1978年の最長片道切符の旅  第30日 伊予大洲→広島 2004/10/10

前書き

ホテルから駅まで歩くにつれ、空が明るくなってきた。天気はよくなく、今にも雨が降りそうだった。

本編

伊予大洲(6:05)→伊予上灘(6:53) 722D

伊予大洲から長浜経由の松山行き普通列車に乗る。今でこそ内子経由の新線が開通しているが、当時は内子線は盲腸線で、大洲から松山に至る線路は長浜まわりの線しかなかった。当然、この旅でも長浜経由を選んで乗る。

肱川に沿って海に向かって進む。伊予出石のあたりで強い雨が降ってきた。伊予長浜からは海に沿って進むが、雨が強く降り、窓ガラスに水滴が付着してどうも外が見えづらい。もっとも、景色のことを気にしているうちはよかった。とうとう、伊予上灘では強雨のために進めなくなるという事態になってしまった。雨が強いとはいえ、列車が進めなくなるほどではないと思っていたのだが、一向に動く気配がしない。1時間くらい経っても何のアナウンスもないので、運転室に行ってみる。乗務員に話を聞いてみるが、雨のため動けないというだけで、どうも要領を得ない。代行バスなどは運行しないのかと訊いてみるが、その予定もないという。やれやれと思いつつ、とりあえず何らかの情報を乗客に伝えるべきだ、という注文はしておく。

結局、この列車はここで運行を中止、代行タクシーが用意されるということになった。

伊予上灘(8:25頃)→伊予市(8:40頃) 代行タクシー

伊予上灘の駅前に代行タクシーがやってきた。ジャンボタクシーだ。8人くらいが乗った。その前に別のタクシーが発していたので、2台のタクシーに分乗して行くという形なった。国道378号線を伊予市に向けて走る。線路より道路のほうが海に近いからその分よく見えるが、そんなことで喜んでいる余裕はない。伊予上灘から伊予市まで15分ほどだった。伊予市に着いて掲示を見てみると、伊予市6時20分発から、長浜経由の列車は運休になっていた。

本来であればとっくに松山に着いているはずで、その松山で朝食を調達する予定だったので、ひどくお腹が減っている。駅員に近くに店はないかと尋ねると、歩いて十分くらいかかるという。やれやれと思っていると、駅前に街家という店舗群があり、そこが開いているかもしれないと言われた。そこに行ってみる。数年前に伊予市に来たときにはなかったから、新しい施設だと思う。嬉しいことに開いている店があって、そこで蒸しパンと山菜おこわを買った。コンビニエンスストアのパンなんかよりはよほど上等なものだ。

伊予市(9:09)→堀江(9:38) 4628M

普通列車伊予西条行きに乗る。1両編成のワンマン。始発なので早めに入線しており、車内で座って山菜おこわを食べた。対向の特急列車が遅れていて、3分ほど遅れて伊予市を発った。

途中から松山に行くと思しき若者がたくさん乗ってくる。市坪は坊ちゃんスタジアムが目の前にある。ここは日本でいちばん駅に近い野球場かもしれない。

松山に到着。ほとんどの人が降りていく。が、それを上回る人が乗ってきた。松山から先にどこへ行くのだろうか。途中からもけっこう人が乗ってくる。私は堀江で下車。9時40分頃に到着した。

堀江(10:30)→阿賀(12:20) 呉・松山フェリー(仁堀連絡船代替)

堀江の駅から雨の中を港まで歩く。それほど遠くはないが、雨が降っているので港まで歩くのには難儀した。堀江からは仁堀航路の跡をたどる。1982年廃止されるまで、堀江から仁方までを結んでいた航路である。当時も1日3便しか航行されていなかったのだが、この航路がなければ最長片道切符の旅において四国が無視される形になるので、「原典」でも「四国の救世主」とまで書かれている。

