2003年春・九州 2003/04/26〜2003/04/29

目的

主に路線バスの旅。

本文

2003/04/26(sat)

東上線の始発で志木を発。寝過ごしてはいけないと思って、寝られなかった。要するに徹夜。有楽町線経由で羽田空港まで。山口宇部行きの飛行機に乗るのだが、予約はしていたが搭乗券を購入していなかったようで、結果的に前の予約は破棄して新たに搭乗券を買うことに。無割引なので1万円くらい損した形に。羽田空港はかなり混んでいて、搭乗券販売窓口は絶望的なまでに列をなしていたが、自動券売機は列はなく、すぐ買うことができた。案内不徹底なのか、自動券売機が忌避されているのか。

山口宇部空港から草江駅まで歩く。宇部空港駅と名乗ってもおかしくないほど近かった。少なくとも、花巻空港よりは近いと思う。草江は無人駅なので乗車券は前もって買っておいたほうがいいと思う。実際、私は草江から博多南までの乗車券を前もって買っておいた。草江から宇部経由で新下関まで。新下関からは新幹線。山陽新幹線の新下関以西が未乗だったので乗った次第。こだまなので空いていた。これで新幹線は全線乗車したことになる。博多からはけっこう待って博多南まで。こちらも空いていた。高校生が多かった。新幹線通学とはなんともうらやましい通学である。

博多南からはバスで西鉄春日原へ向かう。十分時間があるつもりだったのだが、渋滞と中学生の大量乗車もあって結果的に時間が足りない状態に。全く地理に疎かったのだが、終点の西鉄春日原の一つ手前のバス停で降りて、そこから駅へ向かうことに。駅周辺は混んでいるということと大量中学生で敏速に下車できないという読みからそうした。結果的にはバスより早く駅に着いたが、別にそこまでしなくても目的の列車に乗れたようだった。春日原から二日市乗り換えで大牟田まで。西鉄天神大牟田線は西鉄柳川以南が未乗だった。やはり狂う目(久留米のことね)で降りる人が多い。

大牟田から特急で上熊本へ。特急有明は自由席に空席があって座れた。上熊本から熊本電鉄に乗ろうと思ったのだが、4分接続のところ、直前で5分遅れやがった。30分待てば次の電車に乗れるが、上熊本は一度来たことがあるので待つ気になれず、そのまま熊本へ。切符は上熊本までだったので、有人改札で申し出たが、そのまま通してくれた。後で調べてみると、大牟田から熊本までと上熊本まででは運賃、料金とも同額だった。だったら最初から熊本まで買っておけばよかったのだが、列車が遅れるということは頭になかったので致し方ない。ホテルに荷物を置いて水前寺公園に行った。熊本城だと加藤清正が讃えられているが、水前寺公園は細川家が讃えられている。水前寺公園内にある出水神社は細川幽斎(藤孝)が祀られている。ちなみにその子孫が熊本県知事→内閣総理大臣→ファンケルの細川護煕である。やはり、日本の歴史を知っていると、旅をしていてもおもしろい。逆に海外を旅しても歴史がわからないのでつまらないのではないかと思い、海外旅行は未だ未経験である。それより言葉の問題が大きいのだが。ただ、九州の年寄りが話す言葉はいまいちわからなかった。夕食はラーメンをだった。やっぱり九州のラーメンは、ラーメンとは違う食べ物だというのが、北海道のラーメンを食べてきた者の感想。それはそれでおいしいんだけどね。

<行程>
志木→羽田空港>山口宇部空港…草江→新下関→博多南=春日原→大牟田→熊本(泊)

2003/04/27(sun)

熊本からJR鹿児島本線で松橋へ。そこから路線バスの旅連続編第53回。矢部では有名な通潤橋を見る。水を放出しなければただの石橋ではないかと思っていたところ、ちょうど12時から放水をするということで、30分ほど待つことにした。誰もいない見学スポットを見つけてそこに15分前から陣取る。時間近くになるとさすがに人がやってきた。中には三脚を持って撮影する本格派も。私はちゃっちいデジタルカメラである。それなりに見学の人が集まって、これは放水時刻を12時を1秒でも遅れると文句を言われそうだな、と思っていたら、少しフライング気味に放水。油断していて、決定的な瞬間は撮れなかった。通潤橋は今でも現役で使われているため、あんまり水を流すともったいないが、観光資源であることは確かなので、決められた時間に観光用に放水を行っているそうである。また、原田さんに言えば団体客のために放水を行うこともあるという。

