1978年の最長片道切符の旅  第32日 吉塚→新飯塚 2004/11/06

前書き

先月からこの旅がらみで5ヶ月連続で九州に行くことになる。九州まで行くとなると飛行機に頼らざるを得ないが、ここで貯まっていたマイレージを使うことにした。

始発列車に乗って羽田空港に向かい、朝早い飛行機で福岡まで飛ぶ。博多まで地下鉄で出て、博多から吉塚までは準快速という聞き慣れない種別の列車に乗った。吉塚に停まるかどうかわからずに乗って、車内で停まることを確認して喜んだのだが、吉塚は準快速どころか快速も停まるらしい。知らなかった。近くに福岡県庁や九州大学があるのだから、当然といえば当然か。

本編

吉塚(10:04)→飯塚(10:39) 4624H 快速

直方行きの快速列車に乗る。座席が半分以上埋まっていた。快速は長者原、篠栗と停まるが、当時は吉塚と篠栗の間には原町駅しかなかった。要するに、当時の普通列車と現在の快速列車の篠栗までの停車駅数は同じである。

篠栗を抜けると山の中に入ってくる。トンネルも目立ってくる。城戸南蔵院前で年配者の団体がこぞって降りていった。これで車内がだいぶ空く。九郎原を通過し、筑前大分からは各駅に停車する。駅前に新興住宅地が形成されていた。桂川到着前には、「原田行き14時35分」という案内があったが、4時間後の列車の接続案内をしなくてもいいような気がする。

桂川から二駅で飯塚に着。

菰田駅通り(12:56)→西鉄上山田(13:30) 西鉄バス(上山田線代替)

最長片道切符の旅のルートだと、飯塚から上山田線に乗って豊前川崎に行くことになる。しかし、このルートを現在忠実に再現しようとするとかなり厄介である。もちろん、飯塚から豊前川崎まで直通する代行バスというものはない。それどころか、途中、公共交通機関がない区間もある。そういうわけで、以下の行程を選んだ。

まず、飯塚駅に近い菰田駅通りバス停から上山田行きのバスに乗る。菰田駅の通りというようにとれるバス停名ではある。少し遅れてバスがやってきた。十人くらいの客がいた。

バスは後藤寺線と遠賀川を挟んで並行して、漆生線の駅があった鴨生を経由して、以降は山田川にほぼ沿って山田へと向かう。上山田線の代替区間と呼べそうなところを走るのは下山田から上山田の間くらいなものなのだが、忠実に旧上山田線の跡を走るバスがない以上、仕方がない。鴨生あたりから客が減っていき、西鉄上山田まで乗ったのは私だけだった。

生涯学習館(14:26)→熊ヶ畑(14:34) 山田市バス(上山田線代替)

西鉄上山田バス停から近くの場所に国鉄上山田駅があった。上山田駅の跡地には生涯学習館、図書館が建っている。図書館はかなり立派なもので、少しの間郷土資料を見ていたりしていた。

その近くにある山田市バスの生涯学習館バス停でバスを待つ。やってきたバスは定員十人くらいの小さなバスだった。100円均一の前払い方式だ。既に二人が乗っていて、私の他にもう一人乗った。乗ってみるとガラス窓が大きく、外の景色が見やすい。途中には鉄橋など、上山田線の遺構が見えた。

途中で誰も停車ボタンを押していないのにバスが停車し人が降りていった。常連の人なのだろう。熊ヶ畑まで乗ったのは私一人だった。かつては熊ヶ畑まで西鉄バスが運行されていたが、廃止を受け市が代わりに運行している。それもやむなしという状況か。

熊ヶ畑→豊前川崎 徒歩等

ここから豊前川崎方面へは公共交通機関がないので歩くしかない。上山田線の熊ヶ畑トンネルが今でも残されていて人が歩くことも可能である、という情報は得ていた。ただ、どういう状態になっているかわからないので、正規の道路である県道を歩くつもりではいた。その場所に行ってみると、トンネルのほうはわりと容易に通り抜けられそうである。一方で県道のほうは上り坂となっている。私の足はトンネルへと向かった。

トンネルの向こうには小さな光が見えるが、周りは真っ暗である。用意していた懐中電灯を点す。距離はあるが、まっすぐで平らなので歩きやすい。レールが撤去されていたが、実はこのレールは盗まれていたのであった。一応、山田市が管理していたようだが、どちらかというと放置されているという印象を受けた。

トンネルを抜けて川崎町へと入る。ここから真崎バス停まで歩いて、豊前川崎駅までバスに乗るつもりだったのだが、途中で通りかかった車に乗せてもらい、川崎町中心部まで乗せてもらうことができた。お陰で予定より一本早い列車に乗ることができた。

豊前川崎(16:26)→田川後藤寺(16:33) 968D

久しぶりに鉄道に乗る。田川後藤寺行きは1両編成のワンマンカーだった。

西の山の上には太陽が見える。だいぶ位置が低くなってきている。それに照らされること7分、終点田川後藤寺に到着。私以外の客は向かい側に停まっていた小倉行きの列車に乗り換えていったようだ。

田川後藤寺(16:42)→新飯塚(17:03) 1554D

田川後藤寺から新飯塚行きの列車に乗る。1両編成のワンマンカー。乗客はたったの4人だった。

次の船尾は駅前にセメント工場がある。削り取られた山が肌をさらしていた。白をかぶった風景があたりに広がっている。そのセメント工場で働いている人も何人かいた。

小さなトンネルを抜けて嘉穂郡に入る。下鴨生では一人が乗って、一人が降りた。ここで田川後藤寺行きの列車と交換したが、かなり混んでいた。この時間帯はそういう旅客動向になっているのであろう。上三緒でも一人が乗車して、延べ6人がこの列車を利用したことになる。やがて、新飯塚に到着。今日はここでおしまいである。まだ太陽がはっきりと見えたが、雲がかかっているからか、優しい光を放っているように見えた。

後書き

この後、飯塚駅に戻ってコインロッカーに預けた荷物を取りにいったのだが、その鍵をどこかでなくしてしまい、荷物を駅員に頼んで出してもらった。余計に1500円払うことになった。この日の泊まりは新飯塚駅近くのホテル。このあたりは鳥の唐揚げを売る店が多く、そのうちの一つで軟骨の唐揚げを買ってビールのつまみとして食べた。


初出 : 2005/05/29
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