2005年春・九州 2005/04/29〜2005/05/05

目的

ゴールデンウィークで長い休みがもらえたので、九州に行くことにした。メインは壱岐・対馬。長い休みがないと行きづらい場所である。周遊きっぷが有効期間の都合で使えず。普通に切符を買った。ゾーン券5日間有効は短い。

本文

2005/04/29(fri)

東京から小倉まで新幹線に乗る。東京から九州まで新幹線というのは、自分としてはあり得ない話なのだが、九州に飛ぶ飛行機が満席で、この日はとりあえず九州にたどり着けばいいや、な日だったので、九州に夕方に着く便なら新幹線にも空席があったので、それに乗った。客の動向を見てみると、さすがに東京から新幹線に乗るとなると、だいたいの人は広島までで降りる。九州まで乗るとなると、飛行機が嫌いな人くらいか。

小倉に二連泊。小倉といえば焼きそばということで、夕食は焼きそば。チェーン店のようだが、東京にはない。堅めの麺で、さすがに九州だと思った。なお、私としては柔らかめのほうが好み。

<行程>
志木→東京→小倉

2005/04/30(sat)

小倉からJRで海老津に行く。各駅停車ということもあって空いていた。海老津から路線バスの旅単発編第15回。砂津に戻って、時刻表と傘を買って、旦過市場まで歩いて行って鳥の唐揚げを買った。本屋にゼンリンの地図コーナーがあるのが小倉っぽい。

<行程>
小倉→海老津=遠賀川=鞍手=宮田=飯塚=山田=後藤寺=小倉

2005/05/01(sun)

この日は福岡の鉄道に乗る日。まず小倉から北九州モノレールに乗る。北方−旦過という中途半端な区間が既乗。小倉から終点の企救丘まで乗る。企救丘からJRの志井公園まで歩くわけだが、このときバケツをひっくり返したような大雨。傘は持っていたが、足下の水は防げず靴がかなり濡れた。

志井公園から日田彦山線に乗る。豊前川崎から添田という、これも中途半端な距離が未乗。添田止まりの列車で添田まで行く。西添田まで歩き。そこから田川後藤寺まで戻り。添田始発の列車にしては、そこそこ混んでいた。

田川後藤寺からは平成筑豊鉄道に乗る。糸田線が未乗。金田で乗り換えて直方まで。直方から筑豊直方まで歩いて筑豊電気鉄道に乗る。ここも未乗。黒崎といえば、破綻した第三セクターのコムシティ。一度だけ夕食を食べるために入ったことがあるが、客はあまりいなかった。

黒崎から福間まで快速で移動。黒崎からも座れたし、小倉から博多まで乗り通すという人はいない様子。特急、新幹線、高速バスといろいろあるからか。福間から西鉄バスに乗って津屋崎へ。西鉄宮地岳線。和白まで未乗。和白からは香椎線。西戸崎まで未乗。西戸崎からはあまり船に乗る。あまり乗客がいなかった。福岡湾をまたいで博多埠頭に着。今日ここにもう一度来ることになるが、とりあえずバスで天神に移動。天神南から福岡市営地下鉄七隈線に乗る。橋本まで乗るが、橋本というところは閑散としたところだ。ここまで一気に地下鉄を敷くことはなかったと思うのだが、何としても西区まで敷きたかったのか。

バスで姪浜に抜けて、一度博多に行って、そこから呉服町まで行って、歩いて博多港へ。港の近くに温浴施設がある。一応、温泉を各地から持ってきているとのこと。悪い意味でにおいがあるお湯だったが、これから夜行船に乗る身としてはありがたい。800円。

<行程>
小倉→志井公園→添田→後藤寺→直方→黒崎→福間=津屋崎→和白→西戸崎〜博多

2005/05/02(mon)

博多から対馬に行くフェリーは混んでいた。学生の団体が多かった、前の便が欠航だった、などで混んでいるようだ。学生の団体などは何時間も前から荷物を置いて臨戦態勢だ。このあたり、地元民に一見がかなうわけない。それでもなんとか桟敷席の一画で横になることができた。

厳原に着。朝だからということもあるが、寒い。九州とはいえ、北にあるわけだからそれなりに寒いのは当然だが。荷物をこの日に泊まるホテルで預かってもらい、バスの時間になるまで厳原の町を歩く。時間がきてバスで旧豊玉町の中心地、仁位まで行く。途中、万関橋を渡ったが、車内でパッと見た感じではたいしたことがなかった。当初は原付を借りて、それで島内をまわるつもりだった。ホテルの人にそれとなく伺ったら、対馬にはそういう店はない、と言われた。インターネットで事前に調べておいた、原付を貸してくれそうな店も、朝早かったせいか閉まっていた。そういうわけでバスに乗ったのだが、美津島から豊玉に抜ける道は、島内の基幹道路とは思えないほど道がよくなく、公道で原付に乗ったことがない私にはきつかったかもしれない。仁位バス停から歩いて和多津美神社に行く。観光バスだかの団体客がいた。確かに神様が結びついていそうなロケーションだった。仁位で昼ご飯を食べて、バスで厳原に戻る。帰りはほとんど寝ていた。厳原に戻って万松院に行く。厳原一の観光スポット。韓国人観光客が多いのか、ハングルがそこらじゅうにあった。

