名寄駅前(北海道名寄市)←bs03 ↓名士バス(490円・約40分) 紋別ターミナル(北海道紋別市)→bz19 ↓北海道北見バス(660円・約55分) 中湧別文化センタートム/中湧別(北海道上湧別町) ↓網走バス(520円・約50分) 網走駅前(北海道網走市)→bs05
名寄から紋別行きのバスに乗る。かつて国鉄名寄本線が走っていた区間だ。長距離を走るせいか、名寄−下川は全席禁煙、下川からは前4列が禁煙席という表示があった。後ろの席では煙草を吸っていいということになる。それに気づかないで後ろのほうに座ってしまったのだが、とりあえずそのままの席に座った。名寄市立病院から来たバスで、既に一人が乗車。駅からは四人が乗った。車内にはSTVラジオがかかっている。上名寄12線というバス停の近くが旧上名寄駅だったようで、その表示がされていた。沿線は旧国鉄名寄本線メモリアルラインと名乗っているらしい。下川ターミナルでは「わかもし」と書かれたバスを発見。わかもしとは何ぞや、と思って考えたら、正しくは「しもかわ」だった。下川ターミナルで降りる客が数人いて、バス車内の乗客は二人となった。この後で一人乗ったが、一人降りて、乗客が二人の状態で、西興部村へと入る。いつの間にかラジオの音が消えていた。電波の入りが悪くなったからだろうか。上興部で乗ってくる人は多かった。ここで乗ってきた人で、西興部で降りた人が半分くらいいる。西興部からも乗ってくる人がいたので、バスはそれなりににぎやかになる。運賃表は40番までしか表示できないので、41番以降と40番までの運賃が交互に表示されるようになった。41番以降の運賃を表示しているときは、ランプが点灯する仕組みになっている。興部に到着。ここで数分間停車。以降、乗ってくる人も降りる人もほとんどいなかった。興部からは雄武方面からのバスも含め、バスの本数が増えるからだろうか。
紋別から遠軽へと行くバスに乗る。紋別ターミナルの時刻表には北紋バスによる運行という表示があったように思えたのだが、実際は北見バスの運行だった。北見バスはICカードシステムを導入しているようで、このバスにもカードリーダーが備え付けられていた。かなり進んでいるといえるが、このカードを使っている乗客は一人も見かけなかった。紋別に来るのは二度目で、そのときも遠軽からバスで行って帰ってきたので、このバスにも乗ったことがある。あの時は冬だった。当時と違うことといえば、オホーツク紋別空港が移転していて、バスから見えるようになったことか。このバスは空港の裏側を走るので、空港ターミナルに行くことはできない。湧別町中心部を経て、中湧別文化センタートムで下車。かつて、中湧別駅があったあたりで、実際に駅のホームなどは今でも残っている。乗客は常時五人から十人といったところだった。
待合所で網走バスの回数券を購入。受付にいたのは北見バスの人だった。以後のことも考え、200円×11枚と100円×11枚を購入。中湧別から網走駅行きのバスに乗る。乗ったのは七人。うち、中年夫婦が網走まで乗っていた。上湧別町を出ると、すぐに湧別町に入る。愛ランド湧別というどうしようもないネーミングの道の駅があった。観覧車もあって、そこそこにぎわっていた。このバスの停留所もあるのだが、当たり前のように乗り降りはなかった。急に脇道にそれる。脇道にそれてあった停留所はと言えば、福沢宅前と井田宅前だった。他にも家はあったのだが、この二軒が選ばれたようである。その後、佐呂間町中心部に向かってバスは走る。佐呂間バスターミナルで乗ってくる人は多かった。中学生がほとんどである。この学生はだいたいが浜佐呂間で降りていった。常呂町内に入ると、まず目にしたのが、高く積まれた帆立の貝殻である。常呂町は帆立の町らしい。常呂バスターミナルで数分間停車。このあたりからやけに若者がバスに乗ってくるようになった。どうやら、今日は網走で祭りがあるらしい。能取学校跡地とかミンク場跡地など、跡地がバス停名に目立つ。卯原内には鉄道記念館がある。ここも言うなれば卯原内駅跡地である。乗る人が多かったせいか、バスはやや遅れ気味だった。このバスは網走ターミナルまで行くのだが、私は網走駅前で下車。先ほど買った回数券のうち200円×11枚をそのまま運賃箱に入れる。やっていてかっこういいとは言えない。こういう行為はあまりとりたくないのだが、買ってしまったものを使わないわけにはいかないので、仕方がない。
昨日の深川から網走まで鉄道が廃止された区間をバスで移動したことになる。利用客は少なくはなかったが、バスで事足りないほどではなかった。時間帯によっては混雑するのかもしれないが。北海道の場合、雪という問題はあるのだが、そういう問題をクリアできれば、鉄道廃止、バス代替というのも現実的にやむを得ないと思われる。