1978年の最長片道切符の旅  第38日 八代→隼人 2004/01/10

前書き

今日はあまりJRに乗らないので青春18きっぷは使わない。その代わりに八代から乗る肥薩おれんじ鉄道の1日フリー乗車券を買う。2500円。八代から川内までの普通運賃が2550円なので、若干安い。土日休日は窓口が開くのが8時からで、担当の人が8時に自転車で登場し、無事購入できた。

本編

八代(8:07)→出水(9:29) 6211D

八代から肥薩おれんじ鉄道に乗る。肥薩おれんじ鉄道は2004年3月に九州新幹線の開業に伴い並行在来線の経営がJR九州の手から離れその受け皿として作られた第三セクターの会社である。新八代から来た列車だが、誰も乗っていなかった。八代から乗ったのは子供も含めて8人。1両編成だがちょうどいい。

進んでいくと八代市の特産品である晩白柚が車窓に見える。南国らしい風景だ。肥後高田駅で八代行き列車とすれ違う。2両編成で高校生がたくさん乗っていて混んでいた。

日奈久温泉で3人降ろしてますます軽くなった列車は、海の際を走るようになる。向こうには天草が見える。本当に海がすぐそばだ。単線だが、ここにもう一本線路を敷く余地はない。それで、山の方に太い線路を敷いてしまったということか。車窓はいいが高速化には対応できない。

湯浦を過ぎたあたりで九州新幹線と交差する。交差とするといっても、向こうははるか上だ。ちょうど新八代行きの新幹線が高速で通り過ぎていった。津奈木を過ぎて新幹線と寄り添うようになると新水俣も近い。新幹線の駅は立派だが、肥薩おれんじ鉄道の駅はホームがあるだけで、立派な電停といった感じだ。乗り降りはなかった。次の水俣では真の市の中心駅らしく、5人が乗車、2人が下車、で現在の乗客は4人。

水俣の次の袋を過ぎると、熊本県から鹿児島県に入る。ここまで何度となく都道府県境をまたいでいったが、この越境がこの旅で最後ということになる。いよいよ終わりも近づいてきた。少しすると出水に到着。何人か乗りたり降りたりしているが、乗客の総数は少なかった。新幹線の駅は新しくなっていた。肥薩おれんじ鉄道の駅は古い出水駅の近くに小さく作られ、古い出水駅は使われていないようだ。

出水(9:41)→川内(11:10) 6317D

ワンマンの1両編成。乗客は7人。二人は観光客っぽい。出水といえば鶴が有名で、昨日見たニュースでも飛来地に鶴が来ているという報道がなされていた。「原典」にも車窓から鶴が見えると書かれているが、私は車窓からは鶴を見ることはできなかった。やがて阿久根に到着。新幹線から無視され、特急も停まらなくなって寂しい駅となった。

牛ノ浜で快速列車[潮騒]と交換する。土日休日のみ運転で観光利用を意識した列車だと思われるが、1両編成で他と同じ車両で客も少なかった。このあたりでは海に接近する。サーフィンをしている人もいた。波はそこそこ高い。

上川内から川内まで川内の市街地が続く。右手には市街地、左手には新幹線が寄ってくる。川内川を渡って、川内に到着。新幹線が停まるようになった川内は駅舎も立派になっていて、バス乗り場なども整備されていた。

川内(11:25)→宮之城駅(12:19) 林田バス(宮之城線代替)

川内からは宮之城線に乗るのが最長片道切符の旅のルートであるが、今はない。そこでバスに乗る。宮之城線というくらいだから、川内から宮之城行きのバスに乗る計画を立ててきたのだが、現場に来て、川内から入来まで行ってそこから宮之城まで行ったほうが宮之城線の経路に忠実になるのでは、と思い直した。ただ、そういったことを考えているうちに入来行きのバスは行ってしまった。

