1978年の最長片道切符の旅  第35日 大牟田→宮崎 2004/12/29

前書き

7時であるが、ようやく空が明るくなってきたという感じである。今日は九州に入ってから初めての鉄道のみの利用で、長距離を移動することになる。

本編

大牟田(7:22)→熊本(8:09) 323M

熊本行き、だと思ったら武蔵塚行き、に乗る。客は少ない。朝方の運行だからか、車掌が乗務していた。

各駅に停まる度に客が増えていく。玉名では乗る人、降りる人が多く、さすがに市の中心駅だ、と思う。それでも普段の平日に比べれば空いているほうなのだろう。

田原坂の丘陵には靄がかかっていた。その田原坂駅では乗り降りが全くなかった。崇城大学前のあたりから熊本市街地に入ってくる。それまではまったくの田園地帯で、「本当にもうすぐ熊本に着くのか」と不安に思うくらいであった。上熊本で降りる人が多かった。ここから路面電車に乗るのだろうか。残っている人もほとんどが熊本で降りていった。

熊本(8:32)→豊後竹田(10:22) 1072D 特急[九州横断特急2号]

熊本からは乗車券と自由席特急券を買って[九州横断特急2号]に乗る。人吉から別府までを「横断」する特急である。熊本まで乗ってきた人のほとんどが降りて、そこに乗り込んだ。自由席なので座席確保を心配したが、心配するほとではなかった。熊本で進行方向が変わるので、椅子を回転する。

熊本を出ていきなり平成に停まる。普通列車との交換のためだった。新水前寺、水前寺と熊本市内の駅で数人が乗車。普段は2両編成で車掌は乗務していないようだが、今日は3両編成ということもあって車掌が乗務していた。確かに2両編成だと足りなかったかもしれない。

武蔵塚では特急[有明]が今まさに出発するところだった。大きな特急列車が居座っていたからか、かなり狭苦しい駅に感じた。肥後大津までの間は加藤清正が植えさせたとされる杉並木が見られる。予備知識がないと、単に杉が植わっているようにしか見えない。見ていて並木っぽいなと感じて初めて気がついた。肥後大津を過ぎて車内改札がやってきた。次第に山深くなってくる。

立野はスイッチバックの駅として名が通っている。まずこの列車がホームに入り、少し遅れて同じ方向から宮地から来た普通列車がやってきた。向こうの列車は既にかなり混んでいた。その後、この列車が逆の方向に走り、傾斜を上がっていく。このとき、スイッチバックの説明の放送がなされた。この旅もある意味スイッチバックの連続だ。上りきったところで、ようやく本来の進行方向へと進んでいく。空は雲で覆われているのに、それを突き破るように太陽の光が差し込んできて、さすがに火の国だなと感じた。しかし、先に進むにつれ、より雲が厚くなり、光は遮られた。

進む速度はゆっくりで、並行する国道を走る自動車にどんどん抜かされていく。次第に沿線に雪が積もっているのが見えた。この旅で雪を見るのは五月の北海道以来である。山のほうに雪が積もっているのは見えたが、こんなに間近で雪を見るとは思わなかった。この雪景色に反応している乗客も多い。赤水では外国人観光客が乗ってきた。阿蘇では降りる人が多かった。国境に近づくにつれ雪深くなってくる。

国境を越えて、豊後荻も雪景色だった。ただ、日差しが強いので早々に溶けるだろう。玉来のあたりから雪はほとんど見えなくなって、豊後竹田には雪は一切なかった。ここで下車する。ホームには荒城の月が流れている。

大分まで乗らず豊後竹田で下車したわけは、運賃、料金の節約という意味もあるが、竹田という街自体が私が好きで寄っておきたいという気持ちがあったからである。時間は短かったが街の雰囲気を感じた。

豊後竹田(11:01)→大分(12:09) 4441D

豊後竹田始発の2両編成の普通列車に乗る。豊後竹田の時点ではほとんど乗客はなし。

豊後清川と三重町の間は9月の台風による土砂崩れのため不通になっていた。年末輸送には間に合ったわけだが、結果的にこの旅にも間に合った。その区間を何事もなかったかのように通り過ぎていく。

