1978年の最長片道切符の旅  第26日 備中神代→三次 2004/09/18

前書き

9月17日金曜日。仕事が終わると品川駅に直行。前回と同じ[のぞみ]で岡山まで行く。この日は文句なしの満席で、アナウンスによると自由席は立つ余裕がないほどであるらしい。あまり遅れると困るところだったが、1分遅れで岡山に到着した。その1分遅れを忠実に受けた普通列車新見行きに終点まで乗る。新見に着いたのは23時47分。ホテルに着いたのは24時に近かった。翌日は、新見発7時14分発の米子行きに乗って備中神代まで行く。7時21分に到着した。前回来たときは慌ただしく駅を後にしたので、今日はゆっくりと駅の周辺を見て回る。

本編

備中神代(7:39)→備後落合(9:10) 433D〜423D

普通列車備後落合行きに乗る。ここで伯備線の新見行きとすれ違う。高校生がたくさん乗っていく。こちらはと言えば乗るのは私一人。到着した列車に乗っていたのも四人だけで、しかも一人が降りていった。

山と山に挟まれたわずかな平らな部分を進んでいく。ローカルバスみたいな客の出入りで、岡山県から広島県に入っていく。

東城に到着。ここで残っていた二人が降り、客は私一人になった。ここからは日曜休日は運休となる。幸い今日は土曜日だ。ここでは対向列車を待つために20分間停車する。東城はそこそこ大きな街で、PHSも通じた。降りた二人を埋め合わせるように二人が乗ってくる。やがて、備後落合方面からの列車がやってきた。窓ガラスに水滴がついていた。

山の斜面を削ってようやく線路を敷いたようなところは、ゆっくりゆっくり走っていく。下を向けばすぐ川が見える。ここまでして線路を敷いても乗る人は少ない。小奴可に着いた頃には雨が降ってきたが、すぐに降らなくなった。備後落合の手前では思わず息をのむような美林があった。一瞬、とはいえそれを確認できるくらいの速さで通り過ぎていくが、ずっと見ているよりはその印象が深く刻まれるかもしれない。

備後落合に到着。乗客は六人になっていた。私以外は三次行きの列車に乗り換えていった。

備後落合(9:17)→宍道(11:41) 1450D

私は宍道行きに乗る。乗客は五人。三次方面から来て乗り継いだ人だろうか。一人を除くと一見に近い客のようだ。だいたいいつも乗っている人であれば、列車の写真を撮るようなことはしないだろう。

油木を過ぎると、広島県から離れ島根県に入る。島根県最初の駅が三井野原。スキー場が近くにあるが季節外れで、いたって静かだった。ここから出雲坂根まで並行して走る国道314号線はループ橋で下っていくが、こちらはスイッチバックをして駅に近づいていく。様子を見ようと外に目を向けると、雨が落ちているのが確認できた。赤い屋根の駅の上側を通り過ぎて、また戻って、出雲坂根に到着。ここで5分間停車する。ここのもう一つの名物に延命水というものがある。せっかくだから飲んでおく。ペットボトルやポリタンクに水をいっぱい詰め込んでいる人がいたので、断って、プラスチックのコップに水を注いで飲む。格別な味がするわけではない。管から落ちてくる水の量はわずかで、ポリタンクをいっぱいにするには時間がかかりそうだ。雨の降りが強くなったので、急いで車内に逃げ込む。

出雲横田で一人が乗ってくる。雨は止んでいた。亀嵩でも二人が乗車。この駅はそばで有名だ。実際、備後落合から乗っていた人の一人がそばを買っていた。一度は食べてみたいとも思うが、このロングシートの座席でそばを食べるのには少し抵抗がある。のびるから早く食べないといけないし。その人はその場で食べていた。車内が空いていたのが幸いだ。

出雲三成に到着。駅に物産館が併設されていた。ここで[奥出雲おろち号]と交換する。トロッコ車両には中年、老年の女性がいっぱいだった。あれに男一人で乗るのは辛いな、と思ってみていたら、乗っている強者がいた。後ろの車両には普通の車両がつながれており、こちらの客はまばらだった。

木次ではそこそこの乗り降りがある、沖縄の離島と同じ名前の南大東を経て、出雲大東で十人弱の人が乗ってくる。ここで座席がほぼ埋まった。乗客五人で出発した列車が、宍道には満席の状態で到着した。

