夜が明ける前にホテルを発つ。二日連続で早起きだ。
普通列車の下関行きに乗る。4両編成のセミクロスシートだ。こんな朝早くだが、客はままいる。空が明るくなりかける頃に出発。
新井口からは複々線となる。わけではなく、広電宮島線と並行する。それが五日市まで続く。宮内串戸を抜けると海が見えた。宮島も見える。大鳥居も少しだけ見えた。
玖波のあたりでは、宮島と工場が見える。吐き出されている白い煙の向こうに、白い雲からはみ出した光が見える。
岩国に到着。客がそこそこ入れ替わった。次の南岩国で若者が多く降りていった。このあたりから海に近い場所を走っていく。波打ち際といってもいいような場所もある。もっとも、ほとんど波はなかった。かつては国鉄航路が発していた大畠から、針路が南から西へと変わる。柳井港では駅舎の向こう側に「ようこそ柳井港へ、港はすぐそこです」という表示があった。そのすぐそこに船が泊まっていた。ここから海とは離れる。
光あたりから乗ってくる人が増えてくる。徳山に向かう人かとおもったら、櫛ヶ浜で降りる人が多かった。近くの工場に勤める人たちだろう。早朝から延々と列車に乗っていると、それが通勤列車になっていたことの意識が希薄になってくる。徳山で降りる人も多く、乗客がぐっと減ってくる。
防府まで来ると目的地も近い。高架の線路の上から台風の被害を受けたと思われる、青いビニールシートがかかった屋根がいくつも見えた。広島から3時間半かけて、新山口に到着。原典ではこの区間を快速列車で2時間半余で通り抜けている。停車駅は、広島、横川、西広島、五日市、宮島口、大竹、岩国、由宇、大畠、柳井港、柳井、田布施、光、下松、徳山、周防富田、防府、小郡。周防富田は今の新南陽。
新山口はかつては小郡という駅名だった。小郡という名前も福岡県の小郡市と混同するが、そこにつけられた地名を使っているのだから文句の言いようがない。それ以上に新山口という名前には違和感を感じる。山口駅よりも新山口駅のほうが古くに開業している。新幹線が停まる山口の駅、としか解釈のしようがない。
ここから益田まで特急[スーパーおき2号]に乗る。駅で乗車券、特急券と昼食用の弁当を買う。2両編成で喫煙車はない。煙草はデッキで吸え、とのことだった。陽が当たりにくい進行方向左側に客が集中した。
新山口を出ると湯田温泉に停まる。ここからは20人くらいが乗ってきた。次は山口に停まる。ここでは4人しか乗ってこなかった。山口という駅は、県庁所在地の代表駅とは思えないほど、駅前が寂しい。
山のほうに入っていくに従って空に雲が増えてくる。大山第3踏切でにおいて、カメラを構えた人が多数こちらに停まっていた。[SLやまぐち]の撮影を目的としているのだろう。ちょうど上り勾配なので、機関車がもくもくと煙を吐く姿を撮影するには絶好の場所なのだろう。その先でも、藪の中に三脚だけがいくつも据えてあったりして、その様子は少しシュールだった。遠くにある道路に車が何台か停まっていたので、あの車の主が据えたのだろう。
三谷を過ぎると少し雨が降ってきた。しかし、すぐ止んだ。山の天気は変わりやすい。この後も雨は降ったり止んだりした。
白井トンネルを抜けて、島根県に入る。津和野の街を見下ろす。赤い屋根が目立った。津和野では降りる人が多かった。乗る人も多い。いわゆる小京都の代表的な街で、私も行ったことがあるが、こんなに不便な場所でもこれだけの人が集まるものなのだなと感心したものだった。魅力のある場所には時間がかかったとしても人は訪れるものなのだ、と思う。駅構内にSLの転車台があった。
津和野から日原を経て、益田に到着。降りたのは20人くらいか。それを埋める感じで人が乗っていった。
