1978年の最長片道切符の旅  第36日 宮崎→鹿屋 2004/01/08

前書き

始発列車で志木駅を発って羽田空港に向かう。私の誕生日が1月7日なのでバースデー割引を使う。珍しく全日空を使った。向かい風が強いということで、15分遅れて宮崎空港に着陸。今日は青春18きっぷを使う。宮崎まで乗る列車は[にちりん10号]だが、この区間は青春18きっぷでも特急列車に乗ることができる。9時38分に着いて、42分に改札を開始して、49分に発車というせわしい運用だった

本編

宮崎(10:32)→志布志(13:13) 1933D

宮崎からは日南線の志布志行きに乗る。1両編成だった。乗客は少なくないが、まだ立つ人はいない。なんか日本語以外の言葉を喋る人が多い。

大淀川を渡って南宮崎に着。ここから乗る人も多く、立つ客もでてきた。田吉は宮崎空港線が分岐する駅だが乗る人はいない。離陸する飛行機が見えた。ここから先は乗るのが初めての区間である。

ワンマン列車ということであるが、正規の運転士の他に、「運転士」の腕章をした人と、車掌が乗務していた。スリーマンではないか。人が降りると思われた子供の国では誰も降りず。子供の国は遠くから見ただけだが、駐車場に車もそれほど停まっておらず、賑わっているようには見えなかった。次の青島では十数人の人が降りていった。今でもそれなりの観光地であるようだ。

内海の次が小内海。確かに小内海のほうが集落の規模は小さかった。海が近くに見えるのは小内海のほうである。

飫肥は有人駅で降りる人も多い。9分間停車するのでこのタイミングで宮崎で買っておいた弁当を食べた。停車中のほうが食べやすい。飫肥、日南と宮崎から乗ってきた人を降ろす代わりに、高校生を乗せ、客層が変わる。次の油津でも降りる人は多く、宮崎から乗ってきた人がだいたい降りていったようだ。油津から大堂津までの間には、海のほうに島や岩が見える。日南の南のほうだけに、太陽も燦々と照って輝いている。

南郷の手前で海際から山のほうに入っていく。高校生は徐々に降りていき、串間では私ともう一人以外の客が皆降りていった。代わりに二人が乗ってきて、乗客は四人。一気に寂しくなってきた。福島今町で一人が降りていく。また海が見えてきた。鹿児島県に入って、少しすると大きな港湾が見えてくる。志布志の港だ。港の大きさに比するとあまりに小さい駅に到着。志布志の駅は無人駅で、降りたのも三人だけだった。

志布志駅上(13:21)→鹿屋(14:45) 大隅交通ネットワーク(大隅線代替)

志布志から国分までは大隅線が通っていたが、1987年に廃止となっている。その跡をバスでたどる。まず、志布志から鹿屋までバスで行くことにする。鹿屋までは距離が短い笠之原経由と、遠回りになる高山経由の二種類がある。大隅線の経路により忠実なのは高山経由なので、そちらに乗ることにする。駅から少し離れた国道沿いのバス停でバスを待つ。最初に笠之原経由のバスが来たがそれはやり過ごし、少しして高山経由のバスが来た。先客はいなかった。乗るときに「高山まわりですよ」と念を押される。それを承知で乗っているのだが、旅行者風だから確認したのかなと思っていたら、すぐ先で乗ってきた高校生にも「高山、吾平まわりです」と確認していた。マイナー路線の運転士もたいへんだ。この高校生は大崎三文字で降りていった。川を渡っているときに左手を見ると大隅線の遺構らしき橋が見えた。橋は撤去するのも面倒だからか、残っていることが多い。

東串良でバスの経路が分岐する。乗り降りはなかった。少し進むと、串良駅跡という名前のバス停があった。ここに串良駅があったのだろう。バスポールには串良駅前と書かれていた。

高山で二人乗車。今まで一人きりだったので、これは歓迎すべき乗客である。吾平の街に入ると、鳥居が見えた。鵜戸神社という神社がある。街規模はそれほど大きくないが、鳥居があるだけで何か風格がある街であるように思えた。吾平から北に進むと鹿屋の市街地に近づいてくる。市役所前は旧鹿屋駅に近いが、バスセンターまで乗ることにする。駅が亡き今、バスセンターが鹿屋の交通の中心地である。そこまで乗っていきたかった。そのバスセンターは規模は大きかったが、だいぶ古くなっていた。

後書き

ホテルに荷物を置いて鹿屋の街を歩く。まず行くべきところは鹿屋駅跡に建てられている鉄道資料館である。館を管理する人に話を聞く。鹿屋駅跡に市役所を建てたこと、古いバスセンターは再開発で新しくするということ、大隅線は高山方面から鹿屋に通う通学生による需要があったということ。確かに、学校帰りだと思われる高校生が何人もバス停の前でバスを待っていた。次に近くにあるスーパーマーケットに行ってみる。パッチンという魚はなかったが、地の魚が多数置いてあった。


初出 : 2005/08/07
自由活動領域 >  1978年の最長片道切符の旅 >  第36日