのが悪いのだから他人事なのだろうが。ホテルの人がJR西日本の米子支社に連絡をとってくれたが、既に得られている情報以上のものはなかった。ホテルのロビーにインターネット端末があったので、これからの旅程を再構築することにする。この日は三次まで行って三次から夜行バスで帰るつもりだった。伯備線の一番列車が大幅に遅れて備中神代に到着するようだと、本来であれば3分の接続時間がある芸備線の備後落合行きには乗れないだろう。その列車に乗れないと、その日のうちに三次に着くことはできない。その日のうちに三次に着きたいと思えば、備後落合から最長片道切符の旅のルートを外れて、芸備線でまっすぐ三次に行く必要がある。しかし、備後落合まで行っても、備中神代まで行っても、次回のことを考えるとあまり変わらないのである。そうなると、わざわざ三次まで行って夜行バスに乗る必要もないと考える。そこで、今日は備中神代で中断して、そのまま普通列車と新幹線を乗り継いで東京まで帰ることにした。それを決めてJR西日本のホームページで運行状況を再度確認すると、調整中という表示に変わった。動きがあったとみて米子駅に行って確認してみると、もうすぐ運転再開になるという。急いでホテルに戻って、荷物をまとめて、サービスの朝食を食べて、駅へと向かった。

本編

伯耆大山(6:19)→備中神代(7:46) 2525M

普通列車の新見行きに乗る。本来であれば鳥取行きの列車に乗って伯耆大山まで行って、伯耆大山から新見行き乗り込むというステップを踏むはずだったのだが、非常事態であるので米子から伯備線の列車に乗ることにする。6時11分発の列車は運休で、次の7時35分発の列車に乗っているとばかり思っていたのだが、この列車が6時11分の列車であるそうで、7時25分頃、1時間14分遅れで米子を発車した。後で調べると7時35分発は西出雲始発であった。乗客は少ない。

東山公園に停車。向こうのホームでは米子行きの列車を待っている人が大勢いる。通勤や通学の人たちが多そうだ。無人駅だから、たまに流れる放送で遅れの状況を知るのみなのだろう。次の伯耆大山で出雲市行きと交換した。大混雑だ。東山公園で待っている人は乗れるのだろうか、というほどである。この伯耆大山で長時間停車した。どうやら本来の次の列車の発車時刻までここで待つらしい。それならば米子の時点で待てばいいと思うのだが、それだと満線になってしまうのか。脱線現場がどこだかはわからなかった。

伯耆大山を出ると、今までの鬱憤を晴らすかのようにスピードを上げて走っていく。天気はよくないが、車窓からは大山が見え、心を慰めてくれる。岸本や伯耆溝口で高校生が大挙として乗り込んでくる。さすがは登校時間だ。2両目のドアが開かなくて戸惑っている。この列車はワンマン列車なので1両目のドアしか開かないが、本来この時間を走る列車は車掌が乗務しているので、全てのドアが開くのだろう。高校生が「何か違うよねー」とか言っている。

上溝口信号場ですれ違った列車も高校生で埋まっていた。今日の事故が米子周辺の高校生に与えた影響は大きい。仕事を休んだ社会人にも影響を与えているが、こうなると自業自得かと思ってしまう。その高校生が根雨でこぞって下車した。車内は再び静かになる。

以降の駅でも一般の客が少しづつ降りていく。鳥取県最後の駅、上石見で長時間停車した。まず上りの[やくも]が到着し、運転停車をする。次に下りの[サンライズ出雲]がやってきた。二つの特急列車がこの山間の小駅から離れ、しばらくして9時5分頃に我が普通列車が出発した。 谷田トンネルを抜けて岡山県に入る。神郷で高校生が乗ってきた。2時間弱遅れているこの列車をずっと待っていたのだろうか。次の足立に着くや、例の高校生が「おらん、みんなおらん」と言っている。確かに乗る人はおらんかった。備中神代では年寄りが何人か乗ってきた。本来はここで降りて芸備線に乗り換える予定だったのだが、予定の列車は既に行ってしまっている。今日はここでおしまいとし、このまま新見まで乗り通すことにする。ただ、けじめとして駅名標だけは撮影することにした。上石見で長時間停車した折に運転士申し合わせておいて、列車を降りて急いで撮影を済まし列車に戻った。布原は通過し、新見には9時32分頃到着した。

後書き

新見からは普通列車で倉敷に出て、おとなしく新幹線に乗って東京へと戻った。平日に休んだ意味もなく、青春18きっぷがあまり活かされなかったが、まあ仕方がない。昨日、今日とトラブルが続いて気が滅入ってしまったが、本来の勤務時間中に某駅構内でビールを飲んで気を紛らわせた。


初出 : 2005/02/05
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