無事に今日の最終目的地である高千穂へ。天の岩戸は前回来たとき(1997年3月)に行ったので、今回は高千穂峡の方に行ってみた。高千穂峡でボートを漕いでいる人がいて、それを上から見下ろす。自慢ではないが、私はボートを漕ぐことができない。一度、河口湖でボートに乗ったときそれに気づいた。それ以来ボートに乗ったことがない。しかし、見る分には問題ない。いくら漕いでも前に進まない人とかがいて、人ごとながら可笑しい。それにしても衆人環視の中でボートを漕ぐのはたいへんだな。以前、鹿児島の霧島でグラススキーをしていた人がいたのを思い出した。雪国育ちの私から見れば下手で、それを見ているギャラリーが数十人という状況。高千穂峡で感心したのは、駐車場と高千穂峡を結ぶシャトルバスがあること。あるだけだったらそれほど感心しないが、20分間隔という高密度運転に感心。大人100円。あくまでも遠くにある駐車場と高千穂峡を結ぶというのが目的のようで、バスターミナルには立ち寄らないが、誰でも利用できるし、高千穂峡から坂道を上に上がってくれるだけでも助かる。高千穂神社で降りて、そこから歩いて宿まで。利用客はけっこういた。

<行程>
熊本→松橋=砥用=矢部=蘇陽=高千穂(泊)

2003/04/28(mon)

翌日は高千穂から路線バスの旅連続編第54回。竹田再訪。滞在時間は短かったが、それでもやはり竹田はよい。数年後にまた来よう。福岡県の吉富で路線バスの旅が終わり、中津に戻る。中津では時間が余った。夜なので観光というわけにもいかない。結局、ゆめタウン中津でだいぶの時間を過ごした。ゆめタウンはよく路線バスで通るが、実際に入ったのは初めて。中津から夜行バスで名古屋まで。亀の井バスの運行だった。2台運行で、私は1号車の座席だったのだが、2号車が空いているのでどこに乗ってもいいという。迷わず2号車へ。かなりゆったり座ることができた。ここのところ夜行バスで不幸が続いていたが、今回は問題なし。

<行程>
高千穂=津留=竹田=大分=別府=安心院=中津=吉富→中津=(夜行バス・泊)

2003/04/29(tue)

名古屋からぶらぶらと家路につく。名鉄で豊橋まで行き、豊橋から新所原までJRで。新所原からは天竜浜名湖鉄道に乗る。みちくさきっぷ1200円を購入。途中下車できる新所原から掛川までの片道乗車券。みちくさをして掛川まで。掛川といえば、宮沢章夫の出身地。いつの間にかお城の街、の象徴である掛川城ははっきりと見えた。掛川から小田原まで新幹線。小田原から新宿までは小田急ロマンスカー。小田原から小田急に乗った方が時間はかかるが安い。小田急の株主優待券を持っていたので尚更である。それに新幹線確実に座っていけるのが東京までだが、小田急だと新宿までは確実に座れる。ただ単にロマンスカーに乗ってみたかった、というのもある。ただ、6分接続はきつかった。新幹線は小田原で7分停車するので、ロマンスカーの方が早く小田原を発つのだ。乗ったロマンスカーは小田原始発で不定期運行なので、読みどおり空いていた。箱根湯本から来る特急だったらきつい乗り継ぎなどしなかったのだが、こういう好列車なのでなんとしても乗りたかった。途中から乗ってくる人もいたが、終始空いたままで新宿へ。そこから山手線、東上線で帰宅。

<行程>
名古屋→豊橋→新所原→掛川→小田原→新宿→志木

総括

初っぱなで1万円損したこと以外はとてもいい旅でした。やっぱり九州はいいね。


初出 : 2003/10/28
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