長門市行きの普通列車は1両編成のロングシートだった。予想通りとはいえ寂しい。車内の人が少ないうちに、新山口で買った弁当を食べる。客層を見ると、趣味で鉄道に乗っている感じの人が多い。座席はほぼ埋まった。踏切警報機故障ということで5分ほど遅れて出発。
益田を出発して、高津川を渡って、すぐのところにある連理松踏切の直前で列車が停車した。車内の客が何事かと身を乗り出す。すると、運転士が踏切の安全確認をするということで、列車から降りて踏切のほうに歩いていった。益田駅あたりから人を派遣できなかったのかとも思う。しばらくして運転士が戻ってきて、11時19分頃に出発した。15分くらい遅れている。明らかに速度を上げている。長門市では2分接続で美祢線に乗り換える予定で遅れるのは困るのだが、他にもその乗り継ぎをしそうな人がいそうなので鷹揚に構える。もっともこの時点では接続を切られても仕方がないかと思っていた。
益田の次の戸田小浜に着いたのが11時26分頃。定刻よりも15分遅れ。地元のおばさん二人が下車していった。ここで運転士に美祢線に乗り継ぐ人はいるかと訊ねられる。私を含め6人いた。
日本海は波が高く荒々しかった。朝に見た太平洋とは対照的である。太平洋側と日本海側の地域の性質は、結局のところ海の性質に起因して語られているように思う。
須佐で10分遅れまでに回復した。宇田郷では、特急列車との交換待ちのためにしばし停車するという。このタイミングでビールを飲んでいたおっさんがトイレに行ったが、跨線橋を渡ってすぐに特急列車がやってくるという、コントみたいな展開になった。走っていって、走って戻ってきた。酔いがまわりそうだ。かく言う私も、トイレなし列車を乗り継ぐということもあって、奈古での交換待ちで他の人がトイレに行ったのを機に済ませておいた。
東萩に12時28分頃到着。ここで何人か乗ってくる。やはり、美祢線に乗り継ぐかを訊ねた。乗り継ぐ人は何人かいた。玉江では高校生が乗ってくる。遅れているのに、ちんたらと乗ってくる。ここを過ぎた時点で、美祢線との接続をとるという放送がなされた。
そうなると後は長門市に向けて走るのみである。13時1分頃、約8分遅れで長門市に到着した。
着いたホームの向かい側に停まっていた厚狭行きの普通列車に乗り継ぐ。やはりキハ120。座ることはなんとかできた。長門市を8分遅れで出発する。
以前、長門市から美祢線に乗ったときも、遅れていた特急列車の接続をとって8分遅れて出発したということがあった。それでも、厚狭に着いたのは定時に着いたので、美祢線に乗ってしまえば何の心配もしていない。ましてや、今回は厚狭での乗り換え時間はたっぷりある。
これまで山陽と山陰の間を行ったり来たりしていたが、これが最後の陰陽連絡となる。温泉街がある長門湯本を経て、小さく山を越える。於福では、近くにある道の駅が賑わっていた。美祢には数分遅れで到着。乗り降りする人はそれほどいなかった。
かつて大嶺支線が分岐していた南大嶺で長門市行きの普通列車と交換する。大規模な採石場があった。湯ノ峠を過ぎて、2分遅れで運行しているという放送があり、そして、そのままの遅れで厚狭に着いた。途中での乗り降りは少なく、長門市から厚狭まで通しで乗る人が多いようだ。
厚狭駅、7番線ホームは「下関・九州方面」と案内されている。今度乗る列車は下関行きだが、いよいよ九州まで手が届くところまで来たかと思うと感慨深い。
その下関行きは2両編成だった。足りるのかと思ったが、厚狭の時点ではだいぶ空席があった。埴生は山陽オート、長府は下関競艇が近くにあるが、それらしき人の乗り降りは少なかった。山陽オートの駐車場には車がびっしり停まっていたから、今が熱が入る時間帯なのだろうか。
新下関で人が大量に乗ってきて、いよいよ混雑する。もっとも、新下関の次が幡生で、その次が終点の下関である。
