2005年夏・東北北海道 2005/08/20〜2005/08/26

目的

この夏は避暑目的で北に行くことにした。約一週間の長旅。東北に3日、北海道に3日を使う。

本文

2005/08/20(sat)

池袋から高速バスに乗る。紫波まで行くイーハトーブ号。このバス、以前乗ったときは途中で車両が故障して、代替のバスに乗り換える、という前代未聞な事件が起こっている。

<行程>
志木→池袋=(イーハトーブ号・泊)

2005/08/21(sun)

この日は何事も起こらず目的地の水沢まで着けた。青春18きっぷを利用しているので、なるべく手前で降りよう、となると水沢で降りることになる。JRで花巻で乗り換えて遠野へ。

遠野に着いて駅の近くで自転車を借りる。自転車に乗るのは何年ぶりか、思い出せないほどに久しぶり。こいですぐに疲れがくるが、ハンドリングやブレーキングのテクニックは衰えていなかった。こういうのは体が覚えている。学生時代の自転車通学の賜物。伝承園に行ってみる。このあたりは旧土淵村にあたる。生きた蚕と絵馬みたいに願い事が書かれた布がいっぱいある御蚕神堂が見所。その後、カッパ淵という、カッパがいそうな淵へ行った。

その後は遠野市内を自転車でまわる。日がでてきて暑くなる。東京に比べれば涼しいのだろうが、それでも暑い。だいぶ日焼けをしてしまった。

遠野探訪を終え自転車を返し終わったとき、青春18きっぷをどこかに落としてしまったことに気づいた。駅のあたりを探したけど見つからない。もう青春は返ってこない。仕方がないので、明日行く岩泉までの切符を買う。後で気づいたのだが、遠野から岩泉まで2920円。しかし、遠野から宮古までは1800円、宮古から岩泉までは950円。今日は宮古で泊まるとなると、宮古で分断して乗車券を買ったほうがよかったのであった。まあ、ローカル線の売り上げに貢献したと考えよう。遠野から乗った快速列車は空いていた。遠野で降りる人が多かった。釜石から乗った普通列車はそれなりに混んでいた。

今日は宮古に泊まる。遠野のスーパーや宮古の魚屋でサンマを見て、サンマが食べたいなと思っていたのだが、ちょうどサンマづくし定食を出している店があったので、そこでそれを食べる。私はサンマの刺身が好物なのだが、サンマのモチベーションの高さを引き出しているのはまるごと焼いたサンマだな、と思った。子供の頃に食卓にのぼっていたサンマとは大きさや味が違う。

宮古という街は、けっこう活気がある。昔ながらな部分も残っている。時計屋と銭湯が多かった。

<行程>
水沢→花巻→遠野→釜石→宮古

2005/08/22(mon)

宮古から茂市乗り換えで岩泉まで行く。岩泉線は初めての乗車。茂市−岩泉間が1日3往復と、とにかく乗りにくい路線である。茂市から乗る人は数人程度といったところだったが、岩泉町内に入ったところで、高校生やら高齢者やらが多数乗ってきた。岩泉に着いて折り返しの列車を待っている人も多数。岩泉駅にも委託かどうかはわからないが、駅員がいた様子。岩泉線というと、並行国道が狭路で廃線を免れている超ローカル路線という印象があったが、なかなかどうして乗客は多いようだ。

岩泉でゆっくりする余裕はなく、すぐ接続しているバスに乗る。バスといっても、小川タクシーというバスだ。タクシー会社がバス運行を請け負っている。龍泉洞まで行く旅行者も乗って乗客は二人。私は安家洞まで行く。この安家洞に行くバスが平日しか運行していなくて、土日休日は運休なのだ。公共交通機関に安家洞に行こうとすると、平日に行くしかない。8時から開いているという情報を得ていたが、9時からになったらしい。バスで着いてからしばらく待ったが、9時よりも早めに入れてもらった。ヘルメットを被って入洞。中は寒いかとも思ったら、歩いているとそんなに寒さを感じない。けっこう歩きづらい部分などもあるが、それだけあまり人の手が入っていないということ。ただ、ニューミュージックのピアノソロがスピーカーで流れしているのはなんか違和感があった。沢田知可子とか。