堀江から仁方まで行く船便はなくなったが、仁方に近い阿賀まで行く船便が、呉・松山フェリーとして航行されている。それに乗って阿賀まで行き、そこからJRで仁方まで行って、仁堀航路の代替としたいと思う。その呉・松山フェリーだが、私が乗った便は数えるほどしか乗客がいなかった。雨が降っているので、船内の椅子に座ってテレビを見ていた。蒸しパンを頬張った。

広島側に入って、外に出てみる。雨は降っていないが、風が強い。漁船の集団が見えた。天気も悪く船も揺れるだろうに、小さな船で仕事をするというスキルは特別なものであると考える。私であれば、すぐに気持ち悪くなるだろう。

阿賀港に着く。ここから駅までも少し離れている。雨は少し降っていたが、傘を差さずとも済む程度だった。

安芸阿賀(12:59)→広(13:04) 5626M 快速[安芸路ライナー](仁堀連絡船代替)

広行きの普通列車に乗る。3両編成。2駅、5分で終点の広に到着。

広(13:10)→仁方(13:13) 140M(仁堀連絡船代替)

広で三原行きの普通列車に乗り換える。2両編成で、ほとんど人が乗り換えて、座れなかった。もっとも今回は1駅しか乗らないから、さほど問題ではない。3分で仁方に到着。

仁方港に行ってみる。霧雨が降っていた。祭りがあるらしく、ビニールを被った子供御輿が街を練り歩いていた。港の近くには仁堀航路跡と書かれた石碑が建っていた。たいしたことがないものだが、こういう碑があるとここまで来た甲斐があったというものである。今、仁方港からは豊島行きの船が出ているようだ。

仁方(14:14)→三原(15:32) 142M

三原行きの普通列車に乗る。混んではいたが、先ほどの列車よりは空いていて座ることができた。次の安芸川尻で降りる人が多く、だいぶ空いた。

現在の日本、戦時下に向かっているという気配を感じないわけでもないが、少なくともこのあたりで戦艦を造っているわけではなく、天気も悪く日も差さないので、海側の窓は閉まっていない。しかし、ロングシートなので景色は見づらい。かつての幹線なのでホームが長いのはわかるが、この2両編成には少し長すぎる感もある。

安芸津、竹原と降りていく人が多い。忠海を過ぎたあたりで海に再接近する。瀬戸内の島々も見える。近くの島は森の緑までよく見えるが、遠くの島は白がかかっている。須波の手前で瀬戸田行きの船が見えた。 三原は新幹線も停車する高架の駅で、一気に都会に舞い戻ってきた感がある。

三原(15:52)→広島(16:56) 5365M 快速[シティライナー]

当初、この日は新山口まで行く予定だった。小郡から新山口と名前を変えた場所を一日の終わりとするのは少し癪だったが、前後の旅程を考えるとそれが最善だと思われた。しかし、伊予上灘でのトラブルにより、新山口まで行くと日が暮れてしまう。そういうわけで次に来る列車が新しい車両で空いていたら岩国まで、そうでなかったら広島まで行くことにした。やってきた列車は古いうえそこそこ混んでいたので、本日は広島で旅を終わることにする。列車が来て座るやいなや、PDAからインターネットに接続して本日の宿を予約した。こういう芸当ができるという点においては、現代の情報技術社会の便利さを感じずにはいられない。

本郷を出てすぐのところに、「小早川隆景居城新高山城跡」の表示板がある。歴史が好きな人には興味を惹かれる表示板だが、その跡は今となっては単なるの山だ。

西条ではホームにあふれるばかりの人がいた。どうも、西条で酒まつりがあったらしく、そこから帰る人でごった返しているらしい。一気に満員電車へと変わった。多くの人を乗せて列車はセノハチを軽快に下って瀬野に着。ここで各駅停車に乗り換える人がいて少しは空く。こちらはここから広島まで停まらない。広島に近づき人家が密集してくる。海田市からは平地になってくる。広島では半分くらいの人が降りた。

後書き

広島駅の近くにあるホテルに泊まった。明日の朝が早いため、駅の近くのホテルを選ぶ必要があった。この日は定番のお好み焼きを食べる。


初出 : 2005/05/15
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