三重町からはけっこう人が乗ってきた。以降はじわじわと乗客が増えていく。中判田のあたりからは沿線に住宅に増えてくる。大分から中判田までの区間便も設定されるくらいだから、そういう需要になっているのだろう。敷戸まで来るとだいぶ市街になってきた。滝尾を経て、大分川を渡って大分に着。

大分(12:15)→臼杵(13:01) 1631M

大分からは臼杵まで普通列車に乗り、そこから特急列車に乗って延岡まで行く。節約のためだが、もう一つ意図はある。

先に通す宮崎空港行きの特急列車が遅れていたため、こちらも遅れての出発となった。この特急列車は3両編成で、かなり混んでいて、自由席車両には立っている人がいた。こちらは臼杵までの着席が保証されている。

鶴崎は旧鶴崎市の中心駅ということで、それなりの風格を備えていた。特急も停まるし、利用客も多いのだろう。坂ノ市を過ぎると沿線風景も鄙びてくる。この区間を普通列車で通るのは3回目だから、過去2回は八幡浜から別府まで船で来てそこから南下するという行程だったため、ここを通ったときは眠っていたのだ。ほぼ初めて通る区間であると言ってもいいだろう。

じわじわと乗客は減っていき、定時より少し遅れて臼杵に到着。駅前にあった店で昼ご飯を食べた。

臼杵(13:45)→延岡(15:10) 5011M 特急[にちりん11号]

臼杵からは宮崎空港行きの特急[にちりん11号]に乗る。乗ったのは三人くらい、降りたのは十人ほどか。先ほど大分で見たのは3両編成だが、この列車は6両編成で余裕で座れた。

臼杵を出ると臼杵湾を臨むことができる。トンネルに入って、出て、ごっつい工業のオブジェクトが見えてきたと思ったら、津久見に到着。臼杵よりも駅前は賑やかだ。市街地を流れるにしてはきれいな川があって、鳥が羽根を休めていた。

津久見湾から佐伯湾に沿って進み、佐伯に到着。降りる人が多い。佐伯を過ぎて不意に車内改札がやってきた。ここから山側に向かっていく。直川を過ぎた時点で、「延岡 45Km」の道路標識が見えてきた。けっこう遠い。川原木信号場で対向列車を待つ。毒物を運ぶ貨物列車と交換したようだ。相手が毒ではおとなしく待つしかない。毒でなくても待つしかないのだが。重岡駅では特急列車と交換した。

宗太郎を過ぎると宮崎県に入る。川に沿って進み、祝子川を渡ると市街地に入り、延岡に着。延岡で降りる人はほとんどが改札口へと向かって、普通列車に乗り換えるような人はいなかった。

延岡(15:23)→宮崎(16:58) 743M

私はその普通列車へと乗り換える。特急列車にずっと乗っていれば今日の目的地である宮崎にたどり着けるのだが、青春18きっぷを利用している以上、なるべく普通列車への乗車で済ませたい。

寒さを感じるとはいえ、南国らしい木々を見ると、日向国まで来たことを実感する。多くも少なくもない乗客を乗せて、冬の日向路を南下する。日向市ではまとまった乗り降りがあった。財光寺の案内板には「近鉄バッファローズキャンプ地」お倉ヶ浜総合公園の案内があったが、今はそんな球団はない上、名前も微妙に間違っている。

美々津を過ぎると、リニア実験線跡が見える。今ではエアロトレインという新しい乗り物の実験に使っているそうである。その実験線跡が近くに見える東都農で特急列車の待避待ちで6分間停車した。

乗客は漸増傾向にあったが、急激には増えない。蓮ヶ池の手前、まわりの風景はまだのどかだが、左手の海のほうには白い巨大な建物が鎮座していた。ここまで来ると宮崎は近い。前に座っている人と後ろに座っている人は延岡から宮崎まで乗り通した。

後書き

今日はここでおしまいである。宮崎で用事を済ませているうちに、日が落ちた。今日は都城に泊まる。そのために、宮崎から普通列車に乗る。普段であれば仕事や学校帰りの人でごった返すのであろうが、今日はさすがに空いていた。客もまばらであたりは暗闇という列車に揺られ、都城まで行った。翌日はバスで鹿児島空港に行き、年末年始を過ごす島へと飛んだ。


初出 : 2005/06/19
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