安家洞を離れて今度は龍泉洞へ。こちらは有名で、観光客も多い。入ってすぐに川がごーっと流れている。地底湖なんかもある。安家洞よりも歩きやすいが、それだけ手を施している。ただ、高いろころに階段で上って、まだ下るというコースもあって、ここは自信がない人は昇るなという表示があった。

岩泉龍泉洞からJRバスで盛岡へ移動。途中大雨が降ってきたが、盛岡は小雨。その後、本日宿泊する花輪まで移動。鉄道で行こうとも考えたが、高速バスにする。そっちのほうが速くて安い。

<行程>
宮古→岩泉=安家=龍泉洞=盛岡=花輪

2005/08/23(tue)

花輪から路線バスの旅単発編第18回。珍しい平日開催だったが、どのバスも利用客はそこそこいた。平日しか運行していないバスの乗客は一人だったが。この日は秋田に泊。

<行程>
花輪=大館=鷹巣=沖田面=五城目=秋田

2005/08/24(wed)

秋田から秋田空港までバスで行く。駅に寄るはずなのになぜか駅に寄らなかった。二便出ていたのか。よってバスはそれほど混んでいなかった。秋田空港は初めて利用。秋田空港から千歳空港まで飛ぶ。秋田から札幌まで飛行機で行く人もあまりいないと思っていたが、ざっとみたところ搭乗率は80%を超えていた。

北海道は1年3ヶ月ぶり。時間があったので札幌の街を歩く。茶谷碁盤店がいつの間にかなくなっていた。知っている街の風景が変わっていくのは仕方がないとはいえ、寂しさも禁じ得ない。

札幌から高速バスで一気に紋別まで行く。乗客は十人強だった。愛山上川インターチェンジというところまで高速道路が延びていた。上川よりはだいぶ手前にあるが、けっこう高速道路も伸びているものだ。休憩はローソンでとった。コンビニエンスストアで休憩をとるというのも初めてだが、このローソンはトイレの数も多く、休憩してください、と言わんばかりだった。

紋別では前回来たときに泊まったホテルに泊まる。ほたてづくし定食に鉄砲汁の夕食。

<行程>
秋田=秋田空港>千歳空港→札幌=紋別

2005/08/25(thu)

紋別から路線バスの旅単発編第19回。宗谷岬に来たのは三度目で、それほどの感動はないと思っていたら、車で来たときにはなかった感動がそこにはあった。路線バスの旅という連続性がなすものか。ちなみに路線バスの旅本編にも書いたが、稚内からだと往復乗車券を買ったほうがお得。夕食は入りたい店がなかったので、駅前の店でかにめしを買って食べた。

<行程>
紋別=雄武=枝幸=浜頓別=稚内=宗谷岬=稚内

2005/08/26(fri)

稚内から南下。音威子府でそばでも食おうかと思ったが、一度降りると数時間は列車がないのでパス。名寄で下車し、駅前の食堂でジンギスカン定食を食べて、西條に行く。13年前に一人旅と称して来たことを懐かしむ。そのときはここのロッテリアでハンバーガーを食べた。さすがに直前に食べたばかりなのでハンバーガーは食べず、シェークを飲んだ。その後士別に立ち寄ろうかと思ったが、雨っぽかったのと、いい席に座っていたのと、眠かったのでパスして旭川へ。旭川では用事を済ませて、市内をぶらぶらして、駅の前の歩道橋を渡ろうかとしたそのときに雨が降ってきた。旭川駅から旭川空港まではふらのバスで移動。旭川から美瑛、富良野方面へと帰ろうとする人が乗るバスで、空港で降りたのは私だけだった。

旭川空港から羽田空港に飛ぶ飛行機は満席だった。

<行程>
稚内→名寄→旭川=旭川空港>羽田空港→志木

総括

東北パートでは、行きたいと思っていた遠野や乗りづらい岩泉線、沖田面線に乗れたのが収穫。北海道パートでは、昔の思い出をたどる場面が多々あって、これもこれでよかった。


初出 : 2005/11/27
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