予定通り宮之城行きのバスに乗る。窓ガラスに黒いメッシュ状のものが貼ってあって外がよく見えない。当然フロントには貼っていないが。サイドにも貼っていない場所があったのでそこに座る。川内駅の時点で乗客は6人、途中でもう1人乗ってきた。

東郷に到着。そこそこ賑やかな街だ。ここまでで車内の乗客は二人となっていた。他の人は既に降りていった。楠本駅前というバス停を通過したが、どこに駅があったかはわからなかった。ここからは宮之城線のルートと外れる。川内川に沿って走る。山崎という集落に到着。豊臣秀吉が通った道がある。秀吉が山崎城に泊まったらしい。ここから宮之城線のルートに戻る。かつて鉄道の駅があった宮之城駅で下車。今ではバスの駅となっている。

宮之城駅(13:16)→大口(14:15) 南国バス(宮之城線代替)

宮之城から大口に至るバスに乗る。土日休日は1日に3本しかない。宮之城の町中から来たバスで既に2人が乗っていた。

宮之城温泉に入る。このあたりは湯田で、薩摩湯田駅もこのあたりにあったと思われる。ここまでで例の2人が降りていった。少し進んで鶴田駅入口を通過。以前は駅の入口だったのだろうが、今それを言われても、という気もする。求名駅前は近くに駅があったかもしれない空き地があった。このバスでは一停だけ乗って降りる人が二人もいた。私は散々路線バスに乗っているが、そういう人が二人もいるのは珍しい。求名を過ぎると宮之城線のルートからは外れる。ここから山道に入る。針持の手前で宮之城線の駅があった永野からの道と合流する。

関白陣というバス停があった。ここで秀吉と新納忠元と面会をしたそうだ。新納忠元は忠元公園という公園もあるくらいで、大口では崇められているようである。西太良駅を通過。駅らしきものは見あたらない。高津原で2人乗ってくる。羽月駅前を通過。農協の建物に「駅前支所」と書かれてあった。以前薩摩大口駅があった場所の近くにある大口で下車。少し時間があるので大口駅跡に作られている歴史民俗鉄道記念資料館に行く。その後、祁答院住宅に行ってみたが、「諸般の事情により邸内見学は禁止されておりますのでご了承ください」と書かれた札が立ってあった。

大口(15:45)→栗野駅前(16:24) 南国バス(山野線代替)

大口から吉松駅前行きのバスに乗る。栗野まで乗って、山野線の代替とする。菱刈、前目と通り過ぎ、川内川を目前にを左折して、川に沿った道を進む。湯之尾駅前というバス停があり、この近くには湯之尾温泉がある。山野線の跡らしきものがサイクリングロードとなっている。目でたどっていたら、宅地分譲予定地で工事をしていた。それを過ぎるとサイクリングロードが復活する。サイクリングをしている人はいなかった。結局、栗野駅前に着くまで、私以外の乗客はいなかった。

栗野(16:37)→隼人(17:20) 4237D

栗野駅の窓口は16時までということで、駅員はいなかった。無人の改札口を無札で通り過ぎる。2、3番線しか使っていないようで、1番線は山野線のホームだったのかもしれない。そのホームから栗野岳がはっきりと見える。私ともう一人高校生がこの駅から乗り、降りたのはもう一人。先客は4人だった。

大隅横川は古そうな駅舎があった。乗降はなかった。嘉例川も古い駅舎の駅で、建ててから百年以上だという。ただ、駅名標は新しかった。ここに到着する直前に5時のサイレンが聞こえた。次の表木山で上り列車と交換する。高校生などが乗っていて混んでいた。ここからは下る一辺倒で日当山まで。ここまで来ると拓けてくる。5人が乗ってきて乗客が倍増した。

後書き

今日は隼人でおしまいとする。鹿児島空港に行くために国分まで行く。国分駅で栗野からの運賃720円を精算する。駅からバスに乗ったが、このバスの乗客は私だけだった。鹿児島空港から羽田空港まで飛ぶ。この飛行機はほぼ満席だった。


初出 : 2005/09/11
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