鹿屋から旅の続きを始める。
鹿屋から垂水経由の鹿児島空港行きのバスに乗る。垂水までは特急扱いで停まらないバス停が多い。もっとも乗客は私一人だけなので、降りる客はいない。乗ってくる客もいなかった。鹿屋から古江までは旧大隅線の経路からは外れる。古江坂を下るときに海が見える。古江からはかつて鹿児島行きの船が出ていたというが、今は廃止されている。ここからは海際に並行して走る。
垂水市街に入っても客は乗ってこない。垂水駅前というバス停があり、おそらく国鉄の垂水駅があったところの近くだとは思われるが、駅がどこにあったかはわからなかった。少し行ったところでようやく一人乗ってきた。荷物から判断するに空港まで行くと思われる客だ。
進むにつれ桜島が近づいてくる。頂のほうは雲に覆われていた。桜島口では桜島港行きのバスが待っていた。こちらから乗り換える人はなく、客無しのバスが桜島のほうへと向かっていった。
今までは寂しい車内であったが、桜島口を越えたあたり、垂水市北部から福山町のあたりで乗客が増えていった。鹿屋からやってきたバスではあるが、実質的には国分市周辺から国分市街へと向かう利用者のためのバス、ということのようだ。亀割峠を越えて国分市内に入ると急に住宅が増えてくる。海は近いが、間に住宅が挟まっていて、その垣間から見える程度だ。国分の中心部で人を降ろしていき、国分駅に到着。空港に向かう人がバスを待っていた。
国分から宮崎行きの普通列車に乗る。国分で二十人くらいの人が降りていった。乗ったのは十人弱。2両編成はほどよい混雑度になっていた。
国分を出ると、崖を上り、林間を走っていく。国分から霧島神宮まで、12.7Kmは途中の駅がない。そのようなところを走っていく。左手に川が見えてきて、正面に山が見えてきて、少し走ると霧島神宮に到着。行楽客らしき十人くらいが降りていった。
宮崎県第三の都市、都城に向かっていくが、それほど乗客は増えない。景色が拓けてきて、高架駅の西都城に到着。十人くらいが乗ってきた。次に都城では、多数の人がこの列車を待っていた。私はここで降りる。
都城から吉松行きのワンマン列車に乗る。乗客は十人くらい。
進んでいくと、左手に山が見える。霧島の山々だ。結果的にあの山のまわりを半周していることになる。あの山々はそれをどう思っているだろうか。
少しずつ乗客を増やしながらも淡々と進んでいき、小林に到着。ここでほとんどの人が降りていく。それに代わって高校生が乗ってきた。それほど大きな街ではないが、吉都線の存在意義はこの小林にあるのだろう。
えびののあたりまで来ると、今度は右手に山が近づいてくる。これからあれを越えることになる。小林から乗ってきた人もどんどん降りていき、京町温泉を出た頃には乗客は三人になっていた。しかも、皆趣味で乗っているような人ばかりである。鹿児島県に入って鶴丸で二人乗車。終点、吉松で降りたのは五人となった。
吉松には駅前に温泉があった。知っていれば、タオルを持ってきていれば入湯していたのだが。他にもSL資料館があって、五分くらいは時間がつぶせる。しばらくすると特急[はやとの風]がやってきた。鹿児島から直通特急列車がやってくるということは、吉松の人にとっては嬉しいことかもしれない。
吉松からは[しんぺい]という普通列車に乗る。この列車のシステムを理解しないまま乗ってしまったのだが、実質全席指定席で、他に自由に座れる、という程度の座席が申し訳程度についているだけ、という感じだった。ほとんど観光用に特化した列車で、自由に座れる座席は地元の人用につけているだけのようで、「通院、高齢者の方の優先席としています。ご協力をお願いします。」と書かれている。指定席券を買わなかったので、「指定席券を買ったほうがいいですか」と乗務員に訊ねたら、「買わなくても木のベンチに座れます」と言うので、この自由に座れる座席に座る。通院、高齢者の方は乗らなかったので、ずっとこの座席に座っていた。
この落ち着かない座席に座って発車を待つ。カメラを持った人が大人、子供ともにウロウロしている。鉄道というよりは、遊園地の乗り物のようになっている。個人的には選んで乗りたくない列車だが、最長片道切符のルートをたどる以上、乗らねばならない。
吉松を出発。私が座った座席は最後尾で、進行方向の逆側を向いているのだが、前方の景色を映し出しているテレビを見るのに具合がいいようになっている。この列車は「ワンマン」列車らしいが、女性の客室乗務員が乗っている。この乗務員が観光案内を始めた。
真幸に到着。5分間停車。ここでスイッチバックをする。ホームには幸福の鐘という鐘があったり、野菜や特産品を売っていたりした。乗客が降りてこぞって写真撮影をしている。私も降りてみる。ほんの少しだが雪が舞っていた。周囲には家が何軒があるようだが、地元の人は利用するのだろうか。吉松は鹿児島県、この真幸は宮崎県で、次の矢岳は熊本県である。発車時間になり扉が閉まり、運転士がこちらに来て逆向きに進み、止まって、運転士が帰っていった。真幸駅を見下ろして出発。
少し進むと、「えびの盆地と霧島連山」が見える場所というということで停車する。いちばん高い山は韓国岳とアナウンスされるが、その高い山には雲がかかっている。
トンネルをくぐってしばらくすると矢岳に到着。ここでも7分間停車する。人吉市SL資料館がありそちらの見学時間を考慮しているのか。私は入らなかったが、規模は小さそうで、7分もあれば充分見学できそうだった。駅前の畑では鍬を持ったおっさんが木を燃やしていた。SLの代わりというわけではないだろうが、畑からは白い煙があがっていた。
次の大畑駅のあたりはループ線ということで、この線区の名物の一つとなっている。そこにさしかかると、右手の下のほうに線路が見える。弧を描きながら坂を下っていくわけだが、乗っているほうからするとあまり実感がわかない。俯瞰でこの光景を見ればおもしろいかもしれない。大畑駅の手前もスイッチバックになっており、一旦駅の上を通りすぎ、引き返して駅へと向かう。この駅は人吉梅園の最寄り駅ということになっている。
あとは街へと向かうだけである。球磨川を渡り、久しぶりにいっぱいの家を見た。
人吉からは八代行きの普通列車に乗り換える。同じような乗り換えをしたのは十人くらいだった。多くの人はすぐに接続する[九州横断特急]に乗り換えていった。
ここからはほぼ球磨川に沿って進む。途中から乗り降りする人はわずかだった。人吉から八代まで乗り通す人がほとんどだった。瀬戸石で人吉行きの列車と交換したが、向こうはほとんど客がいなかった。
八代が近づいてきて、煙突が煙を吐いているのが見える。その煙突は駅の隣にあった。日本製紙の工場がある。列車から降りると独特のにおいがしてくる。かろうじてまだ明るかった。
この日は八代で泊まった。夜中少し出歩く。市の中心部は真っ暗だったが、郊外の大型店舗が集まる地域は煌々としていた。