当初はこの時期は九州に行くつもりだったのだが、1978年の最長片道切符の旅なんて企画を思いついてしまったがために、北海道に行くことになった。あわせて5月5日には長野に行く用事があった。九州の帰りに寄るにはいいかと思ったのだが、北海道に行き先が変わってしまったため、長野行きが浮いてしまった感がある。
この旅の開始日は4月29日であるが、本来であれば4月28日に出発するはずだった。いや、実際には出発した。仕事が終わって羽田空港に直行。最終の飛行機で北海道に飛ぶはずだったのだ。ところが、羽田空港に不審者が侵入するという事件が発生。空港は混乱し、私はこの日の旅立ちをあきらめ、家に帰ることにした。本来であれば今日千歳に泊まり、翌日襟裳まわりで広尾まで行くつもりだったのだが、その予定は覆されることになった。
そういうわけでしきり直しの一日目。千歳空港には飛ばずに、とかち帯広空港に飛ぶことにした。午前の千歳空港行きの便は全便満席だったが、幸いとかち帯広空港行きの便には空席があった。ゴールデンウィーク初日ということもあって空港は混雑している。
とかち帯広空港からタクシーで幸福まで行く。タクシーの運転手、おっさんだったが、代金を支払うときに1万円札を出したら「こまいのないのー」と機嫌が悪くなる。客商売なのにこんなことで機嫌が悪くならないのでほしい。代金は1810円なので、千円札を8枚返すべきところを9枚渡してきた。そのことを指摘するとばつが悪そうだった。
幸福駅を一通り見る。土産屋のおっさんに「タクシーで来た兄ちゃん」と声をかけられる。やはり、ここにタクシーで来るのは目立つ。とりあえず何か買った。幸福からバスで広尾に着。夜は刺身とビールで長い旅の前祝い。
<行程>
志木→羽田空港>とかち帯広空港−幸福=広尾
1978年の最長片道切符の旅第1日。新得でそばを食べて、旭川でラーメンを食べる。
<行程>広尾=帯広→新得→旭川→北見
1978年の最長片道切符の旅第2日。中標津で鈴木宗男先生の事務所跡地を見た。熊のイラストが印象的だ。
<行程>北見→池田→厚床=中標津
1978年の最長片道切符の旅第3日。体調がすぐれなかった。紋別のホテルはオホーツクDOいなか博なるイベントをやっていたせいか、満席。ホテル内のレストランもほとんどが予約席になっていて、当然予約していない私はやっとご飯を食べることができた。このホテル、かに料理が特に有名らしい。あの丹波哲郎も絶賛しているようだ。そんなことは全然知らなかった。かに雑炊と鉄砲汁を食べたが、特に鉄砲汁はおしいかった。窓のない部屋ということを承知して予約したのだが、部屋の中が暑くてまいった。扇風機を持ってきてもらう。
<行程>中標津=標茶→網走=中湧別=紋別
1978年の最長片道切符の旅第4日。天気が崩れる。音威子府でそばを食べる時間がなかったので、お土産用のそばを買う。自宅で茹でて食べたが、おいしかった。
<行程>紋別=名寄→音威子府=南稚内
1978年の最長片道切符の旅第5日。終えて、札幌から急行はまなすで青森まで行く。指定席に乗った。ほとんど席が埋まっていたようだ。
<行程>南稚内→幌延=留萌→深川→岩見沢→沼ノ端→札幌→(急行はまなす・泊)
青森からは最速乗り継ぎで長野まで向かう。まず特急つがるで八戸まで。八戸からは新幹線はやてに乗る。2号と4号が接続していて、2号は速いが大宮に停まらない。4号は遅いが大宮に停まる。そういうわけで4号に乗る。盛岡以北はがらがらだったが、盛岡以南から混んできた。一ノ関で隣の席に人が来た。ここまでは寝ていたが、ここからはだいたい起きていた。大宮からは新幹線あさまに乗る。こちらは指定席を確保していなかったが、自由席に余裕で座れた。上田で下車。私としては、朝青森を出て昼には長野に着いているということが驚きだ。しなの鉄道で今年の4月に市制施行の東御市に行き、数時間滞在し、長野まで行く。ホテルに荷物を置いてZAZEN BOYSのライブに行く。ホテルとライブハウスの場所が近くてよかった。
<行程>青森→八戸→大宮→上田→東御→長野
この日は新幹線通勤。回数券が使えないので、普通に切符を買って乗る。自由席に乗るので早めに行った。結果的にこれは正解。入線間際には長蛇の列になっていた。長野から乗った人はだいたい座れたようだが、上田からだと座れない人が多くいたようだ。軽井沢を出た頃に意識がなくなり、大宮まで爆睡。いつもは大宮で降りるのだが、今日は降りないで東京まで行く。東京から職場の最寄り駅まで行って、この旅はおしまい。
<行程>長野→東京
初めで思いっきりつまずいたが、後は順調すぎるくらい順調。繁忙期の新幹線でトラブルになることも予想したのだが、それもなかった。