1978年の最長片道切符の旅  第29日 高松→伊予大洲 2004/10/09

前書き

10月8日、金曜日。仕事が終わった後、横浜へと向かった。横浜から夜行バスに乗って高松へと行くためである。東京からではなく横浜から乗ったのは、単純にトータルコストの問題である。横浜駅のみどりの窓口で今回使う鉄道の日記念きっぷを買ったのだが、ここが長蛇の列で、20分以上並んでようやく買えた。バス乗り場に着いたのは、時間ぎりぎりになってしまった。しかもこの日は台風が西から東へと向かっていた。横浜の時点でも雨はだいぶ降っていた。途中、バス車内にて激しく雨が降っているのを感じ、本当に高松にたどり着けるのかとも思ったが、6時35分、定刻より約20分遅れで高松に到着した。

本編

高松(6:45)→佐古(9:23) 317D

そういうわけで、予定していた6時45分発の徳島行きの普通列車には問題なく乗れた。朝食が売店で売っていたパンという寂しいものになったが、無事に旅を始められただけでもよしとする。雨はまま降っている

2両編成に客はわずかだったが、途中から高校生がぽつぽつと乗ってくる。八栗口でその一部が降りる。過ぎると、少しだけ海が見えた。その向こうに島らしきものが見えたが、実際は岬だろう。志度では徳島行きの特急[うずしお1号]の通過待ちで11分間停車する。その特急列車は高松行きの普通列車ごしに見た限りでは、ほとんど客が乗っていなかった。

神前でも高校生が降りる。おそらく高松あたりから乗ってきた学生だろう。高松からここまで55分。さらに東へとすすみ、讃岐相生で香川県と別れる。平地を走っていたのが、急に山越えになる。徳島県最初の駅、阿波大宮は山あいの駅だ。この駅で8分間停車した。板野まで降りてくると、あたりも街になってくる。乗る人も多い。勝瑞、吉成と、到着直前で連続で交換待ちのため5分間停車する。走っている時間よりも停まっている時間のほうが長いような気になってくる。ようやく高架駅の佐古に到着。ここでは4人降りた。

佐古(9:46)→阿波池田(11:30) 443D

阿波池田行き普通列車はなんと4両編成だった。この長さはさすがにもてあまし気味だ。徳島に行った列車の折り返しだからだろうか。

徳島市を出ると、吉野川市に入る。その中心が鴨島ということになるのか。駅前はけっこう賑やかで、降りる人も多い。過ぎてすぐに吉野川遊園地が見える。西麻植、阿波川島の次が学で、この駅の入場券が五枚で「御入学」ということで、受験生がそれを買い求めるという。実際に見てみれば普通の小駅だった。吉野川市を走っているのに、車窓から吉野川は見えない。ようやく見えてきたと思ったら、穴吹町に入った。

少しづつ人が降りていく傾向にあったが、貞光以降は乗る人が増えてきた。辻では徳島行きの[剣山]と交換したが、ざっと見た感じでは3人くらいしか人が乗っていなかった。そこそこ大きな街が近づいてきて、終点の阿波池田に到着。阿波池田のホームにはかつてはそば屋があったと思ったのだが、なくなっていてがっかりする。改札を出て駅に隣接している店でそばを食べた。

雨はもうあがっていた。台風の影響で旅程がどうなるかわからなかったので、今日の宿の予約をしていなかったのだが、もう大丈夫だろうと思い、伊予大洲のホテルに電話をして予約をとる。

阿波池田(12:11)→高知(13:24) 37D 特急[南風7号]

阿波池田から窪川までは特急列車に乗って一気に駆け抜ける。窪川までの乗車券と特急券を窓口で買った。4760円。どちらかというとほぼ同刻発の高松行きの特急を待っている人のほうが多かった。私が乗るのは[南風7号]高知行き。アンパンマンのペイントが施してあった。高松行き特急の遅れの影響で、こちらも遅れて発車した。

小歩危、大歩危峡を往く。確かに岩とコンクリートが同化しているようなところがあるものの、眺めは悪くはない。川下りの舟があった。確かに今は雨もあがって問題なく乗れるが、台風が来るかもしれないという中で、川下りを計画した人はいたかどうか。客が実際にいるかまでは確認できなかった。

大歩危に到着。無人駅のようで、車掌が下車した客から切符を受け取っていた。その後、少し雨は降ってきたが一時的なものだった。豊永で特急列車の通過待ちを行う。既に高知県に入っている。南国土佐に入って、雲の切れ間に青空が覗き始めた。大杉で高知行きの普通列車を抜かしていく。ここを過ぎると山から里へと下りにかかる。日の光に照らされて、川の水面も、雨でぬれた木の葉もきらきらと光っていた。

土佐山田では乗ってくる人がけっこういた。高知までの自由席特急券は310円だから、気軽に特急に乗れるのかもしれない。御免に停車の後、終点高知に到着。

高知(13:28)→窪川(14:28) 2071D 特急[あしずり1号]