いよいよ本州を脱出する列車に乗る。普通列車行橋行き。4両編成。下関止まりの列車から乗り換えた人が多かった。下関の港湾施設を眺めつつ行き、いよいよ関門トンネルに入る。トンネルを抜けるともうすぐ門司という車内放送。あっけなく九州に上陸した。
門司から快速大牟田行きに乗る。4両編成ということで、小倉で連結するのかと思ったら、4両編成そのままだった。福岡圏を走る快速列車で4両編成で足りるというのは考えにくかったが、特急列車に乗る人もいるだろうし、バスも発達しているし、で、意外とそんなものなのかもしれない。実際、立つ人はいたが、混雑するほどではなかった。
小倉から戸畑、スペースワールド、八幡、黒崎、折尾と、北九州市内の主要な駅に停まる。折尾から赤間までは無停車で走る。実際、駅のまわりはともかく、沿線の様子は無停車区間を実感させる。赤間からは乗る人が増えてくる。福間では特急列車の通過を待つ。小倉で特急を先に通したばかりだというのに、もう次の特急に捕まっている。本当に特急銀座だ。
客の出入りを見た感じでは、入れ替わりが激しく、小倉から博多まで通しで乗るという客は少なさそうだった。かくいう私も香椎で降りる。
香椎では小腹が減っていたので、以前入った駅構内のうどん屋がに入ろうと思ったら、つぶれていた。一回した来たことがない店だが、かなりショックを受けた。代わりにコンビニエンスストアの中華まんで腹を満たす。
宇美方面から来た列車の折り返しが、今度乗る普通列車宇美行きだ。2両編成。ちょうど何かの試合帰りだと思われる中学生と同じ車両になってしまい、うるさい。別の車両に移ればいいのだが、こちらが先に座ってそれをするのはしゃらくさい。結局、彼らは宇美まで乗った。
香椎線のこの区間は初めて乗ったが、福岡郊外をゆっくりけだるく走る路線、という印象を受けた。当時は駅がなかった長者原に着く。ここに駅がなかったため、最長片道切符の旅で、香椎線−勝田線−篠栗線、というルートが成立していたのだが、せっかく交差しているのだから駅を作ってほしいという要望が出たのか、1988年に開業している。ここから乗ってくる人が多かった。博多から篠栗線に乗って長者原まで行き、そこから香椎線に乗り継ぐという需要が多いのだろう。駅を作ってよかったではないか。
長者原で乗せた客を各駅で降ろしつつ、終点の宇美に到着。宇美の駅員の愛想はよかった。
宇美駅前は整備されていて、バス乗り場もしっかりとしたものがあるが、今度乗るバスは宇美駅前には停まらない。駅から少し離れた上宇美というバス停まで行かなくてはならない。香椎線宇美駅と勝田線宇美駅も少し離れていたという。
西公園行きのバスに乗る。このバスは旧勝田線とほぼ同じ経路をとる。宇美から博多方面に行くバスは多数あるが、吉塚を経由するバスはこの系統だけで、1時間に1本しかない。2人が乗車した。
下宇美ではバスを待っている人はいたが、このバスには乗ってこない。近くにタクシーの待合所があったのも、かつて駅があったことの名残かもしれない。
バスは県道を走る。あまり広くない道だが、交通量は多い。駐車場を完備した大型店も建ち並び、そこに入る車があり、そこから出る車もありで、どうもスムーズに走れない。数分だが遅れが生じてくる。途中で暗くなってきて、これで今日は最後とはいえ、あまり遅れてほしくはないな、と思ってくる。少ないながらも客が乗り降りして、私が下車する吉塚駅東口には、ちょうど定時に着いた。どこで帳尻があったかはわからないが、定時に到着したというのはすばらしい。
バスを降りると、駅へと向かう。思ったよりも遠くてとまどってしまった。吉塚からJRで博多まで行き、そこから地下鉄で福岡空港へと向かう。空港内のレストランで九州到達の祝杯をあげて、飛行機に乗って東京に戻る。家に着いた頃には翌日になっていた。