宍道(11:46)→出雲市(12:10) 283M

普通列車西出雲行きに乗る。2両編成で、それほど混んでいない。荘原で8分間も停車する。宍道から出雲市までは24分だが、うち8分が荘原での時間だ。斐伊川を渡ると家が建て込んでくる。右側に一畑電鉄の線路が見えてくると出雲市も近い。終点は次の西出雲だが、ほとんどの人が出雲市で降りた。

出雲市(12:38)→江津(14:28) 327D

出雲市の駅構内でそばを食べて昼食とする。ついでに夕食用として駅弁も買っておいた。特急に乗ろうかとも思ったのだが、時間に余裕もあったので、普通列車に乗ることにする。益田行き。1両編成のワンマンカーで、帰宅する高校生などで、けっこう混んでいた。

少し走ると、日本海が見えてくるようになる。特に田儀は日本海がよく見える駅だ。波根まで来ると石見国に入ってくる。赤い瓦の屋根が目立つようになる。

大田市に到着。車内がだいぶ空いた。ここで20分間も停車する。まず、鳥取行きの特急[スーパーまつかぜ10号]と交換。次に益田行きの特急[スーパーまつかぜ3号]に抜かされる。車内を見ると空席がだいぶあって、あちらに乗ればよかったかと思った。長時間停車の間にまた人が乗ってきて混みだす。

仁万、温泉津とそこそこ大きな駅ではまとまった乗り降りがある。1両編成で充分という気もするが、余裕を考えればもう1両つないでほしいとも思う。もっとも、長距離乗車をする人は特急に乗れということか。江津で下車。降りる人は多かった。

江津(15:05)→三次(18:02) 451D

江津から三江線、三次行きに乗る。例によって1両編成のワンマンカーだが、乗客も十人ほどしかいなかった。雨が降ってきた。

列車は江の川に沿って進む。三江線はがけ崩れの虞があるということで、今月からダイヤが代わり、今までより所用時間がかかるようになっていた。いきなりがけ崩れがおきそうな場所を進む。進行速度もゆっくりゆっくりだ。川平で一人下車。交換施設がとっぱらわれていた。川戸はそこそこの集落があり、半分くらいの人が降りていった。けだるい雰囲気が流れている上、進行速度も遅いので眠くなってくる。実際、少し眠ってしまった。

石見川本では二人乗車し、二人下車した。乙原で二人が下車し、とうとう三次まで乗りそうな旅行者風の客と私の二人となってしまった。以前、青春18きっぷの季節に乗ったときはかなり混んでいたのだが、普段の三江線はこんなものなのか。ちなみに、そのときは18きっぷを使うと高くついたので普通に切符を買って乗った。時季を選べばよかったのか。

粕淵ですぐに降りそうな人が乗ってきた。この人は石見松原で降りていった。次の浜原でも一人が乗ってくる。この駅が始発の江津行きが出発を待っていた。

浜原からは人が変わったようにスピードを出す。1975年にできた比較的新しい路線だ。ただ、ここを通る列車の本数は少ない。勿体ないように思えてしまう。高架区間が多く、川に沿って走るという恭順さが消え、何度も江の川ををまたいで直線を描く。トンネルも多い。その極みは宇都井の駅で、小さな谷間の上の長い高架橋の途中に作られていて、地上からの高さは20メートルもある。一人の客が待っていたが、この列車には乗らなかった。一時間後の江津行きに乗るのだろうか。

口羽を出てトンネルを抜けると、また速度が落ちる。江の川に沿って走るようになる。川の向こうは国道が通っていて商店などもあって賑わいがある。作木口、香淀と三次に向かう人が乗ってきたが、以降は誰も乗ってこなかった。式敷で江津行きの普通列車と交換。向こうは客がそこそこいた。長谷は通過する列車が多い。駅のまわりには十世帯くらいの家があった。尾関山の手前で江の川を渡る。三次の街が見えてきた。だいぶ暗くなってきて終わりを実感しつつ三次に到着。

後書き

この日は三次で泊まる。夕食に出雲市で買った駅弁を食べようと思ったのだが、街中をぶらぶらすると、うどんのチェーン店があったので、そこでうどんを食べる。わざわざ三次まで来て食べるようなものではないが、ハンバーガーよりはましだろう。三次はこのあたりでは大きな街だが、広島県を三つに分けたら県庁所在地、という論には無理があるような気がする。


初出 : 2005/03/13
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