1978年の最長片道切符の旅  第34日 博多→大牟田 2004/12/28

前書き

12月27日、仕事が終わって羽田空港に向かう。飛行機に乗って福岡へ。職場を出てから4時半後には博多駅近くのホテルへと投宿していた。無事に福岡に着けたことで翌日は朝から旅を進めることができる。この二日間は青春18きっぷを利用する。

本編

博多(6:13)→筑前前原(6:50) 423C 福岡市交通局(筑肥線代替)・JR

博多からは筑肥線に乗るべきだが、1983年に廃止となっている。その代わりとして地下鉄空港線に乗る。福岡空港から来た列車だが、当然この時間には飛行機は着陸しておらず、乗客も少なかった。車両は福岡市交通局のものだった。外はまだ暗いが、地下鉄なのでそれには関係なく暗いところを走る。室見ですれ違った福岡空港行きの列車は立つ人もいるくらいだった。

姪浜の直前で地上に出る。やはり外は暗いままだ。ここからはJR筑肥線となる。どんどん客は減っていく。終点、筑前前原の一つ前の波多江で乗ってくる人がそこそこいたので謎に思っていたのだが、どうもこの人たちは折り返して博多方面に行くようだ。筑前前原には博多方面へと通勤で向かう人たちがこぞっていた。

筑前前原(7:08)→唐津(7:52) 325C

唐津方面から来た列車が多くの人を吐きだす。その折り返しが今度乗る唐津行きになる。3両編成のロングシートだった。上りほどではないが、下りのこの列車も乗る人は少なくない。

ようやく空が明るくなり始めた。筑前深江のあたりでは海も見えるが、その海を注視している人は誰もいない。眠っているとか、新聞や本を読んでいるとか、である。

東唐津では海のほうに唐津城が見える。筑肥線が唐津に乗り入れる今は、それほど降りる人はいないようだ。和多田を経て、終点唐津に到着。この時間でも福岡市内から唐津へ向かうという需要はそこそこあるようだ。九州とはいえ12月の唐津は寒く、何か温かいものがほしくなるくらいだった。

唐津(8:25)→伊万里(9:10) 2525D

西唐津から来た伊万里行きに乗る。1両編成。いきなり唐津で降りる人が多く、残っていたのは二人だけだった。唐津から乗って、十人強の乗客で唐津を出発した。

和多田の直前までは今きた道を戻る形となる。鬼塚、山本と経て、今度は唐津線と分岐する。沿線にはそれほど人が住んでいないように思えるが、乗ってくる人はそれなりにいて、伊万里に着く頃には半分以上の座席が埋まっていた。伊万里に来たのは二度目だが、以前来たときに比べると駅周辺が変わっていた。なんか変な場所に停まったな、と思ったらそこが伊万里駅だった。JRと松浦鉄道の駅舎も離れていて、JRの駅から道路を渡って松浦鉄道の駅へと向かった。

伊万里(9:14)→佐世保(11:44) 327D 松浦鉄道(松浦線代替)

松浦鉄道の伊万里駅でフリーきっぷ休日用を購入。1700円。佐世保まで普通運賃で1920円なのでフリーきっぷを買ったほうが安い。平日用だと2000円なので高くつく。今日は平日だが冬休みということで休日用が使える。もっとも、伊万里から佐世保だと有田経由だと850円である。切符を買って列車に乗り込むとすぐに発車した。余裕がない。車内の乗客は四人だけだった。余裕がありすぎる。ただ、途中駅から乗る人、降りる人は頻繁にあり、利用をされているという印象は受けた。

列車は海に沿って走る。鷹島口のあたりでは海を高みから眺めることができて、絵になる風景を目にすることができた。数多い島々も見える。松浦では中核駅らしく、ほとんどの人が降りていった。代わりに何人か乗ってくる。次が松浦発電所前で、電源開発と九州電力の火力発電所が鎮座していた。

たびら平戸口に着く前に、ご丁寧に「日本最西端の駅」というアナウンスがあった。駅にも日本最西端と書かれていた。しかし、沖縄都市モノレールができた今では、日本最西端の駅ではない。当然、この旅の中では最も西を通っていることになる。平戸に渡る船は見えたが、橋は見えなかった。

ここからは内陸を走ることになる。確かに退屈になってきた。意識が途絶え、気がついたら佐々にいた。ここで9分間停車する。運転士が交替した。いかにも港町といった感じの相浦からいよいよ佐世保市の街中に入っていき、乗る人も増えてくる。北佐世保で4分間停車。ここから坂を下って佐世保の中心部に入っていく。中佐世保を経て、佐世保中央で半分くらいの人が降りていく。次が佐世保でここで下車。この列車はJRに乗り入れて早岐まで行くが、だいたいの人が降りていった。

佐世保といえば、最近では佐世保バーガーが有名になりつつあるようである。駅構内で作って売っていたので買ってみた。佐世保バーガーと角煮バーガーの両方を買った。角煮バーガーは辛子が多すぎた。

佐世保(12:11)→諫早(13:28) 3229D 快速[シーサイドライナー9号]

佐世保から快速[シーサイドライナー]に乗る。長崎と佐世保という長崎県下二大都市を結び、途中は諫早や大村という主要都市も通る列車ではあるが、ワンマンだった。2両編成で、座席が半分くらい埋まって出発した。