本当は窪川まで直通してくれればよかったのだが、高知で乗り換えを強いられる。高知始発、中村行きの特急[あしずり1号]は、既に人が多数乗っていた。なんとか窓側の空席を見つける。

高知を出ると佐川まで停まらない。無停車時間が長いからか、発車してすぐに車内改札がやってきた。その佐川で数人が降りていった。次の須崎はまさに港町という印象だ。ここでも数人降りる。ここまで晴れていたが、空が白い雲に覆われるようになる。ここから先、少しだけ海が見える。遠い海は青っぽく、近い海は白っぽかった。土佐久礼を経て、窪川に到着。ここで降りる。

窪川(14:37)→北宇和島(16:58) 4845D [清流しまんと1号]

窪川からの宇和島行きは1両編成だが、後ろにトロッコ車両をくっつけている。ここに来てこの列車がトロッコ車両を連結していることを知った。窪川からはこの車両には乗れない。乗客は子供も含め13人。

窪川までは若井までは土佐くろしお鉄道である。そもそも、中村線が予土線よりも先に開通し、その中村線がそのまま土佐くろしお鉄道に移管されて今に至っている。。鉄道の日記念きっぷで土佐くろしお鉄道には乗れないから、この区間の200円を別に払うことになる。ワンマン列車だが、トロッコを連結しているので車掌が乗っている。この車掌が早々に200円を徴収しに来るかと思ったが、それはなかった。

誰も乗らなかった若井を出てしばらくすると川奥信号場に停まる。ここで予土線と中村線が別れるのだが、どう別れていったのか、よくわからなかった。家地川のあたりから四万十川に沿って走ることになる。雨が降ったからか清流という感じは受けなかった。

土佐大正からトロッコ車両が開放される。ここから江川崎までがトロッコ車両開放区間となっている。土佐大正で一人が降りて、三人を残して他の人がトロッコ車両に移っていった。その中には一人旅の男性や女性もいた。残った私以外の二人は地元の人っぽい。また、土佐大正からトロッコ車両に四人が乗った。私はトロッコ車両に乗りたいとはたいして思わないが、トロッコ車両に乗っている人がどういう風にそれを満喫しているかには興味があった。ただ、そちらを覗くと、まるでトロッコ車両が羨ましいみたいだからやめておく。確かにトロッコ車両を連結している日は、していない日に比べると土佐大正から江川崎までの所要時間が長い。これは、トロッコ車両に乗っている人のためにゆっくり走っているに他ならない。その代わりに江川崎での停車時間が短くなっている。江川崎以遠に行くのであれば、トロッコ車両が連結していてもしていなくても所要時間は変わらない。

ゆっくり走る列車の中ですることといえば川を眺めるくらいだ。欄干がない、沈下橋と呼ばれる橋がいくつも架かっていた。見慣れないので珍しく感じる。ゆっくりと見ると確かに清流かなと再考する。カヌーが停泊していた。人それぞれの川の楽しみ方がある。

江川崎に着いて、トロッコ車両から人が引き揚げてくる。江川崎からは明らかに速度が上がる。それにしてもここまでまわりに人家も少ない閑散区間だった。

真土からは愛媛県に入る。県境を越えた感じはしなかった。松丸、近永と人が乗ってきて、観光客だらけの状態が解消されて一般客の割合が増えていく。田園地帯をしばらく行って、務田を過ぎて長い下り勾配を下がって、北宇和島に到着。運転士に鉄道の日記念きっぷを見せて、200円を払って降りる。

北宇和島(17:15)→伊予大洲(18:36) 740D

北宇和島は無人駅だ。「ただ今予讃線では、少々遅れています」という自動放送がなされた。それだけ言われても困る。どの列車がどれくらい遅れているのかわからない。果たして、普通列車の松山行きは定刻通りにやってきた。遅れていなかった。特急列車っぽい車両で、しかも空いていた。

伊予吉田で特急列車と交換する。しかし、向こうが少し遅れているという。やはり遅れていたのか。もう暗くなりかけているのに、遅れるのは少し痛い。

立間を過ぎると登りにかかる。トンネルの切れ間に左手の遠くに海が見える。ここからは海が遠くになる。卯之町は今や西予市だ。降りる人は多かった。もうだいぶ暗くなっている。伊予石城のあたりはもう闇だった。八幡浜を過ぎて、夜昼峠を抜ける。昼でも夜のような暗さであることから名付けられているが、今は完全に夜だ。伊予大洲の手前で、ライトアップされていた大洲城を見ることができた。夜には夜の楽しみがあるということか。その伊予大洲で下車。

後書き

台風の影響が懸念されたが、予定どおりに伊予大洲まで来ることができた。この日のニュースでは、東京が台風の被害に遭っていることが報じられていた。


初出 : 2005/05/15
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