夕飯はちょっとした店で、お刺身定食。おそらく地の魚ばかりで、おいしかった。あと、かすまきという名物のお菓子を買う。

<行程>
博多〜厳原=仁位=厳原

2005/05/03(tue)

この日は朝から壱岐に移動する予定だった。前日に厳原発7時45分発のジェットフォイルの予約を乗り場の窓口でしたのだが、満席だと言われた。仕方がないので、8時50分発のフェリーに乗ることにした。近くにあったであろう案内にも気がつかず。そして、8時50分発のフェリーに間に合うように乗り場に行ってみたら、なんと今日、明日とダイヤが変更されて、8時50分発のフェリーはない、というではないか。夜明け前に船は発ったらしい。私と同じように知らなくて乗り場に来た人が多数いた。島内の人であれば家に帰れるのだが、私には帰る家がない。島外を脱出を試みようと電話をかけまくる。この時点で、この旅で壱岐に行くのは諦めた。宿を予約していなかったのが幸いだった。まず、対馬から博多に行く船を運航している大川海運。満席だと言われた。次に、対馬空港から長崎空港に飛ぶ飛行機を運航しているオリエンタルエアブリッジ。あまり利用客がいないと聞いていたが、こちらも午前の便が満席。次に対馬空港から福岡空港に飛ぶ飛行機を運航しているエアーニッポン。こちらも午前の便は満席。とりあえず16時50分発の便を予約しておく。11時20分の便は満席だと言われたが、一縷の望みを乗って空港行きのバスに乗る。狙いはキャンセル待ち。その期待が通って、11時20分発の便に乗れた。キャンセル待ちなのに窓際に座れて申し訳ないくらいだったが、翼の上で、しかも対馬は東西の幅が短く、東に飛んでいくのですぐに海の上に行くのであった。

福岡に着いて、対馬にいた時点で予約しておいたホテルにチェックイン。このホテルでは1泊するつもりだったのだが、2泊することとなった。薬院に行ってたまたま見つけた五島うどんの店で食べる。薬院に行ったのは、暇だったのと、単なる訪問駅稼ぎだ。その後久しぶりに太宰府へ。相変わらずにぎわっていた。基本的に人ごみは嫌いだが、門前町は好きだったりする。駅前で鳥の総菜を売っていたので、それを買って、ホテルでビールのつまみにして食べた。

博多どんたくをやっていたが、全く興味なし。

<行程>
厳原=対馬空港>福岡空港→博多→太宰府→博多

2005/05/04(wed)

この日はJR九州完乗を目指す。残っているのが唐津線。まず、博多から唐津まで行く。東唐津で下車して、唐津城まで歩く。藤棚が見事だった。見頃は少し過ぎていたようだが。藤は好きなのだが、あえて藤を見に行く、ということはしないので、たまたまでも見られてよかった。高みからの眺めもよい。西唐津まで歩いて、そこから佐賀行きに乗る。西唐津は意外にも有人駅だった。無人駅だと思って事前に切符を買っておいたのだが、これなら地元で買えばよかった。

久保田まで乗ってJR九州完乗。博多まで戻るわけだが、その途中にある吉野ヶ里公園に行く。神埼で下車。駅前に観光案内所みたいなものがあったので行ってみたら閉まっていた。吉野ケ里公園は駐車場が満車になるほどの混雑ぶり。公園部分は無料開放されていたが、遺跡の部分に入るには入場料がいる。公園部分では、バーベキューをしたり、芝生で遊んだりしていた。入り口で木炭を売っていたのがちゃっかりしている。遺跡部分も人が多い。復元された建物がいっぱいある。とにかく広いし暑かったのでさすがにばててくる。展示室にあった人骨はインパクトがあった。ここにあった飲み物の自動販売機が全部売り切れというのが、今日の暑さを物語っている。持参していたペットボトルのウーロン茶も冷たかったのに、温かくなっていた。

鳥栖で焼麦を買ってビールのつまみにする。鳥栖といえば、向井秀徳が育った街だが、大きくもなく小さくもなく、な典型的な地方中都市であった。

2005/05/05(thu)

今日は福岡から東京に戻ってきただけ。飛行機は後ろの方の席で、隣席に人はいなかった。

<行程>
博多→福岡空港>羽田空港→志木

総括

かなりの長旅だったが、これだけの長旅だと、こんなに旅をしていていいのかという不安になる。まして、福岡、佐賀、対馬しか行っていないわけだし。壱岐に行けなかったのは残念だが、これは次の機会に実現したい。


初出 : 2005/11/03
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