佐世保を出て二駅目、大塔でいきなり降りる人が多い。確かにこのあたりは大型店舗が多いが、快速列車には似合わない短距離移動っぷりである。無人駅なので、皆が先頭から降りていく。ここでちょうど松浦鉄道車両のたびら平戸口行きと交換した。おそらく先ほどまで私が乗っていた車両であろう。

次の早岐でも降りる人が多い。案外こういう列車でも短距離利用の人が多いものだ。ここで10分間も停車する。このあたりは列車の本数が多いわりには単線で、そういう時間調整を余儀なくされるのであろう。待っている間に特急列車がこの駅から立ち去っていった。

早岐を出ると次はハウステンボスである。長崎県の有数の観光スポットであるが、それほどの乗り降りはなかった。左側にはそれらしい建物が建っていた。右側を見ると、「天然温泉」「地ビール」という文字が踊っていた。ここまでは実質各駅停車だったが、以降はようやく快速らしくなる。

けっこう乗り降りがあった川棚を経ると、まさに海際を走る。横浜の金沢シーサイドラインなどはほとんど海が見えない場所を走るが、ここはシーサイドライナーの名前に違わない。彼杵の前後で海から離れるが、そこを過ぎるとまたシーサイドになる。海の近さではこの旅で通った中でも随一の区間だ。

竹松で乗る人も多かったが、何といっても大村が多かった。高校生を中心にホームに人があふれていた。次に停まるのが諫早で、ここで下車する。半分くらいの人が降りた。佐世保から長崎まで通しで乗る人などいなさそうだ。

諫早(13:38)→佐賀(15:19) 858M

諫早から普通列車の鳥栖行きに乗る。諫早から乗る高校生が多数いて、扉近くの折り畳み椅子、しかも逆向き、という微妙な座席に落ち着く。

埋められた諫早湾を見つつ、まだ海である諫早湾を見つつ進んでいくと、次第に諫早から乗った高校生が降りていく。海の向こうに島原半島が見える。長崎県最後の駅である小長井で高校生はあらかた降りた。ここで普通の座席に落ち着く。

次の肥前大浦で早速人が乗ってきた。多良でもそこそこ乗ってきた。駅前に大きな鳥居がある肥前浜の次が肥前鹿島で、このあたりの中核駅らしく降りる人、乗る人が多かった。鹿島には行ったことがないが、駅前を見る限りではそれほど大きな街には見えない。もっとも駅前の雰囲気で町規模を判断してはいけない。

肥前山口で佐世保線と合流する。なんだかこちらが本線と合流した気分になる。肥前山口といえば、現時点でJR最長片道切符の着駅であり、途中下車しようかとも思ったが、1978年の最長片道切符の旅の旅人には無関係と決め込んで、通り過ぎた。

臨時駅のわりには立派なバルーンさがはもちろん通過し、佐賀に到着。ここで降りる。鳥栖まで行くこの列車を待っている人が多かった。

佐賀駅バスセンター(15:30)→西鉄柳川(16:18) 西鉄バス(佐賀線代替)

佐賀からは佐賀線に乗るべきなのだが、廃線となっているので、バスに乗ることになる。すっかり新しくなった佐賀バスセンターから西鉄柳川行きのバスに乗る。乗客は7人。佐賀市内は道も細く交通量も多くて、流れが悪い。途中から乗ってくる人も多い。

諸富橋からは旧佐賀線の筑後川昇開橋を見ることができる。筑後川昇開橋は今では歩道橋となっており、時間帯によっては橋を下げて人が通れるようになっているらしい。しかし、ちょうど諸富橋が工事中で青いシートが張られておりはっきりと見ることはできなかった。すぐそばの大川橋を渡るときに見ることができた。この橋を渡って福岡県ということになる。

大川、柳川と経て、西鉄柳川には16時23分頃に到着した。定時で着けば16時22分発の瀬高行きに4分接続で乗れるはずなのだが、既に行ってしまったようだ。西鉄柳川は三橋町であったが、2005年3月に柳川市に合併している。

西鉄柳川(16:52)→瀬高駅前(17:12) 堀川バス(佐賀線代替)

そういうわけで、次のバスに乗る。このバスも佐賀から来たバスに4分で接続しているようだが、やはり向こうが遅れてきたので接続しなかった。暮れの時期だから道が混んでいるということもあるが、会社も違うから接続は期待しないほうがいいようだ。

こちらのバスは柳川駅圏内を脱出するのに時間がかかったが、後は至って順調に進む。乗客も少なかった。定時に瀬高駅に着。

瀬高(17:22)→大牟田(17:32) 4359M 快速

瀬高から快速の大牟田行きに乗る。4両編成。もう末端のほうなので空いていた。快速なので瀬高から大牟田までノンストップである。なんとか外の景色を見るには支障がないほどの明るさである。銀水の手前で西鉄の特急列車を抜かす。向こうのほうがなんとなく見た目は格好いいが、こちらのほうが速い。日も暮れそうな大牟田に到着。

後書き

大牟田はビジネス客がいないのか、ビジネスホテルがあまりない。地図にも載っている、唯一かと思われるビジネスホテルに泊まった。ホテルの人の話だとここ数日で急に寒くなったとのこと。


初出 : 2005/06/19
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